イタリア代表はベスト8で開催国フランスに敗れ、ワールドカップを去った。90年、94年に続く3大会連続のPK負けという、理不尽といえば理不尽この上ない結果である。しかし、ディフェンシヴな戦術に固執し、ほとんど攻撃の糸口をつかめないまま120分を終えたという試合内容から見る限り、ベスト4に進む資格があったのは、やはりフランスの方だと言わざるを得ないだろう。

さて、敗退から数日を経たイタリアの空気はというと、不思議なことに、思ったよりもずっと穏やかである。もちろん、チェーザレ・マルディーニ監督の責任を問う声は各方面から上がっており、同監督が9月から始まる2000年欧州選手権予選の指揮を執ることもおそらくないだろう。

しかし、ベスト8というイタリアとしては早い段階で敗退したにもかかわらず、前回、決勝でブラジルに敗れた後に、アッリーゴ・サッキ監督(当時)に向けられたような、ヒステリックな批判は全くといっていいほど見られない。それは、マルディーニが、サッキとは反対に、イタリア国民、そしてマスコミのかなりの部分から、常に好感を持って受け入れられてきたことと無関係ではない。

サッキは、国民に愛される監督ではなかった。選手の技術や才能よりも、自らの戦術理論を優先したチーム作りは常に批判の対象となり、自らのメソッドに深い確信を持つがゆえの妥協を許さない態度や物腰は、しばしば尊大さ、傲慢さと受け取られて、人々(マスコミから国民まで)の反感を買った。

「結果」がついてきているうちはそれでもまだ良かった。しかし、96年6月の欧州選手権が一次リーグ敗退という期待はずれの結果に終わり、続くワールドカップ予選でも精彩を欠く戦いぶりを見せたとき、イタリア代表はホームの観客からも容赦のないブーイングを浴び、ある調査によれば国民の8割以上がサッキ退任を求めるという事態になってしまったのである。イタリアの人々にとって、サッキというパーソナリティは、まず感情的なレベルで受け入れ難い存在だったのだ。

その後任の監督選びにおいて、サッキが「反面教師」となったのは、だからある意味では必然だった。代表と国民との間の心理的距離が開いてしまった中、何よりもまず「国民から愛されるイタリア代表」を取り戻すことが至上命題だったのである。

そして選ばれたのが、伝統的なディフェンシヴ・サッカーを奉じる点からも、好感の持てる父親のようなパーソナリティからしても、サッキとはまったく正反対のマルディーニだった。「振り子」が反対に振れたようなものである。

そのマルディーニ監督は、就任直後にウェンブレーでイングランドを破って、一気にイタリア中の熱狂と支持を勝ち取る。そして、ワールドカップ出場権を得るまでのその後の歩みが決して順調ではなく、その守備的な戦術がしばしば批判を浴びたにもかかわらず、マルディーニに対する国民の支持は不思議と揺るがなかった。

それはおそらく、チームの戦いぶりはともかく、これまでこの連載でも何度か取り上げてきたマルディーニ監督のチーム・マネジメントが、イタリアの人々から(感情的なレベルで)共感を得ていることの表れだろう。その意味で、マルディーニ監督は、少なくとも「国民から愛されるイタリア代表」を取り戻すことに成功した優秀な「マネジャー」ではあったのである。

しかし、純粋に「コーチ」としての側面から見れば、マルディーニ監督が批判を免れることは難しい。まさに「カテナッチョ」そのものといえたフランス戦での守備的な戦術と、その結果として、強力なFW陣というリソースを有効に活用しきることなく、0-0の後PKで敗れるという結果は、イタリア代表の潜在的な力から見ても満足できるものではないだろう。

事実、「我々はイタリアの攻撃を恐れていた。しかし彼らは、全員が自陣内にとどまり、全く攻めてこない。これは本当に大きな贈り物だった。彼らは最強の攻撃陣を文字どおり無駄にした」というフランスの選手たちの試合後のコメントは、イタリアにとっては屈辱的なものだった。

今回のワールドカップで準決勝に残った4ヶ国が、いずれも「点を取って勝つサッカー」を志向していたこと、またそれ以上に、今やセリエAの大半のチームが、マルディーニ監督のサッカーとは異なり、ゾーン・ディフェンスをベースにした比較的攻撃志向の強いサッカーを選んでいるという事実を踏まえれば、やはりマルディーニ監督にはここでお引きとり願った方がいいだろう、というのが、現在のイタリアの「空気」である。

フランス戦敗退後にも「我々は大きなリスクを犯すこともなくよく戦った。選手たちの戦いぶりには満足している」という、ノルウェー戦終了時とまったく同じようなコメントを残したマルディーニ監督の「限界」も、イタリアの人々はよくわかっているのである。

次期監督の有力候補は、現在ラツィオの会長を務めるディノ・ゾフ。ポスト・サッキの監督選びの際には、現場から数年間離れていることが大きな否定的要因になったが、昨シーズン、ゼーマン解任の後を受けてラツィオを建て直したことで、それも解消された。

「急進派」のサッキから「超保守派」のマルディーニに振れた振り子は、次はその中間に収まろうとしているようである。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。