昨年、3回に渡って「中堅クラブの未来」というタイトルで、「カルチョ・ビジネス」の時代に地方の中小クラブが生き残っていく道はどこにあるのか、という話題を取り上げた。今回は久々にその続き。

ナポリ、サンプドリア、トリノといった、歴史と伝統を誇るかつての中堅クラブがセリエAとBの狭間でもがき続けている中、この数年、スクデットには手が届かないながらも、毎年確実にUEFAカップ出場権を手にしている唯一といっていい地方都市のクラブがある。ウディネーゼである。

イタリア北東のはずれ、スロヴェニア国境に近いウーディネ(人口10万人)を本拠地とするこのクラブは、戦後になってセリエAに顔を出し始め、50-60年代に計11年間、80年代にも8年連続でセリエAに定着するなど(この間、ジーコも2シーズン在籍している)、地方の中小クラブとしてはまずまず華々しい結果を残してきたが、80年代末からはAとBを往復する「エレベーター」クラブに後退していた。

レベル的にいえば、アタランタ、ブレシア、バーリ、レッチェあたりと同格というイメージである。94-95シーズンにガレオーネ監督(現ペスカーラ)の下で勝ち取ったA昇格は、90年代に入って早くも3度目というめまぐるしさだった。

しかし翌95-96シーズン、Bのヴェネツィア、コゼンツァで攻撃的な「サッキアーノ」として売り出し中だった若手監督、アルベルト・ザッケローニ(当時はサッキ流の4-4-2の使い手だった)を迎えたウディネーゼは、Bのアスコリから獲得したビアホフの活躍(17ゴール)もあり、チームのほとんどが前年Bを戦ったメンバーだったにもかかわらず、11位という昇格組としては上々の成績で、余裕のA残留を勝ち取る。

それからの躍進ぶりはまだ記憶に新しいところだろう。96-97シーズンは、とある偶然(ユーヴェ戦試合開始直後のジェノーの退場劇。ウディネーゼは残り88分間をそのまま3-4-2で戦い、3-0で快勝した)から生まれた3-4-3システムの導入を転機に、シーズン終盤に猛烈な追い上げを見せ5位。クラブ史上初めてのUEFAカップ出場権を獲得する。

その3-4-3がチームに定着し、機械のように精密に機能した97-98シーズンは、前年よりもさらに順位を上げ、プロヴィンチャーレ(地方都市の中小クラブ)としては驚異的といっていい3位という成績を残した。

これが真に価値ある偉業といえるのは、この年のチームの主力を占めていたのが、ベルトット、カローリ、ピエリーニのDF陣をはじめ、ヘルヴェグ、ポッジなど、3年前にセリエBを戦った当時のメンバーだったためだ(ビアホフ、ジャンニケッダ、バキーニなどにしても、事実上ウディネーゼが初めてのセリエAだった選手である)。

そんなチームが、ポスト・ボスマン時代に入り大物外国人選手を買い集めていたビッグクラブを後目に、ユーヴェ、インテルに次ぐ3位に入ったのだ。ザッケローニが3年間かけて作り上げたこの年のウディネーゼは、まさに「宝石」と呼ぶにふさわしい、本当に美しいジオメトリックなサッカーを見せるチームだった。
 
しかし、ウディネーゼがクラブとして傑出していることを示したのは、むしろその後の2年間の方である。

98-99シーズン、躍進の立役者であったザッケローニ監督、前年27ゴールを挙げて得点王に輝いたビアホフ、そしてヘルヴェグがミランに去る。

前の年に好成績を残した中小クラブの主力選手(や監督)にビッグクラブの手が伸びるのはカルチョの世界の必然である。選手にとっては一生に一度しかないかもしれないキャリアアップのチャンスであり、クラブにとっても決して楽ではない財政を潤す絶好の機会だから、いいオファーが来たら主力選手を手放さないわけにはいかない。

しかし、ここにはひとつの罠が潜んでいる。その後も戦力を維持し、獲得した地位を守ることは並大抵のことではないからだ。

この年のウディネーゼは、ザッケローニ、マレサーニなどと共に若手の監督としてはトップレベルの評価を受けていたフランチェスコ・グイドリンをヴィチェンツァから迎えたが、チームの方は特に大きな補強をすることもなく、事実上、主力2人が抜けたそのままといってもいい状態でシーズンに臨んだ。

前年大健闘したチームが下降線をたどり始める典型的なパターン、と誰もが思ったとしても、不思議ではないだろう。

ところが、シーズンが始まってみれば、前年わずか5ゴールだったアモローゾがゴールを量産し、ヘルヴェグの抜けた穴もより攻撃的なウイングプレーヤー、ヨルゲンセンが見事に埋めて、安定して上位を守り続ける。

最終成績も、6位ユヴェントスと同ポイントの7位。そのユーヴェとのプレーオフにも勝って、見事に3年連続でUEFAカップ出場権も確保した。
 
そして今シーズン。ウディネーゼは、アモローゾ、バキーニ、ワレム、ピエリーニ、カローリと、レギュラー陣の半分近くを放出する。今回は、カリアリからムッツィ、パルマからフィオーレと、2人の主力級を手当てしたものの、一見すると戦力低下は否めないところ。

しかも、グイドリン前監督が、シーズン終了後、クラブに無断でサラゴサ(スペイン)と接触したことでポッツォ会長の怒りを買い、解任されるという予想外の出来事もあった。他のチームがすでに次期監督を決めた後ということもあり、非常に限られた選択肢の中から選ばれたのが、前年Bのペスカーラを率いて望外の5位という好成績を挙げたルイジ・デ・カーニオ監督だった。

そのデ・カーニオ(セリエAはこれが初采配)率いる、99-2000バージョンのウディネーゼが今どこにいるかは、読者の皆さんもご存じの通り。シーズン終了まであと4試合を残して45ポイントを挙げ、「7人姉妹」の一角を切り崩す7位に居座るという健闘ぶりである。

今や、ザッケローニ時代からのレギュラーで残っているのは、トゥルチ(GK)、キャプテンのベルトット(DF)、ジャンニケッダ(MF)の3人のみ。スターティング・メンバーに顔を連ねているのは、あまり聞いたことのない不思議な名前の若い外国人選手ばかりだ。

―と、実はここからが「中堅クラブの未来」というテーマに関わる本題なのだが、前振りが長くなりすぎて、紙幅が尽きてしまった。次回は引き続き、ウディネーゼの「ポスト・ボスマン時代の外国人選手青田買い戦略」に焦点を当てて、この話をまとめたいと思う。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。