イタリアでは年明けと共にカルチョ・メルカート(移籍市場)が再開したが、今年は昨シーズンの中田(ペルージャ→ローマ)のような大型移籍が起こる気配はない。ポボルスキー(ベンフィカ→ラツィオ)とエジムンド(バスコ→ナポリ)がちょっと目を引いた程度だろうか。

そのかわり、と言ってはなんだが、やけに波乱含みなのが監督たちの動向だ。前回お伝えした通り、年明け早々にパルマ(マレサーニ→サッキ)とラツィオ(エリクソン→ゾフ)という2人の元イタリア代表監督がセリエAのベンチに復帰。

ミランは今シーズン末で契約の切れるザッケローニとの“離別”が確定的で、その後任としてフィオレンティーナのテリムにアプローチ中。フィレンツェでは、売り出し中のトルコ人監督を引き留めようと必死の努力が続いている。本気でセリエB降格の心配をしなければならなくなってきたインテルには、タルデッリを解任してリッピが復帰という冗談のような話まで出ている始末だ。
 
10月、開幕戦の直後にそのリッピが解任された時、このページに次のように書いた。

「必要以上に膨張した期待と幻想は、必要以上のプレッシャーをピッチの上の監督や選手にもたらす。そして、ほんの小さな最初の躓きが、必要以上に誇張された失望と苛立ち、そして憎悪を引き起こし、それがまた暴力的にピッチの上にのしかかる。

インテルというクラブの体質はさておくとして、リッピはおそらく、そうしたネガティブ・フィードバックの今シーズン最初の犠牲者だった。そしてまだシーズンは始まったばかりだ。」
 
それから3ヶ月経ってみると、いわゆる「ビッグ7」のうちさらに2つのクラブで監督が交代し、開幕当初の監督の中で、来シーズンもその地位が安泰なのはおそらくカペッロ(ローマ)とアンチェロッティ(ユヴェントス)の2人だけ。“犠牲者”の数は着実に増えている。
 
さて、前回お伝えしたサッキと並び、セリエAのベンチに復帰したもうひとりの元イタリア代表監督がディノ・ゾフ(ラツィオ)である。

エリクソン前監督が今シーズン一杯でラツィオを去り、イングランド代表監督に就任することが公になって以来、ラツィオの周辺、特にマスコミの間では、早晩、チーム内の緊張感が途切れ結束にもひびが入るに違いない、という声が少なくなかった。

あと数ヶ月で辞めるとわかっている監督に選手がついて行くわけがない、2年前の98/99シーズン、シーズン終了後のリッピ退任が明らかだったユヴェントスに起こったことが、ラツィオでも再現されるはずだ、というわけだ。

もちろん、エリクソンはこれに「ラツィオの選手たちはトップレベルのプロフェッショナルだ。そんなことが起こるはずはないし、起こってはならない。私はシーズン終了までラツィオの監督を続ける。チャンピオンズ・リーグの可能性もスクデットの可能性も、まだ十分に残っているではないか」と、真っ向から反論してきた。

しかしラツィオは、チャンピオンズ・リーグ(2次リーグ)では敗退の危機に瀕し、セリエAでも首都のライバル、ローマにポイント差を広げられる一方。クリスマス休みには、それまでエリクソン支持を強く主張し続けていたセルジョ・クラニョッティ会長も「エリクソンを解任するつもりはない。だが、辞任するというのなら意向は尊重せざるを得ない」と、遠回しの辞任勧告ともいえるコメントを出すに至った。

そして、巻き返しへのスタートとなるべきだった休み明け、1月7日にホームのオリンピコで行われたナポリ戦、ラツィオは、前半に2失点、後半もちぐはぐな戦いぶりで40分にPKで1点を返すのが精一杯という展開で、1-2の完敗を喫する。

試合後のインタビューでは、従来通り、辞任するつもりはないと繰り返していたエリクソンだったが、オフの月曜日を挟んで練習が再開する火曜日、ローマ郊外・フォルメッロの練習場に着くと、その足でロッカールームに向かい、クラブ役員よりも先に、選手たちに辞意を告げた。

「決めたのは今朝、ここ(フォルメッロ)に来る途中だ。いつものガソリンスタンドに車を止めた時、私は辞任すべきだということがはっきりとわかった。理由はひとつだとも言えるし1000あるともいえる。しかし、最も大きいのは、結果が出ていないという事実だ。カルチョの世界では結果がほとんどすべてなのだから」

これが、その日の昼に行われた辞任記者会見での発言である。
 
そして後任に選ばれたのが、欧州選手権準優勝を最後にイタリア代表監督を退いた後、再びラツィオの副会長に収まっていたゾフだった。96/97シーズンに、ゼーマン解任の後を受けて、会長にとどまったまま監督として現場復帰したのと、ほぼ同じシチュエーションである。

「私はラツィオというファミリーの一員だ。一家に緊急事態が起こり、助けを求められたときに、後に引くわけにはいかない。世の中がこれだけグローバルになっても、ひとつの家族とのつながり、参加意識というものは、少なくとも私の中では大きな価値を持っている」(就任記者会見で)

4年前に現場復帰したときには、空中分解寸前だったチームを短期間で立ち直らせ、上位に復帰させた。ちょうどその頃、ある仕事でフォルメッロを訪れた時に、ゾフがこんなことを言っていたのを思い出す。

「私は何もやっていないんだよ。神経質になっていたチームが落ち着きを取り戻す手助けをしただけだ」。シーズンも終盤を迎え、UEFAカップ出場権をすでに確保した後だったこともあるだろうが、練習場を支配していたのは、いい意味でリラックスした空気だった。

ラツィオは、ベンフィカからポボルスキーを獲得し、戦力的に最大の穴だった、セルジオ・コンセイソンが抜けた右サイドを手当てしたばかり。あの時と同様、いやそれ以上に、チームとしての土台は安定している。今回もまた、心理的なマネジメントがゾフ監督の仕事の核になるはずである。
 
「チームの不調がどんな要因によるものなのか、身近に見ていたわけではないので、すべてを把握してはいない。しかし少なくとも言えることは、偉業を繰り返すのは、それを達成するよりもずっと困難だということを、十分に理解していたとはいえないということだ。前と同じだけの努力では十分ではない。

より大きな力を傾けなければならない。それができなければ、前と同じだけの結果を残すことすらできない。そのプラスアルファが足りなかったということだ」(就任記者会見で)
 
果たして、ゾフ就任後のラツィオは、2戦2勝と勢いを取り戻し、首位ローマとの差も、(ローマがコケたおかげで)エリクソン辞任時の11ポイントから、一気に射程圏内の6ポイントにまで縮まった。

クラブとチームを取り巻いていた神経質な空気も一変、今週のインテル戦で先制ゴールを決めたクレスポは、「今になってやっと、エリクソンが求めていたサッカーができるようになった」と語っている。
 
とはいえ、監督交代という手段は、即効性はあるが持続性はまったく保証できないカンフル剤のようなもの。リッピ解任後のインテルがそのいい例である。ゾフにしても、サッキ(就任後2戦2分)にしても、チームの成績が悪くなれば、手のひらを返したように叩かれるのは目に見えている。もちろん、それを最もよく知っているのは、彼ら自身だろうが…。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。