7月に入って移籍マーケットもそろそろ本格化してきたので、ライオラと並ぶ、というよりもそれを上回る超大物、ジョルジュ・メンデスについてがっつりと描いたバイオグラフィをどうぞ。2年半前のテキストなので、すでに情報が古くなっているところもありますが(例えばドイエンスポーツとはすでに決裂している)、そのあたりはご理解・ご了承下さいますよう。footballistaから出ているオフィシャル伝記『サッカー代理人ジョルジュ・メンデス』には書いてない、本人にはあんまり都合の良くない話も入ってます。

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ジョルジュ・メンデスは、サッカー界で最も大きな影響力を持つ人物のひとりだ。

アメリカのスポーツサイト『ブリーチャーレポート』は、2013年の記事「サッカー界で最も影響力を持つ20人」の中で、メンデスをブラッター(FIFA会長)、プラティニ(UEFA会長)、スクダモア(プレミアリーグCEO)、カタール王家に次ぐ5位にランクした。

表向きはC.ロナウド、モウリーニョなどの代理人として知られるメンデスだが、現在の彼は単なる選手や監督のエージェントではない。ヨーロッパのサッカー界グローバル資本を結びつけるブローカーとして、移籍市場を越えたレベルで多くのクラブに影響力を及ぼしているからだ。

ポルト、ベンフィカ、スポルティング(ポルトガル)、アトレティコ・マドリー、セビージャ、バレンシア、デポルティーボ(スペイン)、モナコ(フランス)といったクラブは、移籍マーケットだけでなく、クラブへの資金導入など経営レベルにおいてもメンデスの影響下にある。なにしろバレンシアとモナコのオーナーは、メンデスの仲介によってクラブを買収しているのだ。

選手の売買など移籍マーケットのレベルだけでメンデスと深いつながりを持つクラブとなると、R.マドリー、チェルシー、マンUといったメガクラブからベシクタシュ、クルージュ、オリンピアコス、ゼニトといった東地中海・東欧のクラブまで、いちいち挙げれば切りがないほどの数に上る。

それでは彼は、いったいどうやってサッカー界にここまでの影響力を築いたのだろうか。

1966年リスボン生まれの48歳。サッカー選手としてポルトガルの2部、3部リーグでプレーし、28歳で引退した後、スペインとの国境に近いヴィアナ・ド・カシュテロでビーチクラブ、レンタルビデオ店、そしてディスコを経営する。そのディスコにポルトガル北部やスペイン・ガリシア地方でプレーするサッカー選手が集まるようになったことが、代理人に転身するきっかけだった。

1996年、当時ヴィトリア・ギマラエシュでプレーしていた22歳のGKヌーノ・エスピリト・サント(現バレンシア監督)をサポートするため、エージェント会社ジェスティフトを設立、自身のネットワークを使ってスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍させたのが最初の仕事。

翌年にはその後ポルトでCL優勝を勝ち取ることになるヌーノ・カプーショとコスチーニャ、そしてパウレタなど有望な若手プレーヤーを顧客に加えて、ポルト、デポルティーボなどとの関係を強化しながら、徐々に勢力を伸ばして行った。特にポルトは、2000年代に入るとチームの大半がメンデスの顧客で占められるようになり、それが02-03のUEFAカップ、03-04のCL制覇につながっていく。

メンデスは同時に、当時マンUでファーガソンの助監督だったカルロス・ケイロスを手がかりに、イングランドにもネットワークを拡大していった。

2003年には、当時ポルトガル一番の大物代理人だったジョゼ・ヴェイガ(フィーゴ、F.コウト、P.ソウザなど黄金世代を一手に引き受けていた)がアーセナルとの交渉を進めていたC.ロナウドに、マンUからの高額オファーをぶつけて移籍を実現させ、同時に自らの顧客として引き抜くという剛腕を見せて、一気に国際的な知名度を勝ち取った。この夏にはケイロスを監督として送り込むことで、R.マドリーとも関係を築くことに成功している。

続く2004年には、CLで優勝したポルトからR.カルヴァーリョ、P.フェレイラ、ベンフィカからティアゴ・メンデスをチェルシーに移籍させただけでなく、別の代理人を通してリヴァプールとの契約にサインする寸前だったモウリーニョ監督もチェルシーに引き抜き、自らの顧客として取り込んだ。この時メンデスはチェルシーだけでなくインテルからのオファーも持っていたと言われ、実際4年後にはそのインテル行きを実現させることになる。

00年代後半には、ポルトだけでなくスポルティング、ベンフィカ、さらには中堅以下のクラブまで、ポルトガルのクラブはほとんどがメンデスの勢力下に入った。2008年には英『インディペンデント』紙が「ポルトガルではメンデスの息がかかっていない移籍ディールはひとつもない」と書いたほど。

メンデスの勢力はポルトガル、スペイン(デポルティーボ、A.マドリーなど)、イングランド(チェルシー、マンUなど)から、さらに東欧にも広がって行く。

2004年にはスポルティングからディナモ・モスクワにダニを移籍させたのをきっかけにロシアに進出、その後スパルタク、ゼニトなどにも勢力を広げる。2006年からは、ルーマニアのCFJクルージュにポルトガル人選手を数多く送り込み、リーグ優勝、CL出場などをバックアップした。

この頃からは、ポルトガル国内だけでなく国外でも、単なる代理人として自分の顧客を移籍させるだけでなく、クラブサイドに軸足を置いて強化に手を貸すコンサルタント、あるいはブローカー的な動き方が目立つようになってくる。

代理人というのは本来、選手の利害を代表してクラブと交渉し、より好条件の契約を勝ち取って来るのが仕事だ。その報酬を支払うのも原則的には選手である(通常は年俸から一定のパーセンテージが支払われる)。

しかしメンデスのやり方は、クラブの役に立つ選手を手当てすることでクラブから直接、間接の報酬を得るというもの。これならば、連れて来る選手が自分の顧客だけでなく、他の代理人の顧客であっても、仲介料という形で利益を上げることができる。

00年代の終わりになってこうした動きが一般化してくると、代理人間の関係もこれまでの「競合」だけでなく、お互いに人脈を融通し合って利益を分け合う「連携」へと移行していくことになる。メンデスは最も広い人脈を持っているがゆえに、そうしたつながりにおいて「ハブ」的な役割を果たすことになり、移籍マーケット全体の中でますます存在感を高めて行った。

メンデスと密接な関係にある代理人としては、南米で大きな影響力を持つ代理人兼ブローカーのピニ・ザハヴィ(テヴェス、マスチェラーノなどの代理人)、そのザハヴィのパートナーで投資ファンドの草分けMSI(かつてコリンチャンスを買収)のオーナーであるキア・ジョーラブシャン、顧客選手の市場評価額合計でジェスティフトとトップの座を争うモンディアル・スポーツ(カヴァーニ、ヴィッツェル、マティッチ、フェルナンジーニョなどが顧客)のコスタンティン・ドゥミトラスク、評価額合計で4位のステラー・フットボール(ベイル、ショー、ハートなど)のデヴィッド・マナセー、ジャクソン・マルティネス、キンテーロ、ガイタンなど南米の有力選手を顧客に持つプロサッカー24のアイテキン・エライバカン、アルダ・トゥランを顧客に持つトルコの大物代理人アーメト・ブルットなどが挙げられる。

要するに、移籍マーケットのかなりの部分が、「メンデスとその仲間たち」によって抑えられているということだ。

メンデスの活動範囲は、2010年代に入るとさらに大きく広がって行く。選手の代理人、クラブの強化をサポートするコンサルタントという、移籍マーケットにかかわる領域から、クラブが選手を獲得するための資金、さらにはクラブの運営資金そのものまでを手当てするブローカー的な役割にまで手を広げるようになったのだ。

CLを筆頭にプレミアリーグ、リーガ、セリエA、ブンデスリーガといったヨーロッパのトップレベルは、世界規模のエンターテインメント・コンテンツとして巨大なマーケットを形成し、しかも今なお成長を続けている。

これまでサッカーとはつながりがなかったヨーロッパ外(旧共産圏、中東、アジア、北米)の巨大なグローバル資本が、ビジネスの対象、さらには投資や投機の対象として欧州サッカーに目をつけ始めたのがこの時期だった。メンデスは、ケニオン、ザハヴィ、ジョーラブシャンなどと「連携」しながら、こうしたグローバル資本と欧州サッカー界をつなぐ「窓口」として機能し始める。

その上で重要な役割を果たしているのが、マルタに本拠を置く投資ファンド「ドイエンスポーツ」だ。イギリスとトルコを拠点に、天然資源から建設・不動産まであらゆる分野に莫大な金額の投資を行っている多国籍投資ファンド「ドイエングループ」のスポーツ部門子会社であるドイエンスポーツには、設立の段階からメンデス、そして元チェルシーCEOのピーター・ケニオンが密接に関与していると言われている。

ドイエンスポーツは、有望な若手選手の保有権を一部(あるいは全部)買い取って、移籍時に移籍金収入からパーセンテージを得るだけでなく、クラブに選手獲得費用を融資してその売却時にパーセンテージを得る、さらには資金難のクラブに資金を融資し経営権を担保に取るなど、異なった形態でクラブに投資を行い、利益を吸い上げている。そのオペレーションを全面的にサポートしているのがメンデスであり、彼と密接な関係にある上記のエージェント、代理人たちだ。

その典型的な例がアトレティコ・マドリー。近年クラブに大きな売却益をもたらしたファルカオ、ディエゴ・コスタはいずれも、ドイエンスポーツが保有権の一部を持つジェスティフト所属のプレーヤー。シメオネ監督もドイエンスポーツが肖像権を持っており、事実上ドイエン所属と言っていい。そして昨シーズンからの胸スポンサーは、ドイエンの大きな資金源であるアゼルバイジャンの国営企業だ。

アトレティコが近年残してきた好成績は、こうしたドイエン=メンデスラインによるオペレーションの結果であることは間違いない。しかし同時に、ファルカオやディエゴ・コスタがもたらした移籍金の多くが、彼らによって吸い上げられていることも確かである。

メンデスがつながりを持っているグローバル資本はドイエンだけではない。最近アトレティコの経営権20%を買収した中国の巨大企業・大連万達(2018、2022年のW杯放映権、セリエAの放映権を独占している)にも、彼が何らかの形で関わっている可能性が高いと見られている。

また、2013年にモナコを買収したロシアの大富豪ディミトリ・リボロフレフもその1人。メンデスは経営権買収を手引きした直後の13年夏、モナコにファルカオ、ハメス、J.モウチーニョ、R.カルヴァーリョという4人の主力選手を送り込んで、リーグ1昇格1年目でのCL出場権獲得をバックアップした。ファルカオとハメスはジェスティフト所属・ドイエン傘下のプレーヤーだ。

同じような形でオーナーを送り込んだもうひとつのクラブがバレンシア。昨年シンガポールの大富豪ピーター・リムが経営権を買収したが、これを仲介したのもメンデスだった。リムは過去にもミドルスブラ、そしてほかでもないアトレティコの買収に乗り出したことがあり、そのいずれにもメンデスが絡んでいた。

近年のメンデスの活動においては、こうした形で、EU外のグローバル資本とヨーロッパサッカーを結びつける役割が割合を増してきている。単に選手や監督を送り込む、選手獲得を支援するといったレベルではなく、フットボールビジネスへの投資をつなぐ文字通りのブローカーである。

ヨーロッパを襲っている長期的な不況の影響を受け、R.マドリー、バルセロナという二強を除くと大きな経済的困難に陥っているスペインでは、ここで取り上げたアトレティコ、バレンシア以外にも、セビージャ、デポルティーボ、エルチェといったクラブが、お隣りポルトガルのほとんどのクラブと同様、直接、間接にメンデスの影響下にある。

同じように経済的な困難に直面しているイタリアでも、例えばモナコのようにEU外から資金力を持ったオーナーを連れて来るという形で、メンデスの助けを借りるクラブが出てくる可能性がある。その点で今最も注目されるのはミラン。

タイの投資家「ミスターB」ことビー・テチャウボンが経営権買収のオファーを出しているだけでなく、アトレティコの20%を買収した中国・大連万達(ワンダグループ)の王健林も、インフロントと密接な関係にあるガッリアーニ副会長を通じてミランの買収に興味を示していると言われる。

昨年10月にFIFAが第三者による選手の保有を禁止する方針を打ち出したため、ドイエンスポーツのような投資ファンドが保有権を売買する余地は今後少なくなってくると見られる。

しかしそれによって、グローバル資本の欧州サッカーへの投資意欲がなくなるわけではない。今後はクラブオーナーとして直接サッカーの世界に参入してくるケースが増えてくるだろう。メンデスはそれを手引きするブローカーとして重要な役割を担い続けることになるはずだ。□

(2015年2月12日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)
 
 
<オマケ:メンデス年表=主な移籍ディール>

1996
ジェスティフト設立
ヌーノ・エスピリト・サント(V.ギマラエシュ→デポルティーボ)

1997
コスチーニャ(ナシオナル・マデイラ→モナコ)
ヌーノ・カプーショ(V.ギマラエシュ→ポルト)

1998
パウレタ(サラマンカ→デポルティーボ)

2001
コスチーニャ(モナコ→ポルト)

2002
クアレスマとリカルド・カルヴァーリョをJ.ヴェイガから引き抜いて顧客に
リカルド(バジャドリー→マンU)イングランド進出
カルロス・ケイロス(南アフリカ代表→マンU助監督)

2003
C.ロナウド(スポルティング→マンU)1750万ユーロ J.ヴェイガからの引き抜き
ウーゴ・ヴィアナ(スポルティング→ニューカッスル)
ヌーノ・カプーショ(ポルト→グラスゴー・レンジャーズ)
カルロス・ケイロス監督(マンU助監督→R.マドリー) 
クアレスマ(スポルティング→バルセロナ)635万ユーロ

2004
パウロ・フェレイラ、R.カルヴァーリョ(ポルト→チェルシー)
ティアゴ・メンデス(ベンフィカ→チェルシー)3人合わせて500万ユーロ
モウリーニョ監督(ポルト→チェルシー)バイデクからの引き抜き
ダニ(スポルティング→ディナモ・モスクワ)300万ユーロ ロシア進出

2005
ティアゴ・シルバ(ポルト→ディナモ・モスクワ→フルミネンセ)

2006
CFRクルージュ(ルーマニア)にポルトガル人選手を大量に送り込む

2007
ペペ(ポルト→R.マドリー)

2008
フェリペ・スコラーリ監督(ポルトガル代表→チェルシー)
ダニ(ディナモ・モスクワ→ゼニト)3000万ユーロ
モウリーニョ監督(フリー→インテル)イタリア進出
クアレスマ(ポルト→インテル)2460万ユーロ

2009
C.ロナウド(マンU→R.マドリー)
ティアゴ・シルバ(フルミネンセ→ミラン)

2010
モウリーニョ監督(インテル→R.マドリー)
ディ・マリア(ベンフィカ→R.マドリー)
リカルド・カルヴァーリョ(チェルシー→R.マドリー)
ロホ(エストゥディアンテス→スパルタク・モスクワ) 仲介

2011
グローバル資本との連携はじまる
ウーゴ・アルメイダ(ヴェルダー・ブレーメン→ベシクタシュ)トルコ進出
アルダ・トゥラン(ガラタサライ→アトレティコ)トルコ関連
マンガラ(スタンダール→ポルト)650万ユーロ ドイエン
ファルカオ(ポルト→アトレティコ)4000万ユーロ ドイエン

2012
ロホ(スパルタク・モスクワ→スポルティング)800万ユーロ ドイエン

2013
ディミトリ・リボロフレフ(→ASモナコ会長)買収を仲介
ハメス・ロドリゲス(ポルト→モナコ)4500万ユーロ ドイエン?
ファルカオ(アトレティコ→モナコ)6000万ユーロ ドイエン
J.モウチーニョ(ポルト→モナコ) 代理人はP.ザハウィ
リカルド・カルヴァーリョ(R.マドリー→モナコ)
フェリペ・アンデルソン(サントス→ラツィオ)750万ユーロ ドイエン
ネイマール(サントス→バルセロナ)5700万ユーロ ドイエン
カランカ監督(→ミドルスブラ)

2014
ハメス・ロドリゲス(モナコ→R.マドリー)8000万ユーロ ドイエン?
マンガラ(ポルト→マンC)4000万ユーロ ドイエン
ディエゴ・コスタ(アトレティコ→チェルシー)3800万ユーロ ドイエン
ファルカオ(モナコ→マンU)レンタル
ロホ(スポルティング→マンU)2000万ユーロ ドイエン
ピーター・リム(→バレンシア会長)買収を仲介

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。