1月9日。アリーゴ・サッキとディノ・ゾフ。2人の元イタリア代表監督が、奇しくも同じ日にセリエAのベンチに帰ってきた。

サッキはパルマ、ゾフはラツィオと、いずれも過去に率いたことのあるクラブへの「復帰」となる。両チームとも、2日前のセリエA第13節で格下の下位チームに惨敗を喫したばかりだった。

インテル、ナポリに続き、セリエAの監督交代はこれで4チーム目。リッピ、ゼーマン、マレサーニ、エリクソンと、首を切られたのはトップクラスの評価を受けてきた監督ばかりだ。

開幕前には、やけに監督の続投が多い珍しいシーズンだと思ったが、蓋を開けてみれば、開幕から3ヶ月強でビッグクラブのうち3つが監督交代に踏み切って、すっかり帳尻が合った(?)格好である。
 
パルマがシーズン途中での監督交代に踏み切ったのは、セリエBで戦っていた87/88シーズンに、ズデネク・ゼーマンを解任して以来。90/91シーズンに大手乳業メーカー・パルマラットのタンツィ家がオーナーとなってからは初めてのことだ。

タンツィが途中解任をよしとしないポリシーを曲げざるを得なかった背景には、サポーターの不満と反感が抑えようのないレベルまで高まっていたことがあった。7日にホームで戦ったレッジーナ戦を、パルマは0-2で落とす。

内容的にも惨憺たる出来で、前半半ばにリードを奪われた頃から、クルヴァ(ゴール裏)はチームとマレサーニ監督に厳しい非難と中傷のコールを浴びせ始め、普段は物言わぬメインスタンドの観衆も、それに拍手を送る始末。スタンドで試合を観戦していたカリスト、ステーファノのタンツィ親子の表情は凍りついていた。

激しい抗議は試合後も続いたばかりか、数人のウルトラスが警護の網をかいくぐってロッカールームを襲撃しようとする(幸い未遂に終わったが)という事件までが起こる。マレサーニ監督は、クラブ首脳と顔を合わせることすらしないまま、ひとり裏口から姿を消し、翌日、クラブは後任が決まらぬままマレサーニの解任を決断する。

その時点で囁かれていた噂は、アッリーゴ・サッキとフランク・ライカールト(元オランダ代表監督。ミラン時代のサッキの教え子)が本命、対抗。どちらも引き受けなければ、レンツォ・ウリヴィエーリ(元カリアリ)がシーズン終了までの“つなぎ”に就任、というものだった。
 
サッキの監督就任が発表されたのは、9日午後3時のこと。彼は、98/99シーズンにアトレティコ・マドリード(スペイン)の監督をシーズン途中で辞任して以来、監督業引退を宣言し、TV、新聞で評論家として活躍していた。にもかかわらず、今回あえて“現役復帰”を決断したことについて、就任記者会見で次のように語っている。

「シーズン途中でチームを引き受けるというのは、最悪のやり方だ。ゆうべは一睡もできなかった。実は、オファーを断るつもりでパルマにやってきたのだが、タンツィの説得を受け入れることになった。14年前に、大きな成功へのジャンプ台となったこのクラブ、この町に戻ってくるという考えに心を動かされたところもある。

だが、それ以上に、25年も愛情を持ってこの仕事をしてきて、しかもおそらくこれが唯一自分にできる仕事だとわかっているときに、そこから遠ざかるのは簡単ではない。理屈から行けば断るべきオファーだったが、私のハートがイエスと言っていた。カルチョはドラッグのようなものだ」

85/86シーズンに当時セリエC1にいたパルマの監督に就任したサッキは、就任1年目にセリエB昇格を勝ち取ると、その翌シーズンにはBで7位という好成績を収める。もちろんその武器は、当時としては革新的な4-4-2プレッシング・サッカーだった。

コッパ・イタリアでミランを破るという金星を挙げ、そのサッカーに魅了されたベルルスコーニ会長が翌年、この無名の若手監督を招聘したことが、ミラン、サッキ双方にとっての栄光の日々の始まりだった。

サッキは、14年ぶりに戻ってきたそのパルマで、監督としてのキャリアを賭けた復帰戦に挑むことになる。評論家として、ディフェンス偏重のイタリアサッカーを公然と批判し続けてきた(その結果、多くの監督から少なくない反感を買った)彼が、ベンチに復帰してどんなサッカーを見せるのか、誰もが興味津々で見守っている。

「決断するまで大きな迷いがあったし、引き受けた今も怖れを感じている。私のキャリアの中で唯一、本当に失敗したのが、96年のシーズン途中にミランを引き受けたときだったから。あの時のことは、今でも私のトラウマになっている。

裸にされて手錠をかけられたような気持ちだった。選手たちは、マルディーニ、コスタクルタといった一部の選手たちを除いて、まったく協力的ではなかった。選手の協力なしに達成できることなど何もない」

パルマはサッキに、2003年6月まで2年半の契約を提示した。単なる火消し役ではなく、クラブの全面的なバックアップの下、サッキを柱に中期的なプロジェクトをスタートさせるという明確な意志表示である。

つい数週間前まで、クラブの周辺では、今シーズンもパルマが成功を収められなかった場合、タンツィ家は徐々にクラブ経営から身を引くことを選ぶのではないか、という噂がまことしやかに飛び交っていた。サッキとの契約によって、その噂自体も否定されたことになる。

「私は最大限の謙虚さでこの仕事に取り組む。今の時点で約束できることは、全身全霊を込めて仕事に打ち込むという以外には、何もない。もし今何かを約束すれば、はったり屋になってしまう。いずれにしても、クラブのバックアップと選手の協力がなければ、私には何もできないだろう。チームのメンバーは揃っている。

まずいいサッカーを見せること、そしてその必然的な結果として勝つことを目指したい。常にこれが私の考え方だし、54歳にもなってそれが変わることはあり得ない。チームには徐々に入っていくつもりだ。

私の仕事が結果としてチームに表れてくるまでには、1ヶ月はかかるだろう。私のサッカーがまだ超えられていないこと、自分が過去の人間ではなく現在の人間であることが示せればと願っている」

サッキは会見をこう締めくくって、練習場に向かった。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。