1年前に広州恒大の監督を辞めて悠々自適の半引退生活を送っているマルチェッロ・リッピ。最近になって、ローマ、ミラン、そしてなんとチェルシーの監督に途中就任かという話も出始めています。そのリッピの「出世作」である90年代半ばのユヴェントスは、ヴィアッリ、ラヴァネッリ、デル・ピエーロという3トップを擁する、当時としてはきわめてモダンでアグレッシブな好チームでした。そこで活躍した人々はいま何をしているのか、というお話。今から4年あまり前の時点での話なので、また変化もありますがそれはそれとして。

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マルチェッロ・リッピ監督の下、94-95シーズンに9年ぶりのスクデットを勝ち取り、続く95-96シーズンには前年王者アヤックスを下してチャンピオンズリーグ優勝を飾ったユヴェントスは、「世界で最も美しいリーグ」と呼ばれた90年代のセリエAを代表するチームだった。

ほとんどのチームが当時のスタンダードだったフラットな4-4-2を採用する中、敢えて攻撃的な4-3-3で戦ったこのユヴェントスは、前線からの激しいプレッシングと鋭い攻守の切り替えを武器とする、モダンでアグレッシブなサッカーで、イタリア、そしてヨーロッパを席巻した。

ジャンルカ・ヴィアッリ、ファブリツィオ・ラヴァネッリ、アレッサンドロ・デル・ピエーロという強力3トップ、そしてアントニオ・コンテ、パウロ・ソウザ、ディディエ・デシャンというプレーの質と量を兼ね備えた中盤は、当時世界最高峰のクオリティを備えていた。

キャプテンのヴィアッリが、CL決勝の舞台となったローマのスタディオ・オリンピコでビッグイアーを天に掲げてからちょうど15年。今もなお現役でプレーを続けているただ1人の「生き残り」が、今年の11月で37歳を迎えるデル・ピエーロだ。93-94シーズンにセリエAデビューを飾って以来、ユヴェントス一筋でこれが18年目。偉大なリーダーとしてクラブのシンボルであり続けている。

現役を退いた他の選手たちも、ほぼ全員が今もサッカーの世界に残って仕事を続けている。
今シーズンから他でもないユヴェントスの監督に就任したのが、中盤で卓越した運動量と戦術センスを誇っていたアントニオ・コンテ

2003-04シーズンまでユーヴェでプレーして引退した後監督の道に進み、初めて率いたセリエBのアレッツォ(06-07シーズン)では解任、再就任、降格という波乱のシーズンを送ったが、続く07-08シーズンの途中から率いたバーリでは、翌08-09シーズンに4-2-4という攻撃的なシステムを取り入れてセリエA昇格を果たした。

09-10シーズンはアタランタの監督に途中就任して初めてセリエAを経験したが、13試合で解任の憂き目に遭う。しかしセリエBに戻ってシエナの指揮を執った昨シーズンは、シーズンを通して首位争いを続け余裕でキャリア二度目のA昇格。4-2-4の攻撃サッカーで結果を出したその手腕が認められてユーヴェに抜擢されたのはつい先頃のことである。

そのコンテの2年前には、最終ラインを支えたCBチロ・フェラーラがユヴェントスの監督を務めている。引退後ユヴェントスの育成部門責任者、イタリア代表のアシスタントコーチを経て、そのリッピの肝いりで09-10シーズンの監督に就任した時には「南アフリカW杯後にリッピがテクニカルディレクターに就任するまでのつなぎ」という見方もされた。

シーズン序盤は好調なスタートを切ったものの、冬に入って不振に陥り2010年1月末に解任、アルベルト・ザッケローニにその座を譲ることになった。その後短い浪人生活を経て、昨年秋からはイタリアU-21代表監督に抜擢されて現在に至っている。

そのU-21代表でそのフェラーラの助監督を務めているのは、安定感抜群のプレーでゴールを守ったアンジェロ・ペルッツィ。ラツィオで2007年に現役を退いた後、リッピの下でイタリア代表のGKコーチを2年間務め、盟友フェラーラのU-21代表監督就任と共にその片腕となった。

当時のメンバーで一番早くユヴェントスの監督になったのは、ディディエ・デシャンだった。2001年に現役を退くとすぐにモナコの監督となり、03-04シーズンにはチームをCL決勝に導いた(決勝ではモウリーニョ率いるチェルシーに苦杯)。その後1年間の浪人生活を経て、カルチョポリでB降格を喫したユヴェントスの指揮を引き受け、マイナス9ポイントという厳しいペナルティにもかかわらず、首位で余裕のA昇格を達成する。

しかし、当時クラブの全権を握っていたジャンクロード・ブランと昇格後のプロジェクトに関する意見が合わず、シーズン終了を待たずに辞任。その後1年置いて09-10シーズンからは、現役時代にCL優勝を勝ち取ったもうひとつのクラブ、マルセイユの指揮を執っている。就任1年目に17年ぶりのリーグタイトルをもたらし、昨シーズンもリールに次ぐ2位と、長く低迷していた名門をフランスの頂点に引き戻した。

監督としてのキャリアに進んだのは、彼らだけではない。CL優勝を区切りにイングランドのチェルシーに移籍したジャンルカ・ヴィアッリは、97-98シーズン半ばにルード・グーリット解任の後を受けてプレーイングマネジャーとして監督の座に就き、その後足かけ3シーズンの間にカップウィナーズ・カップ、UEFAスーパーカップ、FAカップ、リーグカップ、チャリティシールドと5つのタイトルを勝ち取っている。

その後、01-02シーズンにワトフォード(ファースト・ディヴィジョン)の監督となったが14位に終わり1年で解任。その後は解説者に転身して、今ではスカイ・イタリアの顔ともいうべき看板コメンテーターとなっている。

ヴィアッリと同じく、プレミアリーグでプレーイングマネジャーを経験したのが右サイドの貴重な控えだったアッティリオ・ロンバルド。ユヴェントスから移籍したクリスタルパレスで、97-98シーズンに半年間だけチームの指揮を執った。その後イタリアに戻りサンプドリアでキャリアを閉じた後は、そのサンプの育成コーチを経て、スイス2部のキアッソ、セリエC1のレニャーノ、スペツィアで監督を務め、2010年からはサンプドリア時代の盟友ロベルト・マンチーニのスタッフとして対戦相手のスカウティングを担当している。

他に監督の道に進んだのは、希代のハードマーカーとして知られたCBピエトロ・ヴィエルコウッドと、献身的な右SBとしてチームを支えたモレーノ・トリチェッリ。共にセリエCのいくつかのチームで監督を務めたが、残念ながら目立った結果を残せず現在は浪人生活を送っている。

中盤の底で司令塔を務めたパウロ・ソウザも、ポルトガル代表のアシスタントコーチを経て、2008年にイングランドのクイーンズパーク・レンジャーズ(チャンピオンシップ)で監督として独り立ちした。

QPRでは途中就任・途中解任という不本意な結果に終わったが、続く09-10シーズンには同じチャンピオンシップのスウォンジーを率いて7位、昨シーズンはやはりチャンピオンシップでレスター・シティの監督に就任したが、開幕1ヶ月でスヴェン・ゴラン・エリクソンにその座を譲ることを強いられた。新シーズンは、昨季のハンガリーリーグで優勝したヴィデオトンを率いてCL予備予選にチャレンジする。

監督ではなく育成コーチとしての道を選んだのは、ファブリツィオ・ラヴァネッリアンジェロ・ディ・リーヴィオ、そしてアレッシオ・タッキナルディの3人。

アヤックスとのCL決勝で先制ゴールを決めた「シルヴァー・フォックス」ことラヴァネッリは、民放局メディアセットの解説者、ラツィオの育成部門(U-16監督)を経て、新シーズンからはユヴェントスのU-12で監督を務めることになった。タッキナルディは、ヴィジャレアルを経てセリエBのブレシアで2008年に現役を退いた後、故郷のロンバルディア州クレーマのクラブ、ペルゴクレーマでU-16の監督を務めている。ディ・リーヴィオは故郷のローマでサッカースクールを開校、地元ラジオでコメンテーターを務めながら子供たちの育成に関わっている。

引退後もユヴェントスの一員としてピッチ外の仕事に携わっているOBもいる。フェラーラとCBペアを組んだリベロのマッシモ・カレーラは、そのフェラーラの後を受ける形で2009年から育成部門の責任者を務めている。

その片腕である事務局長は、左サイドで職人的な仕事を見せていたジャンルカ・ペッソット。引退後チームマネジャーを務めていた2006年、「カルチョポリ」スキャンダルが勃発したさなかにノイローゼ状態に陥り、ユヴェントスの社屋から飛び降り自殺を図るというショッキングな事件もあったが、幸運にも一命をとりとめ、後遺症もなく復帰を果たし現在に至っている。

その他、控えのFWとして貴重な働きを見せたミケーレ・パドヴァーノはトリノ、アレッサンドリア、プロ・パトリアなど下部リーグのクラブでスポーツディレクターを務めたが、現在は浪人中。

中盤のバイ・プレーヤーだったジャンカルロ・マロッキは、古巣ボローニャの育成部門責任者を長く務めたが、2010年のオーナー交代に伴ってその職を退き、現在はスカイ・イタリアのコメンテーター。1990年にはレッドスター・ベオグラードの一員としてもチャンピオンズカップを勝ち取っているウラジミール・ユーゴヴィッチは、引退後オーストリアのSKシュワドルフのスポーツディレクター、レッドスターの副会長を歴任したが、現在は浪人中だ。■

(2011年7月20日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。