「イタリア代表の歩み」シリーズ(?)その3は、リッピ監督の下で危なげなく予選を勝ち抜きドイツワールドカップ出場を決めた時点でのレビューです。

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「この結果には満足している。でも本当のお楽しみはこれからだ。この先は、より強い相手と戦うことになる。困難も大きくなるだろうが、その分やり甲斐もあるというものだ」

10月8日、スロヴェニアを1ー0で下し、ワールドカップ本大会出場を決めた“アズーリ”ことイタリア代表、マルチェッロ・リッピ監督の弁である。

強敵不在の無風地帯だった欧州予選グループ5、アズーリは着実に勝ち点を積み重ねて、危なげなく首位を走り切った。とはいえ、これが12回連続16回目の出場となる伝統国イタリアにとって、予選突破は最低限の義務である。本番でどこまで勝ち上がることができるかが、リッピ監督から国民まで、唯一最大の関心事であることは言うまでもない。

前回の日韓大会では、優勝候補の一角に挙げられながら、ラウンド16で韓国に逆転負け、その2年後にポルトガルで行われたユーロではグループリーグ敗退と、このところ二度にわたってイタリア国民の期待を裏切っているだけに、なおさらである。

負けパターンは2大会ともまったく同じだった。引き分けではなく勝利が必要とされる試合で、1点先制して優位に立ちながら、あまりに早く追加点の可能性を放棄して守勢に回った揚げ句、土壇場で失点を喫してすべてをふいにしてしまう。“勝つ”ことよりも“負けない”ことを重視するイタリアサッカー伝統のメンタリティがその限界を露呈した、と言いたくなるような結末である。

当時アズーリを率いていたトラパットーニは、カウンターで奪った1点をがちがちに守り倒す守備的戦術“カテナッチョ”全盛の時代にキャリアを築いた旧世代、いわば守旧派だった。リッピは、もうひとつ下の世代に属する、革新派の監督である。90年代半ばからユベントスを率いて、イタリア伝統の戦い方とは明らかに一線を画すアグレッシブで組織的なサッカーを展開し、通算8シーズンでリーグ優勝5回という黄金時代を築いた。

果たしてリッピのアズーリは、2006年のドイツで“カテナッチョの限界”を乗り越える戦いを見せることができるのだろうか。

昨年7月の監督就任第一声は、新しい風が吹き始めたことを感じさせるものだった。
「イタリアには質の高い選手が揃っている。相手に合わせて戦い方を変え、受けに回るのではなく、常に主導権を握り、積極的に自分たちのサッカーをするチームを目指したい」

まず取り組んだのは、世代交代と新たな人材の発掘。アテネ五輪代表の世代から、セリエA下位の中小クラブにまで網を広げ、最初の1年間で延べ60人以上を召集。その中から、トーニ、ジラルディーノ、イアクインタというFW陣、中盤のデ・ロッシ、DFではグロッソ、ザッカルドといった若手・中堅が、レギュラーを窺うところまで育ってきた。

そして、本大会に向けてチームを固める段階を迎えたこの9月には、「これからは、相手がどこであっても常に前線に3人のアタッカーを置いて戦うつもりだ。今や、強豪国はどこもそうしている。イタリアがそれをしない理由はない」と宣言。攻撃的なチーム作りの方向性をはっきりと打ち出した。

サッカーファンなら御存じの通り、優勝候補の筆頭といわれるブラジルでは今、ロナウド、ロナウジーニョ、アドリアーノ、カカ、ロビーニョという5人の偉大なアタッカーを同時に起用するかどうかで、侃々諤々の議論が展開されている。それと比べれば3人なんて、などというなかれ。「2人か、3人か」は、これまで10年以上にわたって、イタリア代表をめぐる最大の論争の種だったのだ。

94年アメリカ大会のイタリアは、カジラギとバッジョの2トップで決勝まで進んでいる。だがサッキ監督は、当時セリエAの得点王だったシニョーリをもピッチに送るべく、本番直前まで攻撃的な4ー3ー3システムを試し続けていた。

98年フランス大会のマルディーニ監督は、ヴィエーリという不動のエースを擁していたものの、バッジョとデル・ピエーロの共存問題に悩まされ続けた。その後を継いだゾフにとっても、トラパットーニにとっても、ヴィエーリに加えてトッティとデル・ピエーロを同時にピッチに送るべきか否かは、常に頭を悩ませる大問題だった。

イタリアの世論がいつも“3人”を望んだことはいうまでもない。しかし、勝利を義務づけられた監督が最終的に選ぶ結論は、いつも“2人”だった。勝つためには何よりも失点するわけにはいかない、というのがその理由である。

だが、アズーリが敗れ去るのはいつも、勝つべき試合を勝ち切ることができなかった時ではなかったか。ユーロ2000決勝のフランス戦然り。日韓2002の韓国戦然り。そして、ユーロ2004のスウェーデン戦然り。「常に3人のアタッカーをピッチに送る」というリッピの宣言は、1点を守り切るサッカーから、試合を決める2点目を狙いに行くサッカーへの大きな転換を意味しているはずなのだ。いわば“脱・カテナッチョ”。

アズーリで戦う選手たちは、リッピが打ち出したこの路線を歓迎している。攻撃の要トッティは「これだけの選手が前線に揃っているのだから、3人起用するのがベスト。誰を起用するかよりも誰を外すかの方が、監督にとっては問題じゃないかな」と語る。主将カンナヴァーロとともに最終ラインを支えるネスタも、はっきりとこう断言した。

「ミランはこのシステムで大きな成功を収めている。前に3人いれば攻撃の選択肢が広がるし、受けに回ることなく主導権を握って戦うことができる。ワールドカップで重要な結果を残すためには、“攻撃的なイタリア”という今の路線を進むべきだと思う」

リッピの“3アタッカー宣言”以降、すなわち今シーズンに入ってから戦った3試合で、アズーリが残した結果は2勝1分。格下のベラルーシには4ー1で楽勝したものの、アウェーのスコットランド戦は1ー1の引き分け止まり。ドイツへの切符を手に入れた10月8日のスロヴェニア戦も、スコアは1ー0という最少得点差にとどまった。

この試合でリッピ監督がピッチに送った布陣は4ー3ー1ー2。前線の「3人」は、トーニ、ジラルディーノの2トップを、トップ下のトッティが支えるという構成である。

試合は、イタリアが大半の時間帯を敵陣でプレーする一方的な展開だった。前線の攻撃陣は先発の3人と終盤に交代で出場したヴィエーリが、合計17本ものシュートを放った。中でも活躍が目立ったのは、やはりトッティ。中盤に近いやや下がり目の位置から、創造性溢れるボールさばきで前線にアシストを供給。自らも積極的にミドルシュートを試みるなど、二桁に上る決定機すべてに絡む活躍だった。

問題は、肝心のゴールがなかなか決まらなかったこと。残り15分を切ったところで決めたのは、皮肉なことに途中出場のDFザッカルドだった。得点が1、しかも攻撃陣がゴールを決められなかったというのは少々不甲斐ない。

だが、90分を通して主導権を握り多くの決定機を作り出したこと、そしてとりわけ、終盤になっても2点目を狙って積極的に攻め続けた姿勢は評価に値する。少なくともメンタリティの上で、“脱カテナッチョ”は、着実に進展中と見ていいのではないか。

グループ1位で出場権獲得を果たしたとはいえ、リッピ監督就任以降、ここまでの相手はすべて格下。本番で上位を狙う強豪国とはまだ一度も当たっていない。果たしてこのチームに、ブラジルやアルゼンチン、オランダなどと互角に戦える力はあるのだろうか。

そういう観点からスロヴェニア戦を見たプロの評価は、思ったよりも辛いものだった。
「攻撃の質には不満が残った。問題は、個人の能力に依存し過ぎているところだ。チャンスはほとんどがトッティ絡みで、組織的な攻撃の組み立てから相手を崩した場面は多くない。とりわけ、両サイドバックの攻め上がりがあまり見られず、クロスが少なかった点は問題だ。前線に大型FWを並べた以上、最も有効なアシストはクロスだったのだが」

そう語るのは、ゲーム分析に定評がある若手の理論派監督マウリツィオ・ヴィシディ。
「戦力的に見ても、DFにはネスタ、カンナヴァーロの代役がおらず、中盤も国際レベルといえるのはピルロとガットゥーゾくらい。

攻撃陣はそれなりに人材が豊富だが、問題は前線にどうボールを供給するか。単独で状況を打開できるトッティの不在、あるいは不調時には、組織的な攻撃でそれを補う必要がある。本番までにどれだけそこをレベルアップできるかが勝負だろうが、総合的に見て、ベスト4から先は厳しいのではないだろうか」

一方、イタリア三大スポーツ新聞のひとつ『トゥットスポルト』のジャンカルロ・パドヴァン編集長は、「イタリアには、優勝を狙えるだけの力がある」と断言する。

「リッピは、トラパットーニから引き継いだアズーリを大きく変身させた。1-0からも守勢に回らず、積極的に2点目を狙って攻め続ける姿勢は、以前にはなかった。事実、現在のイタリア代表は、守勢に回って強さを発揮するチームではない。

ディフェンスは決して脆弱ではないが、かといって絶対的に堅固かといわれれば、そんなことはない。受けに回って耐えるよりも、主導権を握って戦う方が持ち味を発揮できる。今後、攻守両面でチームの組織的なメカニズムを磨き、前線の決定力を向上させれば、ブラジルやアルゼンチンとも十分に戦える」

「お楽しみはこれから」というリッピ監督の言葉通り、この先は本大会に向け、強豪相手の力試しが始まる。その小手始めは、11月8日に組まれているアウェーのオランダ戦(親善試合)。“脱カテナッチョ”路線を選んだアズーリが現在ヨーロッパで最も好調のチームに挑む、その戦いぶりが見物である。■

(2005年10月10日/初出:『Number』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。