一昨日、UEFAの公式サイトに、「リーガ・エスパニョーラ1部では今後、すべてのアフリカ人選手がEU国籍選手と同じ扱いを受けることになる」というニュースが載っていました。スペイン議会で昨年、アフリカ、カリブ、太平洋諸国出身の労働者を、EU国籍保有者と同等にみなすという「コトヌ協定」(EUが2000年に署名)が批准されたのを受けた措置とのこと。

それを読んで、2年ほど前に以下のような原稿を書いたことを思い出しました。今回の措置の恩恵を受けるのは、ディアッラ(レアル・マドリー)、エトー、トゥーレ(バルセロナ)、アルナ・コネ(セヴィージャ)といった、本当に一握りのエリートだけです。アフリカからやって来た何千人というプレーヤー(とその予備軍)の立場は、何も変わらないままでしょう。

それでも彼らは、自分の能力と運だけを頼りに、ディスペラートな戦いを続けています。そしてその中には、少しずつ力をつけて階段を上っていく選手たちもいます。この原稿で取り上げたうちのひとり、ギニア代表のイブラヒマ・カマラくんは、今はフランスリーグ1部のル・マンで、松井大輔のすぐ後ろでプレーしています。

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先週末からエジプトでアフリカネーションズカップが始まった。身体能力ばかりがクローズアップされがちなアフリカンフットボールだが、近年はヨーロッパ的な戦術主義が浸透して、見る者を唖然とさせる野放図な魅力は薄れつつある。

実際、思ったよりも退屈な試合が多い印象なのだが、国の看板と威信がかかったこの種の大会で、ピッチ上の空気が勝利への意欲よりも敗北への恐怖に支配されるというのは、世界中どこでも同じである。

しかし、ナイジェリア対ガーナがそうだったのだが、そんなガチガチの攻防が続いた末、とんでもないひとつのスーパープレー(ロベルト・カルロスばりの30m弾丸ロングシュート)で試合の行方が決まるところなど、いかにもアフリカらしいディテールには事欠かないのだが。

TVで試合を見ていて改めて気付かされるのは、アフリカ諸国の代表としてプレーしている選手の大半が、ヨーロッパのクラブでプレーしているという事実だ。中には、移民二世としてヨーロッパで生まれ育ち、二重国籍を持ちながら両親の母国の代表としてプレーすることを決めた選手もいる。

しかし大部分は、10代の時に現地でスカウトされ、両親や家族と離れて単身ヨーロッパに渡り、そこから這い上がって現在の地位を勝ち取った選手たちだ。

「スカウトされた」といえば聞こえはいいが、実際には、「目をつけられて買い取られた」とか、「騙されて連れてこられた」とかいうケースの方がずっと多いといわれる。

内戦や政治的混乱による極貧が日常化しているブラックアフリカ諸国の子供たちにとって、サッカー選手としての成功は、唯一最大の夢であるといってもいい。そして、そこにつけ込んで一儲けしようという怪しげな代理人も少なくない。

ベルギー、フランス、ポルトガル、イタリア、スペインなどから乗り込んだ彼らは、アフリカでもサッカーが盛んなセネガルからカメルーンにかけての西アフリカ大西洋岸の国々で、人買いのように跋扈している。

貧困の底で暮らし失うもののない子供たちは、ヨーロッパに連れて行ってやる、という甘い言葉にあまりにもたやすく乗せられてしまう。

それどころか、積極的に自らを売り込みさえする。ナイジェリアの首都ラゴス、オニングボ地区にあるエヴァンス・スクエアという広場では、そうした代理人たちが、集まってきた子供たちに小遣い銭を渡し、チーム分けしてサッカーをやらせ、目立った子供を「スカウト」するという、人買い市場みたいなセレクションを連日、朝から晩まで行っているのだという。

現在インテルでプレーするナイジェリア代表“オバオバ”・マルティンスは、このエヴァンス・スクエアで見出され、地元のサッカースクールに入って、そこからイタリアに「輸出」された。

マルティンスのような選手をひとり発掘すれば、代理人は数千万円の金を手に入れることができる。だが、ひとりのマルティンスが生まれる背後には、そうやってヨーロッパに連れてこられた何千人もの子供たちがいる。

その何千人の中には、ヨーロッパに着いてほんの1回、どこかのクラブのテストを受けただけで見込みがないと放り出され、代理人に見捨てられて一文無しで路頭に迷う子供も少なくないといわれる。そうでなくとも、トップチームに上がってプロサッカー選手としての地位を確立できる選手は、ほんの一握りだ。

イタリアでは2002年にEU外選手枠が大幅に縮小されたため、アフリカ人選手の数は年々減少している。しかしそれまで、セリエA、Bのクラブの育成部門には、数多くのアフリカ人選手が所属していた。年齢は15歳から18歳。クラブが借り上げたアパートメントや寄宿舎に住んで、午前中は地元の高校に通い、午後は練習、という生活である。

当時、筆者が時々顔を出していたセリエA某クラブのプリマヴェーラには、ナイジェリア人がひとりとギニア人がふたり、合わせて3人のアフリカ人選手がいた。ギニアの2人も国籍は同じだが部族は違うらしく、母国語ではなくフランス語やイタリア語で会話をしていた。

そこにナイジェリア人が混じると、今度は英語とイタリア語のちゃんぽんになった。学校に行っていたのかどうか、午前中に寄宿舎に顔を出すと、TVに張り付いてプレステのサッカーゲームをやっていたりした。どういう経緯でイタリアに来ることになったのか、と訊ねてみたこともあるが、誰もあまり詳しくは話したがらなかった。

3人のうち、トップチームに上がることができたのは、1人だけだった。それから3年、最近やっと頻繁にセリエAのピッチに立つようになった彼は今、ギニア代表の一員としてアフリカ・ネーションズ・カップを戦っている。

残るふたりのうち、ナイジェリア人は別のセリエAのクラブと契約したが芽が出ず、2年後にベルギー1部リーグ下位のクラブに移籍。そこでも出場機会が得られなかったようで、今シーズンは地中海の小国マルタでプレーしている。10試合に出場して3ゴール。チームのホームページには「今シーズンのマルタリーグで最も輝いている1人」と書いてある。

3人の中で一番見込みがありそうだったもう1人のギニア人は、セリエBのクラブと契約したが、ベルギー2部、そしてセリエC2(4部リーグ)のクラブにレンタルされた末、ほとんど試合に出場することなく昨年夏に契約切れ。今はローマのガールフレンドの家に転がり込んで、冬の移籍マーケットでチームを探している最中だと人づてに聞いた。■

(2006年1月24日/初出:『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」#57)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。