2007年に起こった警察によるラツィオウルトラス射殺事件とその直後の暴動事件について、当時リアルタイムでまとめたテキスト。ウルトラスの暴力問題は今なおイタリアサッカーのネガティブな側面のひとつであり続けています。文末には参考資料として第一報として書いた記事も貼っておきました。

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ACAB。
ミラノ、ヴェローナ、ベルガモ、ジェノヴァ、ローマ、バーリ……。イタリアの多くの都市で、壁にこの4文字が書き殴られているのが確認されている。ACABというのは“All Cops Are Bastards” (すべてのおまわりは糞野郎)の頭文字。英語であることからもわかる通り、元々は英国のフーリガンが使っていたスローガンだが、今や世界のフーリガンの合言葉と言ってもいい。

7月11日に起こった警官によるラツィオサポ射殺事件は、イタリア中でウルトラスの警察に対する敵意がこれまでにないレベルまで高まるという、深刻な事態をもたらしている。当日夜、ローマ対カリアリが中止になった後、無人のスタディオ・オリンピコ周辺で、ローマ、ラツィオの両ウルトラスが警察署やイタリアオリンピック協会本部を襲撃したのは既報の通り。その後の捜査の結果、実行犯の中には多くの極右政治団体メンバーが含まれていることが確認されており、ローマ検察は最も激しい襲撃行為が行われた警察署の周辺で現行犯逮捕された2人のウルトラスに対して、暴力による国家権力への攻撃、すなわちテロリズムの容疑を適用する構えだ。

ウルトラスの暴力にテロリズム容疑というのは、大袈裟に過ぎるように見えるかもしれない。しかし、イタリア中に全部で250を超えるウルトラスのグループが存在し、その大半がネオファシズム、ネオナチ系の極右政治団体(一部は極左もあり)と関係を持っており、全部合わせれば数万人規模に達する彼らが連帯して警察に攻撃の矛先を向けようとしているという現実は、公務執行妨害や器物破損、傷害といった単なる刑法犯の枠をもはやはみ出していることも確かだ。

今回ベルガモでアタランタ・ウルトラスがやったピッチへの乱入未遂や、2004年のローマダービー中断劇のように、「試合を止めないと何が起こっても保証できない」と暴力を予告し、スタジアムを埋めた善良な観客を人質にとって理不尽な要求を通させようという行為は、本質的にはハイジャック行為と変わらない、社会秩序を維持するべき国家権力への挑戦であり攻撃である。

確かなのは、ウルトラスの暴力を巡る問題が、ウルトラス対ウルトラス、つまり彼らの間での暴力行為とそれに付随する破壊行為から、ウルトラス対警察権力という対立の図式へと変質しつつあるということ。これが今後どのような流れを見せるのか、まだまだ予断を許さない状況といえる。

イタリア中のウルトラスの「ACAB指数」をこれだけエスカレートさせた元凶である、G.サンドリさん射殺事件そのものも、その後の捜査や報道によって、新たな事実が浮かび上がってきた。中でも重要なのは2つ。

まず、警官の発砲は、威嚇射撃や誤射ではなく、サンドリさんが乗っていた車を狙い、両手で銃を構えて撃ったものであるということ。捜査を担当している検察官は「逃走する強盗犯に対してさえも許されない行為」と明言しており、警官は過失致死罪ではなく殺人罪で起訴されることはほぼ間違いない。

この事実が表に出てくるまでに2日もかかったこと、その間警察が威嚇射撃や誤射といった情報を流したことは、ウルトラスの警察に対する反感と敵意をさらに煽る結果となった。これはあまりにも初歩的な広報戦略の失敗である。

もうひとつ明らかになったのは、サンドリさんと同乗していた5人は、もう1台の車に乗っていた4人とグループであり、サービスエリアで起こったサポーター同士の衝突は、彼らがたまたま通りがかった無為のユヴェントスサポーター3人を襲撃したことによって起こったこと。現場からはナイフや折れた傘、鉄の棒なども発見されている。サンドリさんのポケットからも石が2個見つかった。

つまり、サンドリさんを含むラツィオサポの一行には「暴れる用意」があった(そして実際に暴れた)ということになる。報道で伝えられるサンドリさんのプロフィールは、ごく普通のどこにでもいるサポーターのそれである。貧しくもなければ失業者でもなく人生に絶望して暴力に走っているわけでもない。ウルトラスですらない。そうした「普通のサポーター」ですら無頓着に「暴力に親しんで」いるというのは、ちょっとショックだった。もちろん、それが警官の発砲を正当化するものではまったくないにしてもだ。■

(2007年11月17日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」

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<参考:ラツィオウルトラス射殺事件第一報>

「11日午前、トスカーナ州アレッツォに近い高速道路のサービスエリアで、ラツィオとユヴェントスのサポーターが衝突し、警官の威嚇射撃による流れ弾を受けたひとりのラツィオサポが死亡した」

昼に流れた第一報は、概ねこのような内容だった。

死亡したのは、ミラノで行われるインテル対ラツィオを応援するため、友人4人と1台の車に同乗してローマからミラノに向かっていたガブリエーレ・サンドリさん(28歳)。ローマ市内でブティックを経営するほか、芸能人やサッカー選手も集まるクラブのDJとしても知られ、ラツィオの選手の中にも何人か友人がいる有名人だった。

第一報の内容は、サンドリさんは血の気の多いラツィオのウルトラスであり、高速のSAで行き遭ったユーヴェのウルトラスと殴り合いの衝突を演じた末、止めようとした警官の威嚇射撃に当たって死亡した——という印象を与えるものだ。

しかし、マスコミ各社のその後の取材によって明らかになってきた事実関係は、この印象とはまったく異なるものだった。まず何よりも、サンドリさんは、SAから出て行こうとする車の後部座席で、首に銃弾を受けていたというのである。

午後5時半、事件の捜査を担当するアレッツォ警察署長が記者会見で明らかにした情報は、さらに不信感を募らせる内容だった。

「警官のチームは、高速道路をはさんで反対側にあるSAから喧嘩が起こっているような物音が聞き、少なくとも3台の車に乗っていた人々が争っているのを50-70mの距離から確認したので、パトカーのサイレンを鳴らし、威嚇のために2発発砲した。争いの当事者がサポーター同士だという確認はされていない。3台の車はすぐに北の方向に走り去った」

この説明は、車の後部座席に座っていたサンドリさんが首に被弾することになった経緯を、何ひとつ明らかにしていない。銃弾は後ろの窓ガラスを貫通したと見られているが、威嚇射撃の弾道が地面に水平だというのは、あり得ない話である。むしろ、警官が走り去る車に向かって発砲したのではないか、という推測の方が、ずっと蓋然性が高い。

もっと重大なのは、警官はサポーター同士の衝突だとは確認していなかったということ。そもそも衝突があったかどうかすら確かではないのだ。だとすれば、警察は第一報を提供した段階で、(おそらく)身内の過失が引き起こしたこの事故を「ウルトラス同士の衝突」という方向に意図的にミスリードしようとした疑いも強くなってくる。

もし警察が、本来は何の関係もないウルトラスを引き合いに出して、その結果各地で起こった暴力的な反発を招いたのだとすれば、とんでもないオウンゴールである。事態の進展を見守りたい。■

(2007年11月11日:初出:『footballista』)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。