気がついたらカレンダーは2009年に変わって1ヶ月以上も過ぎていますが、本アーカイヴの更新は終了したわけではありません。まだ残しておくべき原稿はたくさんあるので、引き続きアップしていきます。遅ればせながら、本年もよろしくご愛読のほどをお願いいたします。

というわけで今回は、ドイツワールドカップ明けの2006年8月末にミラネッロで行った、カカへのインタビュー。この時からそうでしたが、カカは対マスコミのガードが非常に堅くて、最近はもう独占でインタビューを取るのはほとんど不可能になってしまいました。

代理人兼マネジャーのボスコ・レイチ氏はご令息の商品価値を非常によく御存知なので、少なくともミランという枠の中では、コマーシャルオペレーション以外に何かをする可能性は皆無と言っていいのではないでしょうか。

ちなみに、11歳のカカに気前よくポケットマネーを奮発した炯眼の持ち主は、古くは加藤久、最近では佐藤寿人などを育て、近年は育成のみならず芝生のグラウンド普及など、地域サッカー振興に向けて多方面でご活躍の塩釜FC代表・小幡忠義氏(宮城県サッカー協会会長)です。

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「セリエAほど難しくてチャレンジングなリーグは他にないんだ」

チェルシーの金満オーナー、ローマン・アブラモヴィッチは1億ユーロ(約150億円)という巨額の移籍金を提示した。レアル・マドリードの新会長ラモン・カルデロンは、会長選挙の公約にその名前を使い、就任後もあらゆる手を使って獲得しようと試みた。ヨーロッパ中のすべてのビッグクラブが、夢の獲得リストの一番上に彼の名前を記している。

しかし彼はそんな誘惑には目もくれずにミランへの忠誠を誓い、第二の故郷とまで呼ぶミラノに腰を据え、セリエAを代表する絶対的な主役としてプラネット・フットボールのど真ん中で輝こうとしている。

リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ。家族は愛情を込めて「リカルド」と、チームメイトは親しみを込めて「リッキー」と、そしてそれ以外の全ての人々は憧れと崇拝のまなざしで「カカ」と、彼のことを呼ぶ。

――ワールドカップは残念でした。イタリアに戻ってきて、新しいシーズンを迎えるわけですが、意気込みを聞かせて下さい。
「意気込みはいつも変わらないよ。毎日少しずつでも自分を高めて、ピッチに立ったらチームの勝利にできる限り貢献すること。ミランは、常に勝利を目指して戦う偉大なチームだから、今シーズンも、カンピオナートとチャンピオンズリーグで優勝することが目標だし、ぼくにとっても、ミランの一員としてそれを勝ち取ることが一番の目標になる」

――今シーズンのイタリアサッカーは、ちょっと特殊な状況に置かれています。代表はワールドカップで優勝したけれど、国内ではカルチョスキャンダルがあって、クラブからはスター選手が国外に流出したりしている。今の状況をどう見ていますか?

「僕は、イタリアサッカーは生まれ変わりの時を迎えていると思うんだ。スキャンダルは確かに大きな問題だったけれど、今まで僕たちプレーヤーが知らないところで行われていたことが明るみに出て、過ちを犯した人たちが罰せられるのは悪いことじゃないし、正しいことだからね。

この機会に膿を出して出直すことで、セリエAはこれからも偉大なチーム、偉大な選手たちが戦う偉大なリーグであり続けることができる。今シーズンもこれまで通り、素晴らしいカンピオナートになると思うよ」

と、いかにも優等生らしい模範解答を返してくれたカカだが、彼もカルチョスキャンダルの余波と無縁ではなかった。不正行為の“主犯格”としてセリエB降格処分を受けたユヴェントスが、国内外のビッグクラブの草刈り場になる中、ミランもまた、副審の判定に影響力を及ぼそうとしたかどでポイント剥奪処分を受けるなど、そのイメージに大きな傷をつけた。

そこにつけこむように、“銀河系”を解体してカペッロ新監督の現実路線に方向転換し再建を目指すレアル・マドリードが、カカ獲得に動き出したからだ。

とはいっても、そのやり方は、世界一といっていい輝かしい歴史と伝統を誇る名門にふさわしいものではなかった。『マルカ』紙、『AS』紙をはじめとする地元スペインのマスコミに、いかにも本人が移籍に乗り気であるかのような情報を流して揺さぶりをかけたのだ。当然ながら「カカ、レアル移籍濃厚」というスペインでの報道は、イタリアでも大きなニュースになった。

だが、カカ本人はこうした周囲の騒音にもまったく動じなかった。「僕も、僕の家族もミラノでの生活にすごく満足しているし、だからミランとの契約も2011年まで更新したんだ。レアルが僕を欲しがってくれるのは嬉しいけれど、もし僕がレアルとの契約にサインすることがあるとすれば、それはミランがそれを望んだ時だけだよ。

誤解してほしくないのは、僕は何らかの決断を促そうとしているわけではまったくないということ。それは、レアルが偉大なクラブだというのと同じくらい明白なことだよ」。これは7月半ば、『AS』紙に掲載されたインタビューでのコメントだ。もちろんその気持ちは今もまったく変わっていない。

――夏の間は移籍の噂も流れましたが。
「あれは単なる根も葉もない噂だよ。僕はミラノから動くつもりはまったくないんだから。6月に契約を延長したばかりだし、ミランにも、ミラノという都市にもとても愛着があるからね」

――ミランへの愛着はよくわかります。以前から、このクラブの歴史に名前を残したい、って言っていますよね。でも、ミランも含めて、イタリアのサッカーは、あなたが生まれ育ったブラジルのサッカーとはかなり違う、戦術重視でどっちかというと退屈なサッカーですよね。ワールドカップでセレソンにどっぷりつかって、ああいう楽しいサッカーが懐かしくなりませんでしたか。

「セレソンでは、真面目に練習している時ですら、フェスタみたいに陽気な雰囲気があるし、確かに居心地はすごくいいよ。今回のワールドカップみたいに結果が出ないと、それをあれこれあげつらって叩こうとする人たちが出てくるけど、2002年の時にはそれで優勝したわけだしね」

――でもイタリアのサッカーにはまた別の魅力や良さがあると。
「もちろんそうさ。イタリアのサッカーは、ブラジルのそれと比べるとずっとシリアスで緻密だよね。こんなに難しいサッカーは他にはないんだ。イタリアのディフェンスは、下位のチームでもすごくよく組織されているし、そう簡単にシュートを打たせてくれない。それを打ち破るためには、技術も戦術もフィジカルも判断力も、すべてを磨いて高めていかなければならないよね。

そういう困難にチャレンジして、それを乗り越えるのが僕は好きなんだ。ブラジルサッカーとイタリアサッカーは、確かに考え方もスタイルも違うけど、それぞれにいいところがあるし、僕にとってはどっちも素晴らしいサッカーなんだ」

ミランでデビューした当時から、カカは「ヨーロッパのメンタリティとブラジルのテクニックを両立させたプレーヤー」と評されてきた。“フッチボル・アレグレ”(陽気なサッカー)と呼ばれるブラジルサッカーと、戦術主義的で規律重視のイタリアサッカーの間を、冷静なバランス感覚で自在に行き来しながら、より高い次元でそれを統合しようと目指す。そのプレースタイルには、ますます磨きがかかってきた。

昨シーズン、ドリブルで敵を3人抜いてGKと1対1になった後、トッティばりのループシュートを試みて失敗、みごとGKの腕の中にボールを送り届けてゴールをふいにし、アンチェロッティ監督からこっぴどく叱責されたことがある。「目の前の敵を抜くのはいい。でもゴールが見えたらできる限りシンプルに、確実にプレーしろ」。

そう釘を刺されたカカは、しかし試合後、毅然としてこう反論したものだった。「ファンタジアやスペクタクルがなかったらサッカーじゃない。僕たちブラジル人はそういうカルチャーの下で育ったし、そういう血が流れているんです。あれが決まっていたらとっても素晴らしいゴールでしたよ。僕はこれからもチャンスがあれば、そういう美しいゴールにチャレンジし続けるつもりです」。あの顔で、見かけよりもずっと気が強くて頑固者なのだ。

――ミラノへの愛着についても少し聞かせて下さい。
「うん。僕はこの町に惚れ込んでいるんだ。僕が育ったサンパウロと比べると小さいけれど、感じはよく似ているしね。映画とか劇場とか文化的にもとても豊かで、その点ではミラノの方がずっと上。それに、美味しいレストランもたくさんある。そしてビジネスの町でもある。僕にはすごくぴったり来る町なんだよね」

――どこかで、あなたがミラノの運河について勉強しているという話を読んだんですが、本当ですか?
「(笑)。あれは、ミラノの歴史に興味があってちょっと調べていた時に、記者の人にその話をしたら、話が広まっちゃって。昔のミラノでは運河は重要な交通手段のひとつだったって聞いたから、それについてちょっと質問しただけなんだけどね。自分が住んでる町の歴史には興味があるから、いろいろ調べたり読んだりしてるんだ」

――いつもそうやって何か勉強しているわけですか。
「そう。いつもね。勉強するのが好きなんだ。いろんなことを学ぶのは楽しいことだから」
 こういう話をする時の表情は、サッカー選手というよりも、学業優秀な大学生みたいなそれである。この日は違ったが、コンタクトレンズを外して眼鏡をかけていたりすると、本当に真面目なガリ勉野郎のように見える。

――もしサッカー選手になってなかったら、どんな仕事をしていたと思いますか。
「エンジニアになりたかったんだ。お父さんがそうだったから。子供の頃は、お父さんを見て憧れるものでしょ」

――そうですね。でもあなたはその若さで世界でも指折りのフットボーラーになって、今では世界中の人たちのアイドルです。今日ミラネッロに入ってくる時も、入り待ちのファンの熱狂はすごかった。こういう現実とどのようにつきあっているのでしょう。

「僕は自分の価値観を持っているし、それに対していつも忠実でありたいと思っているんだ。家族や愛情、神や信仰、そういう自分を支えてくれる価値を、正直に信じ続けることが大事だと思うんだ。自分が大きな成功を収めていること、社会的な存在としての自分がどんなものかは、よくわかっているつもりだよ。

サッカー選手として成功したことは、神が与えてくれた能力の賜物だと思うけど、それとは関係なく、僕はごく普通の若者だっていうことを、人々に伝えたいし、それをわかってもらいたいと思ってるよ」

――あなたは今でも、11歳の時にサンパウロのジュニアチームの一員として日本に行った時に、賞金としてもらった5000円札を大事にとってあるそうですが、本当ですか?
「本当だよ。大事な思い出だからね。日本での試合でいくつかゴールを決めて、そのご褒美にもらったんだ。サッカーで初めてもらったお金だったから嬉しくて」

――実は、あなたにその5000円を渡した人はぼくの知り合いだったということを、たまたま最近知ったんですよ。宮城県の鳴子というところで開催した大会で、あなたのプレーがあんまり特別だったから、最優秀選手賞なんてなかったんだけど、どうしても何かをあげたいと思って、それで財布をさがしたらたまたま5000円札が1枚入っていたんだそうです。これを渡すと手持ちのお金が全然なくなっちゃうけど、でもいいや、と思って奮発したそうですよ。

「よくわからないけど、今のお金で100ユーロくらいの価値なのかな。もちろん金額なんてどうでもいいんだ。僕にとってと同じように、その人にとっても特別なものだった。大事なのはその思い出だからね。これからも一生ずっと、大事に持っているつもりだよ」

そんなピュアな好青年も、一旦ピッチに立つと印象を一変させる。185cm、78kgという均整のとれた肉体からはデビュー当時の線の細さが消え、トップアスリートだけが持つ風格が漂うようになった。

ワールドカップ後、束の間のヴァカンスを経て迎えた今シーズン。ミランの一員として、8月に行われたチャンピオンズリーグ予備予選突破に貢献したカカは、セリエA開幕を前にした9月3日、今度はセレソンの一員としてロンドンで行われたブラジル対アルゼンチンの親善試合に出場、世界中を虜にするようなゴールを決めてみせた。

アルゼンチン陣内半ばで、メッシがトラップミスしたボールを奪うと、ドリブルでスタートを切り、一気に加速してハーフウェイラインを越える。慌てたメッシが必死で背後から追いすがるが、カカとの差は縮まるどころかむしろ開いていくばかりだ。

スピードに関しては折り紙付きのメッシですら追いつけない強烈な加速でそのまま敵陣深くまで70mを走り切り、DFふたりとGKをフェイントすら使わずに軽々かわすと、対角線に緩やかなシュートを流し込んだ。パワー、スピード、持久力、テクニック、大胆さと冷静さ、カカの持つすべての資質が凝縮されたようなスーパーゴールだった。

そして今、ヨーロッパのしんがりを切って開幕したセリエAでも、絶対的な主役としての活躍が期待されている。

――今シーズンのカンピオナートはどうなるでしょう?
「今年も困難な戦いになると思うよ。セリエAほど難しいリーグは他にないからね。どのチームも強い。他の国のリーグみたいに、2つか3つのチームだけが突出しているわけじゃないからね。確かにユーヴェはセリエBに降格したけど、それ以外のチームはこれまでと変わらないし、むしろ強くなっている。インテル、ローマ、フィオレンティーナ、ラツィオ……。

いくつかのチームは勝ち点を削られてるけど、むしろそのせいで必死になるだろうね。でも、これまでもそうだったように、僕たちが常にベストのパフォーマンスを見せれば、どんなチームとも互角以上に戦えるはずさ。-8ポイントというペナルティのことは忘れて、ひとつひとつの試合を全力で戦って行けば、勝利はみえてくると信じているよ」■

(2006年9月5日/初出:『STARsoccer』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。