ファンタジスタという言葉が似合うプレーヤーは、今や本当に少なくなってしまいました。今世界のトップレベルにいる中では、ロナウジーニョくらいじゃないでしょうか。カカやメッシやクリスティアーノ・ロナウドは、上手かったり巧かったりするけど、何これ、という意外性に満ちたとんでもないプレーを見せてくれることはありません。

イタリアだと、カッサーノやジョヴィンコも同じ。ファンタジスタらしいファンタジスタは、FWに転向する前のトッティが最後でしょうか。

この原稿は、7年前に『ワールドサッカーダイジェスト』のために書いたものです。同誌に載った最も初期の署名原稿のひとつ。いかにも肩に力が入っています。

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1.ファンタジスタの定義

ファンタジスタFantasista。このイタリア語を直訳すると「想像力の人」となる。サッカー選手のポジションや仕事、属性を表す呼称は数あれど、これほどわれわれのイメージをふくらませてくれる美しい言葉は他にはないだろう。

しかし同時に、これほど定義が曖昧な言葉も他には見当たらない。ピッチの上でのポジションを表す呼称(ミッドフィールダー、サイドバックetc)でもなければ、与えられた仕事を示す呼び名(ストライカー、ストッパーetc)でもない。ボランチ、リベロ、プレーメーカーなどのように、ピッチ上での戦術的機能を抽象的に表す言葉ですらないのだ。

にもかかわらず、“ファンタジスタ”という言葉を聞くと、われわれ日本人の頭の中にさえ、あるひとつのタイプのプレーヤーが、イメージとして浮かび上がってくるから不思議なものだ。

現在セリエAでプレーしている選手なら、トッティ、ジダン、ルイ・コスタ、R.バッジョ、デル・ピエーロ、過去の名選手でいえばマラドーナ、ジーコ、プラティニ…。あえて言葉で表現するならば、卓越した技術とセンスを備え、想像力(&創造力)あふれる素晴らしいプレーで試合の流れを一気に変え、あるいは試合そのものを決定づけてしまう天才型のプレーヤー、ということになるだろうか。

本誌「カルチョ解体新書」でおなじみのマウリツィオ・ヴィシディ(11月初めにセリエC1・ルッケーゼの監督に就任したばかり)にファンタジスタの定義を尋ねたら、次のような答えが返ってきた。

「ファンタジスタとは、単に技術的に優れている選手、ドリブルで相手を抜き去る能力のある選手を指すわけではない。むしろ、他の誰にも思いつかない意外性に満ちた、しかも最も効果的なプレーを発見し行うことのできるクリエイティビティに満ちたプレーヤーだと定義したい。たとえどんなに意外性があっても、それが状況を解決する効果的なプレーでなければ単なる自己陶酔に過ぎない。そういうプレーをする選手は、ファンタジスタではなくナルチジスタ(ナルシスト)と呼ぶべきだろう。

ファンタジスタの選ぶプレーは、我々の目から見て明らかにベストの選択だと思われる、いわば理屈に合ったプレーとは違う。一瞬パスを出すべきタイミングを逸したように見えた瞬間、まったく違う可能性を見出してとんでもないアシストを送ったりシュートを決めてしまったりするのが彼らだ。おそらく彼らには生まれつき、我々が見るのとは違うゲームが見える視線が備わっているのだろう」

2.ファンタジスタ=芸人説

実は、“ファンタジスタ”という言葉は、たとえば“リベロ”のように、サッカー用語として発明されたわけではない。元々はミュージカル、バラエティーショーといった舞台芸能の言葉で、即興的な話術や歌で人々を楽しませる多才な芸人を指していた。それがいつからか、カルチョの世界にも転用されるようになったというわけだ。つまり、イタリア語の“ファンタジスタ”とは元々、見る者を楽しませるスペクタクル、見世物、といったニュアンスを帯びた言葉だということになる。

だから、どんなに技術的に優れたプレーヤーであっても、どんなにたくさんのゴールを決めても、人々を驚かせ、わくわくさせ、楽しませる多彩なプレーを見せるアーチスト(芸人)でなければ、ファンタジスタと呼んではもらえない。バティストゥータがやはり“ボンバー”であり、セルジョ・コンセイソンはどうしても“トルナンテ”でしかないのは、おそらくプレーの芸術性にかかわる問題に違いない。

ヴィシディ監督のいう「意外性に満ちた効果的なプレー」は、スタンドから(あるいはTVで)観戦する我々にとっては「スペクタクル性に満ちた芸術的なプレー」を意味しているというわけだ。これがファンタジスタを語る上でもうひとつ、欠かすことのできない視点である。

「スペクタクル性に満ちた芸術的なプレー」で見る者を魅了するファンタジスタは、ファンやサポーターにとっては特権的な存在だ。ロベルト・バッジョをベンチに送った監督たち(カペッロ、サッキ、リッピ—いずれも名監督だ—)がどれだけマスコミから叩かれ続けたか、あるいは、もう2年以上もかつての輝きを取り戻せないデル・ピエーロの復活を人々がどれだけ忍耐強く待ち続けているかを見れば、それは明らかだろう。

イタリアサッカージャーナリズムの重鎮のひとり、ジャンカルロ・オルメッザーノはある著書の中で、やや風刺的な調子で次のように書いている。

「ファンタジスタには、他の誰が犯してもその場で八つ裂きの刑にあうようなミスを犯すことが許されている。もう決まったも同然のゴールを外しても責められることはない。それを見たファンや批評家は、彼があのゴールを決めるなんて馬鹿げている、あんな簡単なシュートは他の選手に任せておけばいいのだから、と言うに違いないのだ。ファンタジスタは他の誰よりも走らず、他の誰よりも高い給料を取る」

もちろん、高い給料を取るのは、彼らの見せるスペクタクルが、それだけの人気と支持を集めているからだろうが…。

3.ファンタジスタとカテナッチョ

しかし、ひとつ不思議なのは、ファンタジスタをこれだけ愛するイタリアの人々が、その一方では、試合の内容よりも勝ち負けにこだわる極端な結果至上主義者でもあることだ。片や、スペクタクル性に満ちた芸術的なプレーを見たいと望む人々の強い欲望と、それに支えられた手放しのファンタジスタ礼賛。

片や、どんなにいいサッカーをしても勝たなければ意味がないという身も蓋もないリアリズムと、それに根ざしたイタリア伝統のディフェンス第一主義。カルチョの中に、一見矛盾するこのふたつの要素がどうして、またどのように共存しているのか、以前から気になっていた。

この問いを、ベテラン・ジャーナリストのシルヴィオ・ピエルサンティ(イタルメディア通信社社長)にぶつけてみると、返ってきたのはこんな答えだった。

「イタリア人の中には、世の中というものは大部分の凡人と一部の特権的な人々で成り立っている、という意識がある。大部分の凡人は毎日あくせく働くのが当たり前。しかしイタリア人は美しいものが好きだから、美を生み出す人には特権が与えられる。芸術家は特権的な存在であり、何をしても許されるというところが昔からあった。

カルチョにもそれと同じところがある。ディ・リーヴィオのような“兵隊”は身を粉にしてあくせく働いてチームに尽くさなければならないが、バッジョのように特権的な“芸術家”は走らなくとも芸を見せれば拍手喝采を受ける、というわけだ」

なるほど。ファンタジスタが愛される理由がますますよくわかってきた。しかし、それとイタリアサッカーのディフェンス第一主義、いってみれば“カテナッチョ文化”はどう関連しあっているのだろうか。ピエルサンティは話を続ける。

「そうはいってもイタリアでは、カルチョは単なるスポーツよりももっと重要な社会的問題だと思われているから、スペクタクルを楽しんだけれど試合には負けた、というのは受け入れてもらえない。クラブも監督も、まず負けないことを第一に考えるし、サッカーも点を取るよりも取られないことを優先した守備的なものにならざるを得ない。

実のところカテナッチョというのは、負ける可能性を最小限に抑えながら勝つ確率をいかに高めるかを考えた結果到達した、非常に科学的な戦術だ。並みの兵隊がみんなで後ろに引いてゴールを守り、攻めないと見せかけておいてカウンターで不意打ちをかける。その時に活躍するのがそれまで休んでいた芸術家、つまりファンタジスタというわけだ」

相手に攻められて劣勢に陥った(ように見せかけている)ところから、ひとり飛び出したファンタジスタが芸術的なプレーでゴールを陥れ、チームを勝利に導く。これ以上に胸がすくスペクタクルはない、というわけか。ベテラン・ジャーナリストは最後にこうつけ加えてくれた。

「もうひとつ、神に祈って奇跡が起こるのを待望する、というカトリック的なメンタリティも関係しているような気がする。ファンタジスタは、ある意味では救世主のようなものなのかもしれない。誰もが彼が奇跡を起こしてくれるのを待ちわびている」

4.ファンタジスタと“サッキ革命”

さて、そうはいっても、カルチョの世界が、この「奇跡を起こしてくれる(かもしれない)救世主」を、まったく無条件で受け入れてきたというわけでは決してない。『コリエーレ・デッロ・スポルト』紙の編集長、マリオ・スコンチェルティは、著書の中で、ファンタジスタの代名詞ともいえる“10番”について次のように述べている。

「10番は誰もマークせず、どのゾーンもカバーしない。戦術的にはまったくチームの役に立たない存在だが、スペクタクルにとっては絶対不可欠な存在だ。10番はストライカーにアシストを送るため、そしてそれ以上に自らがゴールを決めるためだけにプレーする。

もしゴールを決めなければ、チームにとっては単なるお荷物でしかなく、観客を喜ばせるだけのぜいたくなオモチャに過ぎない。しかしもしゴールを、しかも重要な試合を決定づけるゴールを決めるなら、彼はカルチョのシンボルそのものになる」

確かに、94年アメリカW杯のナイジェリア戦でロベルト・バッジョが試合終了2分前に決めた同点ゴール、96年のトヨタカップでデル・ピエーロが決めた決勝ゴール、98年フランスW杯決勝でジダンが決めた2本のヘディングシュートなどは、今も多くの人々の記憶に残っているだろう。それらは忘れたが、ユーロ96のビアホフのゴールデンゴールなら覚えている、という人は、ドイツサポーター以外にはおそらくいないはずだ。

しかし、自らゴールを決めることができない限り、というのは言い過ぎにしても、アシストも含め、試合を決める決定的な働きができないファンタジスタは、文字通り「観客を喜ばせるだけのぜいたくなオモチャ」だと考えられてきたことも、また否定できない事実だろう。そして、そう考えたのはとりわけ、チームを預かる監督たちだった。

80年代後半、セリエBのパルマから抜擢されてミランの監督に就任したアリーゴ・サッキは、前線からの激しいプレッシング、高いライン・ディフェンスによるオフサイド・トラップのシステマティックな適用、そしてそれらを可能にする4-4-2の組織的なゾーン・ディフェンスといった守備戦術と、両サイドバックのオーバーラップを多用する組織的な攻撃によって、イタリアサッカーのみならず、世界のサッカーシーンに大きな衝撃をもたらした。

今やこれらの戦術は、現代サッカーのひとつのスタンダードとしての地位を確立しているといってもいい。しかし、カテナッチョ以来の、リベロを置いたマンマーク・ディフェンスに基づく守備的サッカーが幅を利かせていた当時のイタリアにおいては、まさに革命的な変革だった。

しかもそこには、ファンタジスタの定位置ともいうべき“10番”、つまり「守備の負担を軽減されて、トップ下で自由に動き回るお墨付きを与えられたトレクァルティスタ」というポジションは存在しなかった。11人の選手があたかもひとりの選手であるかのごとく有機的に結びつき、組織的に守り、攻めることを理想とするサッキ流のモダンフットボールにおいては、すべての選手に“兵隊”のスピリットを持つことが求められた。そこに“芸術家”の居場所などあるはずもなかったのである。

だが、“サッキのミラン”は、そんなことにはおかまいなく、スクデット1回、ヨーロッパチャンピオンズカップ2回、インターコンチネンタルカップ2回という華々しい戦績を残して、カルチョの歴史にその名を刻み込んだのだった。

とはいえ、80年代後半を通して、その“サッキのミラン”とスクデットを巡る名勝負を繰り広げたのが“マラドーナのナポリ”であったことも忘れるわけにはいかない。ディエゴ・アルマンド・マラドーナは、ミランの「組織」に「ファンタジーア」ひとつで立ち向かい、しばしばそれを翻弄すらしたのだから。
 
5.ファンタジスタ冬の時代

その後、サッキと同じ、そして彼よりも若い世代の多くの監督たちが、試行錯誤を繰り返しながらこの戦術を採り入れてきた。そして90年代半ばには、セリエAの大半のクラブが、ゾーンディフェンスを基本とする4-4-2、または4-3-3システムによるプレッシング・サッカーを導入するに至る。

それはまさに“ファンタジスタ冬の時代”のはじまりだった。それを象徴するのが、90年代のイタリアが生んだ2人の偉大なファンタジスタ、ロベルト・バッジョとジャンフランコ・ゾーラの運命である。

2人は、ともに“10番”、つまりトレクァルティスタとしてキャリアをスタートしたプレーヤーだが、4-4-2がカルチョの主流になったのに伴い、FWへの転向を余儀なくされていた(94年、ユヴェントスでバロン・ドールを獲った当時のバッジョを「10番ではなく9.5番の選手」と評したミシェル・プラティニの言葉は有名だ)。

そして、30歳の大台に近づき、技術的な円熟期を迎えた一方で体力的なピークを過ぎた彼らは、前線からのプレッシングを90分間続ける体力がないという理由で、FWとしてさえ、レギュラーポジションを得ることができなくなってしまったのだ。それは、彼らの存在そのものが「観客を喜ばせるだけのぜいたくなオモチャ」であると断罪されてしまったようなものだった。

96-97シーズン。ミランの新監督に就任したオスカー・ワシントン・タバレスは、中盤菱形の4-4-2を採用し、バッジョをトレクァルティスタに起用する構想でシーズンに臨んだ。しかしミランは序盤戦で躓き、タバレスはシステムを中盤横1列の4-4-2に戻すことを余儀なくされる。そしてバッジョの定位置はベンチになった。

タバレスは11月末に解任されたが、その後任となったのは、イタリア代表監督を辞したばかりのアリーゴ・サッキその人。バッジョはレギュラーに返り咲くことなくこのシーズンを終える。我々が再び“真のロベルト・バッジョ”を見ることができたのは、その翌シーズン、ボローニャに新天地を求めてからのことだ。

 同じシーズン、パルマの新監督に就任したのは“サッキのミラン”で中盤を支え、その後イタリア代表監督となったサッキの下でヘッドコーチを務めたカルロ・アンチェロッティだった。システムはもちろん“サッキ流”の4-4-2。彼は2トップに新加入のヘルナン・クレスポとエンリコ・キエーザを抜擢し、ゾーラには右アウトサイドMFのポジションを与えようとした。

この構想を蹴り、しかし控えのFWという立場にも甘んじることのできないゾーラは、チェルシー(イングランド)への移籍を余儀なくされてしまう。それから4年経った今も、彼がプレミアリーグで最も評価の高いファンタジスタのひとりであり続けていることは、いうまでもないだろう。

このシーズン、スクデットを勝ち取ったリッピ監督のユヴェントスが採用していたシステムも4-4-2。ジネディーヌ・ジダンは中盤のセンターでデシャンとペアを組み、攻撃の局面は時折前線に顔を出していたものの、概ねはプレーメーカーとして振る舞い、守備の局面になれば疲れを厭わずに敵を追い回していた。2位はゾーラをお払い箱にしたアンチェロッティ監督のパルマだった。
 
6.ファンタジスタ再評価

セリエAに“ファンタジスタ冬の時代”が終わるきっかけとなる変化が起きたのは、続く97-98シーズンのことだ。ザッケローニ(ウディネーゼ)、マレサーニ(フィオレンティーナ)という2人の若手監督が、最終ラインを3人のセンターバックで構成し、サイドの守備をアウトサイドMFに委ねる3-4-3システムを導入したのだ。

DFラインからひとり減らして攻撃に割くことができる一方、最終ラインも相手2トップに対して3人のセンターバックで数的優位を保てる分ゴール前の安定感が増すという“一石二鳥”(サイドが手薄になるというリスクはあるが)のこのシステムに注目した監督は多く、それから2年を経た99-00シーズン(昨シーズンだ)には、いわゆる“ビッグ7”のうち、4バックを堅持するエリクソン監督のラツィオを除く6チームが、すべてこの3センターバックシステムを導入していた。

ただし、どのチームも、前線を3トップ(センターフォワード1人、サイドアタッカー2人)ではなく2トップ+トレクァルティスタにした3-4-1-2に陣形をモディファイしていた。かつての“10番”のポジションが復活し、ファンタジスタがその個性と実力を発揮できる舞台がカルチョに戻ってきたのだ。

一度は「モダンフットボールに居場所はない」(ミラン監督時代のファビオ・カペッロの発言)とまで言われたトレクァルティスタが再び脚光を浴びた背景には、いくつかの理由がある。

ひとつは、スペクタクル性の問題である。チーム全体をコンパクトに保つプレッシングサッカーは、両チームがその戦術を採ると、試合のほとんどが中盤の狭いスペースでの神経質なボールの奪い合いに終始する。

しかも、両チームのレベルが高ければ高いほどそれが顕著になるのだ。それを回避する唯一の策は、最終ラインから中盤を飛び越えて一気に前線にロングパスを放り込むこと。これを見る者にとって面白いサッカーだと言うことは難しい。ファンタジスタたちが見せる「スペクタクル性に満ちた芸術的なプレー」への人々の渇望は、限界近くにまで高まっていた。

また、衛星ペイTVの浸透に伴う“カルチョ・ビジネス”の進展によって、カルチョはもはやスタジアムで観戦するスポーツではなく、TVで楽しむエンターテインメントに様変わりしつつもあった。

そして“エンターテインメントとしてのカルチョ”は、その主役となるべきスター、つまり、人々を魅了するアーティスト(芸人)としてのファンタジスタを、その個性を最大限に発揮できる場所に置くことを必要としていたのである。例えば99-00シーズン、ローマの監督に就任したファビオ・カペッロにとって、トレクァルティスタにトッティを据えた3-4-1-2システムは、ほとんど唯一の選択肢だったに違いない。

もうひとつは、やはり“カルチョ・ビジネス”に関わる過密スケジュールの問題だ。昨シーズンから欧州カップの試合数が大きく増えたことで、ヨーロッパの舞台で活躍するビッグクラブにとっては、毎週2試合のスケジュールが当たり前のことになっている。

これが監督にとって何を意味するかといえば、シーズン中は毎日が試合と移動と休息・回復の繰り返しで、組織的な戦術をチームに浸透させる時間などほとんどないということである。必然的に、監督は組織的な戦術よりも個人の能力に依存する度合いを高めざるを得ない。

こうしてカルチョのトレンドは、期せずして「並みの兵隊はみんなで後ろに引いてゴールを守り、攻める時にはそれまで休んでいた芸術家、つまりファンタジスタが活躍する」というかつてのサッカーに回帰しつつあるように見える。

そろそろプレーヤーとしての旬を迎えようとしているトッティやデル・ピエーロ、そして彼らに続くピルロ、カッサーノといった若きファンタジスタにとって、これは心から喜ぶべきことに違いない。そしてもちろん、キャリアの最後に、持てるファンタジーアを思う存分発揮する機会を得たロベルト・バッジョにとっても。

7.ファンタジスタと現在のサッキ

ある意味ではカルチョの世界に「ファンタジスタ冬の時代」をもたらした張本人ともいえるが、やはり尊敬すべき名監督アリーゴ・サッキは、現在、評論家としてTV、新聞で活躍している。その彼にも、ファンタジスタ礼賛とディフェンス第一主義の関連について、コメントを求めてみた。返ってきたのは、次のような言葉だった。

「そのふたつは矛盾してはいない。むしろ互いに結びついているといった方がいいだろう。現在のイタリアのサッカーは組織よりも個人、必然性よりも偶発性に頼る傾向が強い。組織的なサッカーを通じて美しいスペクタクルを見せ、結果を出すことができないから、ひとりのスター、特に10番のプレーにスペクタクルを求め、彼が試合を解決してくれることを望むのだ。

組織的な攻撃サッカーを完成させるためには時間と労力と自己犠牲が必要だが、今は誰もそれを費やすことを望まない。そのかわりに金を費やしてスター選手を買い、彼らにスペースと自由を与えることで解決しようとする。私のミランはそうではなかった。確かに素晴らしい選手たちが揃っていたが、組織としてスペクタクルな攻撃サッカーを実現していた。そして結果もね」

サッキは常々、ここ1-2年イタリアで再び主流となった、中盤と最終ラインが引き気味に位置し、ボールを奪った後は前線に配した2-3人のワールドクラスに預けて彼らの個人能力に解決を委ねるというサッカー(3-4-1-2の大半はこれだ)を、上と同じ論理で批判している。11人の選手があたかもひとりの選手であるかのごとく有機的に結びつき、組織的に守り、攻めることが理想、という彼の信念は、今も変わることがない。

「私は個々の選手の個性やファンタジーアを組織やシステムのために犠牲にすべきだ、と言っているのではない。個性やファンタジーアは組織やシステムの中でこそより効果的に発揮されるものだ、と言っているのだ。制約すべきなのは、個性やファンタジーアを発揮すること自体ではない。それらを何の脈絡もなく発揮することだ」
 
8.史上最高のファンタジスタは?

最初に登場したルッケーゼ監督、ヴィシディは語る。
「私は、史上最高のファンタジスタはマラドーナだと思う。あれほど意外性に富んだとんでもないプレー、しかも信じられないほど効果的なプレーを見出す能力に長けた選手はいない。

マラドーナと比べれば、ジダン、トッティ、ルイ・コスタといった現代のファンタジスタのプレーは、ずっと合理的だ。ヨーロッパで一番ファンタジーアに富んだプレーをしていたのは、おそらく全盛期のロベルト・バッジョだろう。彼はイタリアで一番南米に近いプレーヤーだ。

サッカーには民族や文化が反映されるものだ。私は今までスウェーデン人のファンタジスタを見たことはないし、ドイツやオランダのプレーヤーでファンタジスタと呼ばれる選手のプレーは、ヨーロッパでもラテン系の国々のファンタジスタと比べると、ずっと合理的で論理的だと思う。そうそう、ナカタは、ファンタジスタの中では最も合理的なプレーヤーだ。意外性に富んだ解決を生み出すファンタジーアはラテン民族の専売特許なのかもしれない」■

(2000年11月8日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。