日本の移籍制度に関する考察シリーズその3です。
日本のプロ野球界には「自由契約」という言葉がある。事実上、球団から戦力外の烙印を押されてクビになることを指している。一方、「任意引退」というのは、球団が保有権を所持したまま、プロ野球選手としての活動を停止することを指す言葉だ。
日本ではプロサッカー界にも、事実上これと同様の仕組みが存在している。「契約期間満了後移籍金なしで移籍できるという項目を契約書に盛り込んではならない」(Jリーグ規約92条)というのがそれである。
この条項を補完するのが、かの有名な「30ヶ月ルール」。Jクラブが提示した契約更新を拒否して契約満了を迎えた選手は、向こう30ヶ月間、移籍金なしで他のJクラブと契約を交わすことができない、というあれだ。
30ヶ月のブランクは選手生命の終わりを意味する。日本では、プロ野球界もプロサッカー界も、選手の自由意思による移籍を許容しない仕組みになっているのである。
しかしこのルールは、FIFAが規定する移籍ルールに抵触している。そのため、日本の国内市場にしか適用することができないローカルルールという位置づけにならざるを得ない。これが国外移籍の場合にはどうなるかというのは、すでに広山望、中田浩二の両選手が実践した通りである。
日本では、契約更新の仕組み自体も、クラブ側に交渉上非常に有利な立場を保証する内容になっている。まずクラブは、契約を更新するかどうかの意思表示を、契約切れ直前の11月30日まで引っ張ることを許されている。契約満了を迎えた選手は、シーズンが終わる直前までその契約が更新されるかどうか、知らないまま過ごさなければならないわけだ。
しかも、クラブが契約更新の意思を示した場合には、12月いっぱいを優先交渉期間(規約103条)として確保することが許されており、その間、選手には他クラブとの接触が禁じられている。これはつまり、残留・契約更新が交渉の暗黙の前提となっており、この時点で選手には他の選択肢がないということだ。
しかも、この期間中にサインをしないと、契約更新を拒否したと見なされ、所属クラブとの交渉権を失う(規約107条)から、契約切れの時期に、所属クラブを含めた複数のオファーを比較検討して次のキャリアを決める、ということができない。
これらの必然的な結果として、シーズンオフの12月、1月には、少なくない選手が突然、契約を更新しないことを告げられ「路頭に迷う」ことになる。その時点で、次のクラブを見つけるのが簡単ではないことは、容易に想像がつく。
それを補完する手段がトライアウトということになるのだろうが、オフシーズンに、わずか1日、2日の機会で、選手の採否を決めるというのは、理不尽以外の何物でもない。
本来ならば、選手を獲るか獲らないかは、その選手の潜在能力やパフォーマンスを時間をかけて検討し、性格なども含めてチームに相応しいかどうかを判断した上で、結論を出すべきものだろう。
トライアウトがそれを補完する機能を持っているとは、とても思えない。一発勝負の入学試験的発想が、プロスポーツの世界で真面目に受け入れられていること自体、信じられないことである。
あるチームで結果を残せなかった選手が、他のチームでも同じとは限らない。日本では、18歳で新卒を取ってC契約を交わし、2~3年サテライトで「修業」させて芽が出なかった使い捨て、というケースが少なくないと聞く。
一旦プロ契約を交わしたら、保有権を持ちながら下位リーグにレンタルするなど、異なる環境とチャンスを与えながら、24歳くらいまで時間をかけて育てていくことも珍しくないヨーロッパと比較すると、ロスが多く非効率的で、選手を幸せにしないシステムではないかという気がするのだが。□
ヨーロッパの移籍システム
クラブと選手の関係は複数年契約が基本。契約が満了すれば選手はフリーになり、移籍金ゼロで他のクラブと新たな契約を結ぶことができる。そのためクラブは、将来においてもその選手が戦力として必要だと判断した場合、契約が1年以上残っているうちに、2年、3年の契約延長をオファーして引き留めを図るのが普通である。
契約の残り期間が1年を切ると、逆にクラブ側に契約更新の意志が薄いと見なされる。実際、契約切れ6ヶ月前からは、選手、代理人が他のクラブと接触することが許されている。
このシステムの下では、すべての選手に「移籍の自由」が保証されている。所属クラブでの待遇(戦力的、経済的)に満足できず、よりいい条件でプレーできる可能性が他にあると考えれば、契約を更新しないという選択肢を手にして、6ヶ月をかけて次のクラブを探すことができる。
その結果として、所属クラブと契約を更新することも可能。つまり、自分のキャリアを自分で決めることができる。移籍市場の流動性も高い。□
ケーススタディ1:ダヴィド・トレゼゲ
1996年のボスマン判決から12年、ヨーロッパにおいて、FIFAの移籍ルールに明記された「契約満了後の移籍の自由」は、今や契約・移籍にかかわる大前提だ。
フランス代表FWダヴィド・トレゼゲとユヴェントスは、2008年6月までの契約を交わしている。その残余期間が1年となったこのシーズンオフ、トレゼゲはクラブが提示する契約更新のオファーを手にしながら、回答を保留中。
選手の立場からすると、あと1年ユーヴェでプレーして契約満了にこぎつければ、他のクラブと自由に契約を交わすことが可能なので、焦って更新に応じる必要はない。一方のユーヴェは、移籍金ゼロでトレゼゲを失う事態を避けるため、トレゼゲが満足する条件で契約を更新するか、あるいはこの夏の間に本人も納得する形で他のクラブに売却するかの二者択一を迫られている(選手には移籍に対する拒否権がある)。
シビアだがフェアで対等。これがヨーロッパにおけるクラブと選手の関係のあり方である。□
ケーススタディ2:ファビオ・クアリアレッラ
6月6日の欧州選手権予選リトアニア対イタリアで2ゴールを決め、一躍注目を浴びたサンプドリアのファビオ・クアリアレッラ。この24歳のFWのキャリアは、イタリアにおける「晩成型」タレントのひとつの典型を示している。
育成で定評があったトリノの下部組織で育ち、19歳でセリエAにデビューしたが、その翌年から2シーズン、セリエC1(3部リーグ)にレンタルに出されて経験を積み、2年目には32試合17ゴールという結果を残す。22歳になった04-05シーズン、セリエBに降格していたトリノに呼び戻され、7ゴールを挙げてA昇格に貢献した。
続く昨シーズンは、セリエAのウディネーゼに移籍したが、そのウディネーゼも出場機会を与えて経験を積ませるため、同じAのアスコリにレンタルに出す。若くて有望な選手は、手元で飼い殺しにするよりも外に出してプレーできる環境を与えることが基本なのだ。
そして今シーズンは、ウディネーゼから保有権の半分を買い取ったサンプドリアに移籍し、13ゴールと大ブレイクを果たす。下積みで経験を積みながら実力を養う機会が与えられたからこその、遅咲き開花だった。□
(2007年6月8日/初出:『footballista』)