今シーズンは2年目ミハイロヴィッチ監督の下で3位争いを続けるサンプドリア。これは、マントヴァーニ家からガローネ家(どちらも地元ジェノヴァの名士)へとオーナーが変わった直後、2002年のクラブレポート。その後12年経ってみると、マロッタGDはユヴェントスに引き抜かれ、オーナーもガローネ家からローマのB級映画プロデューサーに替わり……と、新たな時代を迎えています。ライフ・ゴーズ・オン。

bar

イタリア半島の西側の付け根にある港町・ジェノヴァは、カルチョの歴史にとってとりわけ由緒ある都市である。19世紀末の1893年、現存するイタリア最古のサッカークラブ、ジェノア・クリケット・アンド・フットボール・クラブ”(略称ジェノア)が誕生したのがこの地だったのだ。<注:イタリア最初のサッカークラブは、巷間言われているこのジェノアではなく、1891年にトリノで設立されたインターナショナル・フットボール・クラブ>。

しかし、イタリアの地にフットボールが伝えられてから100年あまりが過ぎた現在、カルチョの最高峰であるセリエAに、ジェノヴァのチームの名前はない。ジェノアは日本の三浦和良が在籍した94-95シーズンを最後にセリエBに落ち、いまや「定着」どころかC降格の危機にしばしばさらされる位置に低迷するばかりである。

この都市を本拠地とするもうひとつのクラブ・サンプドリア(1946年設立)にも、かつての輝きはない。98-99シーズンによもやの降格を喫した後は、毎年昇格を狙ったチーム作りを続けながら失敗を繰り返しているうちに、すっかりセリエBの水に馴染んでしまった。

名会長パオロ・マントヴァーニ(95年死去)の下、ジャンルカ・ヴィアッリ、ロベルト・マンチーニ、トニーニョ・セレーゾ、ピエトロ・ヴィエルコウッド、ジャンルカ・パリウカなど、錚々たるメンバーを擁してカップウィナーズ・カップ(90年)、スクデット(91年)を勝ち取り、翌年の欧州チャンピオンズ・カップで決勝進出を果たした黄金時代が、遙か遠い昔に感じられるほどである。ミラノ、ローマ、トリノと並んでイタリア四大ダービーのひとつに数えられるジェノヴァの「灯台ダービー」も、ここ4年間はセリエBの名物にとどまっている。

しかしここにきて、このお寒い現状にやっと終止符が打たれそうな気配が生まれている。サンプドリアが、新しいオーナーを迎えてクラブ、チームともに体制を一新、今シーズンのセリエBで堂々と首位を走っているのだ。

きっかけは、昨シーズン半ばの2月、23年間オーナーの座にあったマントヴァーニ家が、ついにクラブの経営権を手放したことだった。亡父からサンプを受け継いだエンリコ・マントヴァーニは、クラブの収支を第一に考えたビジネスライクな経営手法で生き残りを図ろうとしたが果たせず、セリエBに降格してからのここ数年は、クラブ売却の意志をはっきりと表明していた。

しかし、セリエBでも下位に低迷し、経営不振が囁かれていたサンプにはなかなか買い手がつかない。一時はコモのエンリコ・プレツィオージ会長との間で売却交渉がまとまる寸前まで行ったが、これもコモ・サポーターの激しい抗議の前に頓挫。その間もクラブはじり貧が続き、このままでは本当に倒産も免れない、という局面になって、やっと現れた救世主が、独立系としてはイタリア最大の石油会社ERGを率いるリッカルド・ガローネだった。

ERGというのは、80年代末から90年代初頭にかけて、つまりサンプの黄金時代に、7年間にわたって胸のスポンサーだった企業である。そのERGが今度は直接、クラブの経営に乗り出したというわけだ。

ガローネ新会長にとって実質的な1年目となる今シーズン、本気で昇格を狙うチームを作り上げたサンプドリアは、下馬評通りの順調なスタートを切った。カルチョの表舞台・セリエAに、「ブル・チェルキアーティ」(輪がかかった青:青地に白・赤・黒の横線が入る)のユニフォームが帰ってくる条件は整っているようにみえる。復活の日は本当に近いのか。それを実際にこの目で確かめるために、ジェノヴァを訪れた。


 
ミラノから鉄道で南に約2時間。北イタリアの平野部と半島部を分かつアペニン山脈の下をいくつも連なるトンネルで抜けると、そこがもうジェノヴァである。低い山並みが海に迫る平地の少ない地形だが、人口は約65万人と、規模からいえばローマ、ミラノ、トリノ、ナポリ、パレルモに次ぐイタリア第6の都市だ。西地中海の海運をマルセイユと二分する港町として、1000年以上の繁栄を誇ってきた。

サンプドリアのオフィスは、坂が多く細い路地が入り組んだ旧市街の中心部、港からほど近い一角にある。400年以上前に描かれた美しいフレスコ画で壁と天井が飾られた、プロサッカークラブのオフィスには似付かわしくない豪華な部屋に訪ねたのは、ゼネラルディレクター(以下GDと略記)、つまりクラブ運営の最高責任者であるジュゼッペ・マロッタ。

実は、この「イタリアクラブ探訪」で彼、マロッタに話を聞くのは、これが初めてではない。2年前、シリーズの第1回でアタランタを取り上げた当時は、そこでGDを務めていたからだ。

イタリアでは、「クラブ経営実務とチーム作りのプロ」としてのGDという仕事が、例えば監督と同様、高い専門性を伴うひとつの職業として確立されている。「雇われ経営者」として、いくつものクラブを渡り歩きながら、キャリアを積んでレベルアップして行くGDも少なくない。

現在43歳のマロッタも、セリエCのヴァレーゼを振出しにこれが7つ目のクラブ、すでに20年近いキャリアを誇るプロ中のプロである。アタランタの前、95-96シーズンから99-00シーズンまでの5年間はヴェネツィアのGDを務めており、名波浩の獲得にも深く関わっていた。ガローネ会長が、一部の役員の反対を押し切ってまでアタランタから引き抜いたという就任の経緯も、その手腕が“業界”でどれだけ高く評価されているかを物語っている。サンプに移ってきたのは昨シーズン終了後の5月だが、すでに昨シーズン終盤、3月末の時点で、この“移籍”は公然の秘密になっていた。

「セリエAのアタランタからBのサンプへというのは、キャリアとしては後戻りに見えるかもしれませんが、決してそうではありません。サンプは歴史と伝統のある名門クラブです。ガローネ会長が示してくれたプロジェクトは野心的なものでしたし、裏付けになる予算もある。アタランタでの仕事に満足していなかったわけではありません。しかし、これだけやりがいのある仕事を前にして、チャレンジしないわけにはいきませんでしたよ」

ガローネ会長が当初、マロッタGDに示した目標は、「3年間でクラブの財政を建て直し、セリエAに戻る」というものだったという。まずは財政の健全化から、というわけだ。

事実、前オーナーのマントヴァーニ家から経営を引き継いだ時点でのサンプドリアは、セリエC降格の危機に瀕しているという以上に、かなり深刻な財政状況にあった。

ガローネ会長が経営権を買い取るために支払った金額は、360万ユーロ(約4.4億円)に過ぎない。しかしその背後には、3000万ユーロ(約37億円)を大きく超える負債があった。この負債を削減して赤字を減らし、今シーズンのセリエBにチームを登録する財政基準を満たすために、ガローネ会長はこの6月、2800万ユーロ(約34億円)もの私財を、資本金積み増しのために投じなければならなかった。それでも、負債が全て解消されたわけではないようだ。サンプドリアは実質的に、40億円を超える買い物だったというわけである。

それもあってか、サンプのGDに就任したマロッタが最初に行ったのは、クラブ組織のスリム化だった。全部で60人近かったクラブの職員を30人強まで減らすと同時に、管理部門を取り仕切る事務局長、チーム部門を統括するスポーツディレクター(以下SD)、そして広報責任者など要となるポストに、自分が連れてきたヴェネツィア、アタランタ時代からの側近たちを配置し、実質的にひとりで全体に目が行き届く体制を作り上げたのである。

「この規模のクラブとして60人は多すぎたので、不本意ながら20人以上を解雇しなければなりませんでした。効率的にクラブを運営するためには少数精鋭が一番です。その全体を統括し、すべてについて最終的な決断を下すのが私の役目というわけです」

人員削減によるコストダウンと指揮系統の単純化。いずれもリストラの常道である。結果的には、マロッタGD率いるスペシャリストたちのチームが、サンプドリアのクラブオフィスを“乗っ取った”格好になったわけだが、20年以上に渡ったマントヴァーニ体制の埃や澱を一掃するためには、このくらいの荒療治も必要だったということだろう。美しいフレスコ画に飾られたこのオフィスも、2週間後には引き払って、ビジネス街の効率的なオフィスビルに移転するのだという。

クラブ組織のスリム化を進める一方で、もうひとつの、というよりもクラブにとって本来の目標である「3年でセリエAに戻る」ためのチーム作りも、それ以上に大きな課題だった。ここでも、マロッタGDは遠慮なく大ナタを振るう。

まず手をつけたのは、今シーズンに向けた監督人事。昨シーズン、チームを率いたジャンフランコ・ベロットとの契約を更新せず、新たに招聘したのはヴァルテル・ノヴェッリーノ。過去5シーズンで、セリエA昇格3回(ヴェネツィア、ナポリ、ピアチェンツァ)、セリエA残留2回(ヴェネツィア、ピアチェンツァ)という成果を残し、失敗が一度もないという、文字通り昇格と残留のスペシャリストである。

実のところ、ノヴェッリーノとピアチェンツァとの間には、まだあと1年契約が残っていた。それを断念し、あえてセリエBへの“自主降格”を選んだ理由はどこにあったのだろうか。これは本人に聞いてみるのが一番いいだろう。

「はっきり言って、この決断は簡単じゃありませんでした。ピアチェンツァに残ればセリエAでもう1年やれたわけだし、他にもセリエAの2〜3のクラブからオファーが来ていましたから。でも、一番野心的でやりがいのある仕事は、サンプのそれだった。今はBでも、将来的な可能性から言えば、他のプロヴィンチャーレよりずっと大きいですからね。私は、いつかスクデットを争うクラブで指揮を執りたいと思っているし、それだけの自信もある。でも今は、サンプドリアという伝統あるクラブの復活に力を注ぎますよ」

経営規模の小さいプロヴィンチャーレでは、セリエAで戦っても残留どまり。それよりも、よりポテンシャルの高いサンプを率いてもうひとつ上、中位にステップアップしたいという、プロとしてのしたたかな計算が働いているわけだ。

一方のマロッタGDは、ノヴェッリーノという選択についてこう語っている。

「彼は、チームのすべての選手に高いモティベーションを与え、持てる力を最大限に引き出す希有な才能を持っています。その手腕は、ここまで残してきた成績が何よりもよく物語っていますよ。ヴェネツィア時代に彼と2シーズン一緒にやって(97-99年)、A昇格と残留を果たしたことで、私たちの間には強い信頼の絆ができていました。彼が他からのオファーを蹴ってまでこの話を受けてくれたのも、それがあったからだと思います。もちろん、今シーズンのチームづくりもすべて、ノヴェッリーノと話し合いながら進めました」

その結果、チームの顔ぶれは大幅に入れ替わった。獲得した選手は、大きく2つのカテゴリーに分けることができる。

ひとつは、一度はマロッタかノヴェッリーノの下でプレーした経験のある、信頼できる中堅・ベテラン。このカテゴリーには、控えGKのピナート(アタランタ)、DFのパガニン(アタランタ)、サッケッティ(ピアチェンツァ)、ベッタリーニ(ヴェネツィア)、MFのヴォルピ(ピアチェンツァ)、ペドーネ(コモ)、ヴァルトリーナ(ヴェネツィア)、FWのバッザーニ(ペルージャ)が入る。最後のふたりはいずれも、ノヴェッリーノ率いるヴェネツィアでプレーしていた。

もうひとつは、クラブにとって大きな資産となる有望な若手。DFのドミッツィ(モデナ)、MFのガスバローニ(ヴァレーゼ)、パロンボ(フィオレンティーナ)、FWのラビート(モデナ)、コロンボ(アタランタ)の5人がこちらに入る。

フィオレンティーナの破産により自由契約になったパロンボ以外の4人は、いずれも所有権の半分を買い取った共同保有移籍。シーズン終了後に、残りの半分を買い取るか売却するかを、価格も含めて両者協議の上で決めることになる。ちなみに、ガスバローニはユヴェントス、ドミッツィとラビートはミランがそれぞれ、残り半分を所有している。

新戦力でこのどちらにも当てはまらないのは、正GKのトゥルチ(ウディネーゼ)、パルマからレンタルしたMFボラーニョ(故障中)、そして自由契約だったコイス(フィオレンティーナ)くらいだろう。

通常、監督が交代し、選手も大幅に入れ替わったチームは、組織的な戦術の基盤を固めるために時間を必要とするものだが、今シーズンのサンプに関しては、その心配は必要ないといっていい。オーソドックスな4-4-2をベースに、堅実なディフェンスと手数をかけない速攻を基本戦術とするノヴェッリーノのサッカーを、ほとんどの選手がすでに理解しているからだ。

注目したいのは、チームの大半を占めるこれだけの選手を獲得するために移籍マーケットに投じた金額が、およそ1200万ユーロ(10億円弱)と予想以上に少ないこと。これについてマロッタは、こう説明してくれた。

「このプレシーズンの移籍マーケットは大きく冷え込んだと言われました。しかしそれは、売る立場に立った時の話です。選手を買う側にとって、移籍金の相場が低くなったことは、逆にこれ以上ない福音だったのです。今シーズンの補強で最も高かった買い物はバッザーニの400万ユーロ(約5億円)、次がヴォルピの250万ユーロ(約3億円)でした。はっきりいって、うまく買い叩くことができたということです。それ以外は共同保有や契約切れの選手を獲得するなど、できる限り出費を抑えました。

この資金でこれだけの補強ができたことは、期待以上の成功だったといえるでしょう。しかし、最も大きかったのは、多くの選手が、私とノヴェッリーノを信じて、セリエAでプレーする可能性を蹴ってまでサンプを選んでくれたことです。3年でセリエA昇格というのが当初の目標でしたが、もちろん前倒しできればそれに越したことはありません。その点でノヴェッリーノが来てくれたことは、非常に大きな意味を持っていました」

事実、できあがったのは「3年でA昇格を目指す」どころか、他の19チームから明らかに一頭抜きんでた強力なチームだった。事実、質の高さ、層の厚さともに、セリエAの下位チーム(レッジーナ、トリノ、コモなど)をも上回るレベルにあると評価する向きも少なくない。

サッケッティ、ヴォルピ、ペドーネといったベテラン陣がしっかりと要所を固め、U-21代表で売り出し中のガスバローニ、パロンボ、ドミッツィといった若手が生き生きとプレーする。このあたりは、若いタレントの力を引き出すのが上手いノヴェッリーノの手腕だろう。

マロッタの下で、チームの補強や選手発掘のためのスカウティングから育成部門まで、チーム部門全体を統括しているサルヴァトーレ・アズミーニSDもこう語る。

「チーム作りのコンセプトは明快でした。選手として優秀であることはもちろん、それ以上に人間性を重視する。チーム・スピリットに欠ける選手は、長いシーズンを戦って行く間に、チームの内部に問題をもたらします。勝てるグループを作るためには、それは絶対に避けなければならない。一度は私たち誰かの下でプレーしたことのある選手が中心になったのも、ひとつはそれが理由です。実際、このチームは非常に結束が固い。試合に出ている選手は出ていない選手を励まし助けるし、ベテランも若手に手を差し延べる。ひとつの共同体としてのまとまりがあるんです」

この原稿を書いている時点では、12試合を終えて6勝5分1敗(23ポイント)でセリエB首位。当然ながら、このまま最後までシーズンを走り切ることが今シーズンの目標である。

とはいえ、上位のビッグクラブと下位のプロヴィンチャーレの実力差が大きいセリエA(11試合を終えた時点で首位と最下位のポイント差は21)とは違って、セリエBは全チームの実力が均衡しており(12試合を終えて首位と最下位のポイント差13)、しかも38試合の長丁場。昇格の行方も、最後の最後までわからないのが常である。このまますんなり首位を守って行けるほほど甘くはないだろう。しかし、このサンプドリアが、A昇格を果たすための条件を十分に備えていることは、誰の目にも明らかだ。

では、当面の目標である財政の立て直しとA昇格を果たした後、サンプドリアはどこを目指すのだろうか。ガローネという資金力のあるオーナーが、本格的に経営に乗り出してきたことを考えても、例えばトリノのように、財布の紐を締められるだけ締めてA残留さえできればいい、という経営方針を採ることは考えにくい。その点についてマロッタはこう語る。

「中期的には、かつてのサンプがそうだったように、B降格の心配をすることなく、ビッグクラブに次ぐ順位をうかがうところまで盛り返したいと考えています。7〜8位というところでしょうか。ジェノヴァという都市のポテンシャルを考えると、それがひとつの限界でしょう。

しかし、そこに行くまでの道のりも、まだまだ長い。まず、クラブとしての運営基盤をもっとしっかりと固める必要があります。スカウト網の充実や育成部門の見直しから、チームの拠点となるチェントロ・スポルティーヴォの建設、さらにはマーケティング、マーチャンダイジングといった商業部門の充実まで、やるべきことはたくさんあるんです。どれもまだ、手を付けたばかり。すべてはこれからですよ」

そう、新生サンプドリアの歩みは、今始まったばかりである。しかし、ここまでの歩みが、「ブル・チェルキアーティ」がセリエAの桧舞台に返り咲く日はそう遠い先のことではなさそうだ、という予感を抱かせることは確かである。サンプとジェノアの「灯台ダービー」がセリエAで復活するためには、まだもう少し時間がかかりそうだが……。□

(2002年11月25日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。