日本の移籍制度に関する考察シリーズその5です。
前回の当コラムで、日本サッカー協会が今年の6月にJFA規約を改正して、FIFAが定めた世界基準である「選手のステイタスと移籍に関する規程」に抵触する内容、すなわち「30ヶ月ルール」「移籍金算定基準」といったローカルルールにかかわる文言を削除したこと、しかしながら当のローカルルール自体はJリーグの内部規程として残っており、国内移籍には依然、選手の自由を大きく制限する「プレ・ボスマン時代」のルールが適用され続けることを取り上げた。
それを書いていて思ったのは、世界ではすでに10年以上前からスタンダードになっており、FIFAがそれに対応するよう求めているクラブと選手のよりフェアで対等な関係を、JFAとJリーグが今なお拒否し続ける理由はどこにあるのだろうか、ということだった。
想像できるのは、FIFAルールの導入によってクラブの選手に対する拘束力が弱まり、よりいい条件を提示する資金力のあるクラブに質の高い選手が集中して、その結果クラブ間の戦力格差拡大につながるなど、「移籍の自由化」がもたらすネガティブな影響を危惧しているということ。
思い出すのは、3年前に中田浩二がマルセイユに契約満了で移籍した際、旧所属クラブのトップが「こうしたケースが続出しないよう、Jリーグとして対策を考えてほしい」と発言していたことだ。そこには、何か想定外の問題が起こったときには「お上が何とかしてくれる」のを当然と考えるメンタリティが見え隠れしているように見えた。
ずっと昔、筆者が経済記者のような仕事をしていた当時によく目にした、外国製品との競合で不利な立場になると行政に保護政策を陳情したり、業績不振を景気のせいにして嘆いたりしていた企業経営者の言い分と似ているように思えたのは、気のせいだけではないはずだ。
日本のサッカーはまだ発展途上だから急激な環境の変化には耐えられない、プロテクトしなければ、という議論がある。それは一面、確かにそうかもしれない。しかし、保護政策というのは、それがいかなるものであっても原則的に現状維持を目的とするものだ。そして現状維持のための保護は、変革にブレーキをかけてしまうという決定的な欠点を持っている。
日本のサッカーが最終的にワールドカップ優勝を目指す、つまり高い国際競争力を獲得しようとするのであれば、必要なのは世界レベルに追いつくための変革であって、現状維持ではない。契約と移籍のシステムを、最終的に世界標準に合わせることが不可避である以上、そこから目を逸らし続けることは生産的ではない。
日本のサッカーがまだ発展途上だとしたら、逆にそうした環境変化をチャンスと捉えて、変革と飛躍のきっかけにすることも可能なはずだ。Jリーグ誕生の経緯からしてそうだったではないか。
もちろん、経営環境が変われば自己変革できずに脱落していくクラブも出てくるかもしれない。しかし、環境が変わった時に、従来と同じことをしていれば危機に陥るのは当然だ。現状維持を既得権益だと思っているメンタリティからは発展はうまれない。
確かに「移籍の自由化」は、資金力が少なく選手をつなぎ止めておくことができない中小規模のクラブが、現有戦力を保持することを困難にする。しかしそれは、競争原理からすればしごく当然のことである。
ヨーロッパでも南米でも、そういうクラブは選手の育成・発掘に限られたリソースを注ぎ込み、新たなタレントを自らの手で育て上げては売却することで、生き残りを図っている。イタリアで言えばウディネーゼやアタランタはその最たる例である。
現在セリエBで首位を争うピーサのように、他のクラブをお払い箱になった移籍金ゼロの選手を中心にチームを作って好成績を収めているチームもある。
選手を不当に拘束する「30ヶ月ルール」、当初は移籍金の高騰を防ぐために設定されながら、逆に今は移籍金の高止まりをもたらしている「移籍金算定基準」(例えば20歳で年俸1000万円の選手を獲得するためには1億円の移籍金が必要になる)は、移籍市場の流動性を低下させ、クラブにJリーガーの安直な使い捨てを許しているように見える。
このあたりの議論は、また機会を改めて掘り下げるつもりが、ともかく、日本にもそろそろ「プレ・ボスマン時代」のローカルルールを撤廃するべき時期が来ている。少なくともそのことは確かだと思う。□
(2007年12月4日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」