2014年10月16日 クラブ

アンチェロッティ、ミラン監督就任劇の真相(2001.11)

ばたばたして間が空いてしまいました。数少ない読者の方々には申し訳ないことです。

もうすぐ日本でクラブワールドカップが開催されるということで、一応その本命ということになっているミラン・アンチェロッティ監督が、6年前の11月に途中就任した当時、その経緯をまとめた原稿です。もしインザーギがトリノ戦でPKを外していなかったら、ここ数年の欧州サッカー界はまったく違ったものになっていたというスライディングドアな話。

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「ミラン、ファティフ・テリム監督を解任。後任はカルロ・アンチェロッティ」。
11月5日月曜日の夕方、イタリアを駆けめぐったこのニュースは、驚きと納得という、ふたつの相反する反応をもって迎えられた。

「驚き」の理由はいくつかある。前日に行われたアウェーのトリノ戦でシーズン2敗目を喫したとはいえ、首位からわずか5ポイント差の5位に位置するミランが、しかも開幕からまだ9試合しか終えていないこの時点で、あえて監督交代に踏み切ると見る向きは、決して多くなかった。

監督問題で注目を集めていたのはむしろ、10月30日にウリヴィエーリ監督が自らの解任をクラブに提言してチームを去って以来、監督不在の状況に置かれて1週間が経とうとしているパルマだった。そして、その後任の最有力候補として取り沙汰されていたのが、ほかでもないアンチェロッティの名前だった。事実、パルマの周辺では、この5日のうちにもクラブから監督就任の正式発表があるはず、と見られていたのである。

だが、この意外なニュースが、しかし人々を妙に「納得」させる内容であったことも、もう一方の真実である。アドリアーノ・ガッリアーニ副会長をはじめとするミランの首脳が、テリム監督の指導法や戦術的選択に不信感を抱き始めていることは、もはや公然の秘密だった。そして、そのミラン、とりわけシルヴィオ・ベルルスコーニ会長が何年も前から、いつかはアンチェロッティを監督に、と考え続けてきたこともまた、広く知られた事実だったのだ。
 
最終的な決め手になったのは、2つのクラブの決断力の差だった。ミランは、たった14時間の間にすべての決着をつけた。ところがパルマは、レンツォ・ウリヴィエーリが去ってから6日経っても、まだ監督不在のままだったのだ。
 
昨シーズン終了後にユヴェントスを解任され、浪人中だったアンチェロッティに接触し、監督就任を打診したのは、ミランよりもパルマの方が早かった。

チャンピオンズ・リーグ予備戦で伏兵リールに敗退するという最悪のスタートを切り、カンピオナートでも結果以前に内容が伴わない試合が続いていたこともあって、パルマの周辺ではすでに9月の終わり頃から、ウリヴィエーリ監督解任の噂が飛び交い始めていた。当初、ステーファノ・タンツィ会長を初めとするクラブ首脳は、懸命にこれを否定する。メンバーが少なからず変わったこともあり、チームの骨格が固まるまでにはある程度の時間を必要とするのは当然、ウリヴィエーリにはその時間を与えるべき、という主張である。

しかし、アウェーでキエーヴォになすすべなく敗戦を喫したのに続き、10月28日、ホームのヴェローナ戦で試合終了間際にやっと2-2に追いつくという不甲斐ない戦いぶりを見せるに至って、監督を擁護し続ける表向きの姿勢とは裏腹に、クラブの内部では後任監督探しの動きがにわかに活発になる。

パルマのオーナーであるカリスト、ステーファノのタンツィ父子が、アンチェロッティを呼び戻したいと考えていることは、この時点ですでに明らかだった。すぐに招聘可能な浪人中の監督としては最高ランク。しかもセリエC時代のパルマから巣立ち、監督としても史上最高の2位(96-97シーズン)にチームを導いた実績を持つ「ファミリーの一員」だ。パルマにとって望みうる最良の選択肢であることは間違いなかった。

ところが、クラブの強化最高責任者エンリコ・フェデーレと、スポーツ・ディレクターのファブリツィオ・ラリーニは、まったく別の方向に動き出していた。昨シーズン、インテルを率いていたマルコ・タルデッリを監督に据えようとしたのだ。この不可解な動きの理由が明らかになるのは、数日後の話である。

困難な立場に置かれた自分を守り支えてくれるどころか、見放して次期監督探しに奔走する首脳陣の姿を見て、ウリヴィエーリは筋の通った決断を下す。10月30日火曜日、パルマラットの本社にオーナーのカリスト・タンツィを訪ねると、こう切り出したのだ。「もし私がパルマの経営者だったら、今ここで監督を解任しますね。監督としてチームをまとめていくための立場の強さが失われてしまった」。タンツィに返す言葉がなかったことは言うまでもない。

こうして監督不在の状態に自らを追い込んでしまったパルマは、かつてアリーゴ・サッキの片腕だったGKコーチ、ピエトロ・カルミニャーニを、とりあえずの監督代行とすることを決める。この時点ですでにタンツィ親子は、フェデーレとラリーニが提案したタルデッリという選択肢を、(何の未練もなく)却下している。後任監督候補はふたりに絞られていた。第一候補はアンチェロッティ、第二候補はアルゼンチン、ウルグアイの代表監督を務めたダニエル・パッサレッラである。

タンツィがアンチェロッティを改めて自宅に招き、監督就任を正式に要請したのは、翌31日夜のことだ。翌日の新聞各紙は、アンチェロッティが受諾の条件として次の2つを求めたと報じている。

ひとつは、途中解任の場合には巨額の違約金を支払うことを条件とする、最低3年の複数年契約で、年俸は最低50億リラ(約2億8000万円)。スクデット獲得を義務づけられたビッグクラブでは、解任の不安に怯えることなく、腰を落ち着けてじっくりとチーム作りに取り組むことなど、もはや望めない。だがパルマならば、それを強く望みさえすれば、決して不可能ではない。
 もうひとつは、クラブの強化責任者に、全面的な協力関係が築ける信頼できる人物を起用することだった。これは、クラブの強化部門と監督が理想的なコラボレーション体制を築くために欠かせない布石である。第一候補として挙げられた名前は、アンチェロッティにとって「師匠」ともいえるアリーゴ・サッキだった。

問題は、これが現在の強化責任者、フェデーレとラリーニの退陣要求をも意味していることだ。実は、パルマが98年にアンチェロッティとの契約を更新せず、フィオレンティーナからアルベルト・マレサーニを招聘したとき、その中心となったのがこの2人だったのだ。これが、彼らがタルデッリを監督に据えようとした理由というわけだ。

いずれにしても、ユーヴェからパルマへという、監督としてのキャリアにとっては「一歩後退」となる選択をあえて受け入れるとすれば、アンチェロッティにもそれだけの理由とモティベーションが必要になる。何よりもまず彼がこだわったのは、時間をかけて理想のサッカーを追求する環境が整っていることだった。
 
「新聞が書いていることは全部本当だよ。どうしてあんなに話が洩れるのかわからないが…(苦笑)。いずれにしても私はすでに、行ってもいいとはっきり返事した。あとは彼らが決断するだけだ」。

これは、タンツィの会談から2日経った11月2日金曜日、アンチェロッティが筆者に語った言葉である。タンツィ父子は、この前日にアルゼンチンから呼び寄せたパッサレッラと会談しており、まだ最終的な決断を下せずにいたが、アンチェロッティの方は、すっかり覚悟ができているようだった。別れ際に彼は言った。「ナカタのことは心配しなくていいよ。私が置き場所を考える」。「ベンチですか?それとも観客席?」と混ぜっ返すと、真顔でこう言ったものだ。「何言ってるんだ。ピッチの上だよ。じゃあ来週パルマで会おう」。

そのさらに2日後、4日の日曜日。パルマは、カルミニャーニ監督代行の下、例によって試合終了間際にゴールを決めてペルージャを下し、久しぶりの勝ち星を挙げる。外部から見る限り、監督問題を巡る状況に変化はなかったが、クラブの周辺には、後任監督はアンチェロッティで間違いなし、正式発表も時間の問題、という空気がはっきりと漂いはじめていた。

この日の夜、国営放送局RAIのスポーツワイド『ドメニカ・スポルティーヴァ』にゲスト出演したステーファノ・タンツィ会長は、「まだ監督の名前を発表する段階ではありません」と慎重に言葉を選んで語ったが、それが時間の問題であることは、誰の目にも明らかだった。事実、この時点ですでに、契約書にサインするためのアポイントメントが、翌5日午後3時にフィックスされていたことが、後で明らかになる。
 
夜10時半にスタートした『ドメニカ・スポルティーヴァ』が、この日最初に伝えたのは、トリノでつい数分前に終わったばかりのナイトゲーム、トリノ対ミランの試合結果だった。1-0でトリノの勝利。ミランにとっては、試合終了間際に得た同点のPKをインザーギが外したことが致命傷となった。

イタリア首相という職務に忙殺されているベルルスコーニ会長から、ミランの経営を一任されているガッリアーニ副会長は、この敗北の後、眠れぬ夜を過ごすことになる。

昨シーズン、ミランを翻弄したフィオレンティーナのサッカーに魅了されてテリムを招聘したものの、実際に目にした監督としての仕事ぶりは、彼にとって決して説得力のあるものではなかったようだ。それは、ブレシアと2-2で引き分けた開幕戦の試合後、早速テリムの選手起用に疑問を呈するコメントを口走った時点で、すでに明らかだった。

テリム率いるミランは、その後も毎試合先発メンバーを入れ替えつつ、前半はまったくダメ、しかし選手交代で修正した途端に豹変し、後半は好試合を展開する、という不安定な戦いを繰り返す。1-0でリードされて前半を終えながら、コントラを投入した後半に4点を叩き込んで圧勝したダービーはその典型だった。

しかし、その前後4試合の結果は2分2敗。チームとしての骨格はいまだに固まらないままだ。ガッリアーニはおそらく、この先も決して固まることがないのかもしれない、という不安を抱いたのかもしれない。

とはいえ、テリムが目指すような攻撃に人数をかけるサッカーは、チームの完成度を高めるために最も重要な攻守のバランスを取るまでに、より多くの時間を要求する。事実、昨シーズンのフィオレンティーナにしても、チームの骨格が固まり結果が出始めたのは、開幕から10試合を過ぎてからのことだった。

とはいうものの、ガッリアーニを最も悩ませたのは、もしこの「テリムというプロジェクト」の失敗が明らかになったときに、その後を託すべき相手、つまりアンチェロッティが、パルマと契約を交わそうとしていることだったに違いない。

そもそも、ミランにとって、昨シーズン一杯でザッケローニとの3年契約が切れた後、監督の座を委ねるべき第一候補は、ほかでもないアンチェロッティだった。ベルルスコーニ会長とガッリアーニ副会長は、「サッキのミラン」で中盤の要として数々のタイトル獲得に貢献して引退したアンチェロッティに、将来監督として戻ってくることを約束させたといわれている。事実、彼とユヴェントスとの契約切れを前にした今年2月、ミランはユーヴェに翌シーズン(つまり今シーズン)のアンチェロッティ獲得を打診している。

しかしこの時、ユーヴェから返ってきたのは、来シーズンも契約を更新する、という返事だった。それからほどなくして、アンチェロッティはユーヴェとの新たな2年契約にサインする。残した結果によって年俸の額が変わるという、過去には例のない内容だった。

その後、2年続けてスクデットを逃したことが引き金となり、ユヴェントスがリッピ招聘に路線変更した経緯は、読者の皆さんならご存じの通り。この時すでに、テリムと契約を交わしていたミランは、肩すかしを食らう格好になっていた。

もしここで、アンチェロッティがパルマと契約したら、あと数年は彼を招聘するチャンスがなくなる。おまけに、現在浪人中の監督に、テリム解任後を任せられるような人材はいない―。

眠れぬ夜を明かしたガッリアーニは、5日月曜日の朝、ベルルスコーニに承諾を取ると、アンチェロッティに電話をかけ、単刀直入にミラン監督就任を打診する。一瞬逡巡した後、返ってきた答えは「SI’」(イエス)だった。「一歩後退」して理想のサッカーを追求するよりも、「一歩前進」して念願のスクデットを勝ち取る道を選んだのだ。

ガッリアーニは、ゼネラル・ディレクターのアリエド・ブライダとともに、すぐにパルマ近郊・フェレガーラにあるアンチェロッティの自宅に車を走らせる。その手にはすでに、あとはサインするだけの契約書が握られていた。その文面は、アンチェロッティが8ヶ月前にユヴェントスと交わしたものと瓜二つ。ユーヴェと密接な関係にあるミランは、アンチェロッティとの契約破棄を承諾してもらうと同時に、その契約書のコピーまでも手に入れていたのだ。

こうして駆けつけたガッリアーニは、ほんの数時間後にパルマと契約するはずだったアンチェロッティに、ミランとの契約書へサインさせるという、文字通り電光石火の「強奪行為」に成功する。これがただの強奪と違う点はただひとつ、本人との合意に基づいているということだけである。トリノ戦で敗れてから、わずか14時間という早業だった。
  
「パルマと契約を交わす直前だったことは事実です。しかし最後になって、私の中でハートが理屈を打ち負かしました。それがミランでなければ、このような決断を下すことはなかったでしょう。私の地元であるパルマには申し訳なく思っています。この選択が理解してもらえることを祈っています」。これは、ミランと契約を交わした5日の夜、アンチェロッティが、自らのホームページ(www.calroancelotti.com)に掲載したコメントである。

翌日の記者会見でも、彼は「ハートの選択」を強調した。記者の間から意地悪な質問が飛ぶ。「カルロ、あなたはかつて“ローマの心臓”と呼ばれましたよね。そして、自分が育った心の町パルマで監督を始めた。今度は心のクラブ・ミランに帰ろうとしている。いったい、あなたにはいくつハートがあるんですか?」。アンチェロッティは、左の眉毛を釣り上げるとこう答えた。「たったひとつです。でも私のハートはとても大きいんですよ」。■

(2001年11月4日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

About tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。

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