「イタリア代表の歩み」シリーズ(?)その7。ワールドカップでの歩みを1戦1戦振り返って行こうという趣向(『エル・ゴラッソ』に寄せたプレビューとレビュー、コラムがメイン)の第2弾は、グループリーグ第2戦のUSA戦(1-1)。ザッカルドの素晴らしいオウンゴールとデ・ロッシのエルボーでほとんど自滅しかけた試合でした。

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1)プレビュー

初戦でガーナを2-0と下し、幸先のいいスタートを切ったイタリアだが、目標であるグループリーグ1位抜け(R16でブラジルを回避するため)を果たすには、続くアメリカ戦でも勝ち点3確保が必須条件。今大会におけるアズーリの運命を占う上では、むしろこの試合が大きな鍵となる。

アメリカは、フィジカル能力と中盤のテクニックが強みだったガーナとは正反対の、戦術的秩序と組織力で戦うチーム。アレーナ監督はイタリアの戦い方をしっかり研究し、対策を立ててくるはずだ。

試合の流れを決めるのは、おそらく中盤の攻防だろう。ガーナ戦では中盤の底から自在に攻撃を操ったピルロも、今度はそうそう自由にはさせてもらえないはず。イタリアが主導権を握るためには、早いタイミングでトップ下のトッティや前線の2トップにボールを供給して、チーム全体を押し上げることが必要だ。ピルロがマークされている場合には、両サイドバックがどれだけ攻撃の組み立てに絡めるかがポイントになる。

ガーナ戦で交代直前にハードなタックルを受け、影響が心配されたトッティだが、診断は単なる打撲。練習にも問題なく復帰しており、アメリカ戦でもトップ下から攻撃を操ることになる。故障で戦列を離れていたザンブロッタはスタメン出場が濃厚、ガットゥーゾも順調に回復しており、チーム状態は明らかに上向きである。

ガーナ戦の前半に見せた積極的な攻撃サッカーで主導権を握り、最短距離でベスト16進出を決めたいところだ。□

2)プレビューコラム:大きな分岐点

ガーナ戦の勝利は、アズーリにとって様々な意味で「解放」と「安堵」をもたらすエポックだった。

5月初めに勃発し今なお続く「カルチョ・スキャンダル」の雑音は、ワールドカップに向けた準備期間を通して、チームを悩ませ続けた。4年に一度のビッグイベントが目前に迫っているというのに、マスコミから浴びせられる質問は、スキャンダルのことばかり。サッカーに集中することがひどく困難な状況だったことは想像に難くない。

その一方では、本番が近づくに従って、ザンブロッタ、ネスタ、ガットゥーゾと中心選手に故障者が続出。さらに、長期欠場明けで調整中のトッティの穴を埋める「第3のアタッカー」として期待されていたデル・ピエーロが理解し難い不振に陥るなど、ガーナ戦を目前に控えたチーム状況は、とても良好とはいえなかった。

スキャンダルのプレッシャーと主力の戦線離脱。日韓2002、ユーロ2004と、2大会続けて早期敗退を喫してきた嫌な記憶も頭をよぎる。キックオフを前にしてアズーリを取り巻く空気は、マスコミの論調も含めて、楽観よりも悲観、期待よりも不安の方が色濃かったと言っても過言ではない。

ところが蓋を開けてみれば、「コンディションは70%」(本人の弁)というトッティをトップ下に据えた布陣をピッチに送りながら、リッピ監督が掲げる「脱カテナッチョ」という看板通り、時には前がかりに過ぎるほどの攻撃的なサッカーを見せて、2-0の完勝。ハーフタイムにはブラッターFIFA会長から「ここまでの今大会で一番いいサッカー」というお世辞をもらうほどで、グループリーグの1巡目が終わった時点では、アルゼンチン、スペインと並んで、最もいいスタートを切ったチームに数えられる、順調な船出となった。

翌日のマスコミは、試合前の悲観論から一転して、アズーリ礼賛、リッピ礼賛のオンパレード。これまで何となくつきまとってきた暗い影からやっと解放されて、ワールドカップらしいお祭りムードがアズーリの周辺にも、そしてイタリアにも浸透しつつある。

そのどさくさに紛れて、ユヴェントスサポの国会議員が「アズーリがワールドカップで優勝したら、スキャンダルの容疑者に恩赦を適用すべきだ」などと言い出すところが、この国のしょうもないところなのだが……。

とはいえ、次の相手アメリカは、ガーナほどやわな相手ではない上に、初戦でチェコに敗れて追い詰められた“手負いの虎”だ。しかも会場のカイザースラウテルンは、欧州最大の米軍キャンプがある「ドイツで一番アメリカンな町」。スタジアムの空気は間違いなくアウェーである。

4年前の日韓大会、初戦でエクアドルに完勝しながら、2戦目でクロアチア(やはり初戦を落としていた)に苦杯を喫した「前科」もあるだけに、はしゃぎ過ぎが禁物であることは言うまでもない。

一気に決勝トーナメント進出を決めて弾みをつけるか。再び不安とプレッシャーの淵に落ち込むのか。大きな分岐点がアズーリを待っている。□

3)試合:イタリア1-1USA<2006年6月15日、カイザースラウテルン>

イタリア(4-3-1-2)
GK:ブッフォン
DF:ザッカルド(54′ デル・ピエーロ)、ネスタ、カンナヴァーロ、ザンブロッタ
MF:ペロッタ、ピルロ、デ・ロッシ
OMF:トッティ(35′ ガットゥーゾ)
FW:トーニ(61′ イアクインタ)、ジラルディーノ

得点:22′ ジラルディーノ、27′ ザッカルド(OG)
退場:28′ デ・ロッシ

4)マッチコラム:試合へのアプローチを誤ったアズーリ

2日前のプレビューで「一気に勝ち上がりを決めて弾みをつけるか。再び不安の淵に落ち込むのか。大きな分岐点がアズーリを待っている」と書いたらこれである。

初戦の勝利がもたらした解放と安堵に加えて、直前にチェコがガーナに敗れたこともあってか、戦前のアズーリ周辺はすっかり楽観的な空気に支配されていた。試合直前、通路で入場を待つチームの表情は、リラックスし過ぎという印象すら与えたほどだ。

だが、対するアメリカは、この試合を落とせば敗退が決まるという崖っぷち。前線からがんがんプレスをかける武闘派路線で臨んできた。この勢いに対抗するレベルまでテンションが高まっていなかったイタリアは、一方的に自陣に押し込められてしまう。

22分にセットプレーで先制するしたたかさを見せはしたものの、その後も試合の主導権はアメリカのものだった。ザッカルドの笑うしかないようなオウンゴール(27分)とデ・ロッシのあまりに愚かな肘打ち(28分・レッドカード)、若手2人が犯した失態は、メンタル的に戦闘態勢に入り損ねたアズーリの焦燥を象徴していた。

デ・ロッシの退場劇は、世界に対するイタリアのイメージをまたも貶める結果になっただけでなく、アズーリの今後の歩みにとっても小さくないダメージをもたらすことになるだろう。ラフプレーに厳しいFIFAの姿勢から考えて、少なくとも3,4試合の出場停止は免れない。さらにここからの試合、審判の視線がイタリアに厳しいものになることも間違いないだろう。

リッピ監督は試合後、「初戦に費やした心身のエネルギーを回復し切れていなかった。多少の予兆はあった」と語った。開幕前にのしかかった巨大なプレッシャーの影響は、初戦ではなく2戦目に表れたというわけだ。

勝ち上がりには、次のチェコ戦で引き分け以上が最低条件。グループ1位にならないとR16でブラジルが待っているとか、そんな贅沢を言っている場合ではなくなってしまった。□

(2006年6月15-17日/初出:『El Golazo』)

5)コラム2:メンタルの弱さが出たアメリカ戦の躓き

ガーナとの初戦を2-0の勝利で飾り、順調なスタートを切ったかに見えたイタリアだったが、続くアメリカ戦で躓いた。

ファウルぎりぎりの激しい当たりを武器に肉弾戦を挑んできたアメリカに気圧され、立ち上がりの20分はほとんど守勢一方。ボールを奪っても中盤ですぐに潰されて、敵陣に攻め込むことができない。

前半22分、やっと攻め込んだところで得たFKから、ジラルディーノが頭で押し込んで1-0とリードした時には、これで流れを手元に引き寄せたかに見えた。ところが、その後も試合の主導権は、一歩も引かずに戦うアメリカが握り続ける。

27分には、相手のクロスをクリアしようとしたザッカルドが、信じられないキックミスでオウンゴールを献上して1-1。その1分後には、デ・ロッシがヘディングの競り合いでアメリカのFWマックブライトに肘打ちを食らわせ、一発退場。アメリカの気迫溢れるプレッシャーを受けて、思ったようにプレーできずナーヴァスになっていた若手2人が、冷静さを失って精神面の弱さをさらけ出した格好だった。

この試合に限らずイタリアには、地力で劣る相手に劣勢に立たされると、神経質になったり焦燥感に駆られたりして冷静さを失い、本来の力を発揮できなくなる傾向がある。強豪相手だとそんなことはないのだが、「勝つのが当然」と見られていた試合が思うように行かないと、この傾向が顕著に表れる。4年前の韓国戦、2年前のユーロ2004のデンマーク戦がいい例だ。

幸運なことにこの試合では、闘志が空回りしたアメリカが11対10の数的優位を生かし切れなかったばかりか、逆にハードすぎるタックルを連発して2人が退場。後半開始直後には、イタリアがひとり多い10対9の状況になった。

しかし、一度噛み合わなくなった歯車を元に戻すことは難しい。リッピ監督は、DFザッカルドを外してFWデル・ピエーロを投入し、3-3-3という前がかりな布陣で勝利を目指したものの、決定的なチャンスをほとんど作ることができないまま、1-1で試合を終えた。

リッピ監督は試合後、「初戦に費やした心身のエネルギーを回復し切れていなかった。初戦を迎えるまでに受けてきた大きなプレッシャーをはね返すのは、本当にエネルギーのいることだったから」とコメントしている。

前回、「イタリアで勃発したスキャンダルのおかげで、マスコミの興味も分散するから、アズーリは必要以上に騒がれず落ち着いて準備ができるだろう」と書いたが、実際にはこれは思い違いもいいところだった。大会前の合宿に詰めかけたマスコミは、ワールドカップそっちのけで、選手たちにスキャンダル関連の質問を浴びせ、合宿の話題はそれ一色になってしまったからだ。

4年に一度しか巡ってこない、キャリアにとって最も重要なチャンスを目前に控えながら、それとはまったく関係のない雑音に悩まされ続けた選手たちのストレスがどれだけのものだったかは、想像に難くない。そのストレスの中で目の前の試合に集中し、大きな難関である初戦の壁を乗り越えるために使った心身のエネルギーは、想像以上に大きかったようだ。

事実、ガーナ戦に勝ってからアメリカ戦を迎えるまで、アズーリの周辺を支配していたのは、それまでの緊張と不安から一転して、楽観的でリラックスした空気だった。リッピ監督も選手たちも、そしてそれを取り巻くマスコミも、スキャンダルという亡霊からやっと解放された安堵に、無意識のうちに浸りすぎていたのかもしれない。

この引き分けによって、2試合を終えたイタリアの勝ち点は4止まり。一番のライバルであるチェコがガーナに敗れるという波乱があって、勝ち残りをめぐるグループEの状況は、かなり複雑なものになった。イタリアは、引き分け以上なら無条件で勝ち残り(ガーナがアメリカに勝たなければ引き分けでも1位抜け)、負けた場合は、ガーナがアメリカに勝った場合(敗退)を除き、得失点差、総得点に運命が委ねられることになる。□

(2006年6月18日/初出:『Yahoo!スポーツ・WC2006』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。