イタリアのスポーツマスコミ事情について。この話題は何度か断続的に取り上げてきたので、順次アップします。

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イタリアのサッカー報道に日々接していて思うのは、その量の膨大さである。

イタリアには、本紙と同じピンク色でおなじみ(というかあちらが本家本元)、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』をはじめ、『コリエーレ・デッロ・スポルト』、『トゥットスポルト』という、3つのスポーツ専門日刊紙がある。

スポーツ新聞とはいうものの、毎日の紙面(24-40ページ)の大部分はカルチョの話題で占められており、それ以外のスポーツ(モータースポーツ、バスケット、バレー、自転車など)に割り当てられたスペースは、合わせてほんの数ページに過ぎない。

『ガゼッタ』ならミラン、インテル(+ユーヴェ)、『コリエーレ』ならローマとラツィオ、『トゥットスポルト』ならユーヴェとトリノなど、各紙とも地元のクラブには、毎日多ければ2、3ページを割いている。

試合のある日ではなく、試合のない普通の平日の話である。日本の週刊サッカー雑誌に、各チームの情報を1/2ページずつのスペースで伝えるコーナーがあるが、あれが1チームにつき毎日2ページ分あると考えていただければいいだろう。ものすごい量だと思いませんか?

各紙はそのために、それぞれのクラブに複数の番記者を貼り付けている。試合がない日は練習場に通って取材し、その日の話題を記事にするわけだ。

問題は、実際のところ毎日そんなに書くべきネタがあるわけではないというところにある。ビッグクラブの報道管制は年々厳しさを増す一方で、今や練習は原則非公開。練習場に通ったからといって、練習を取材できるわけではない。

取材できるのは、毎日ひとりの選手(または監督)が出てくる共同記者会見のみ。しかも大概の場合、帰ってくる答えは当たり障りのない出来合いの紋切り型ばかりで、ニュースになるようなコメントはほとんど期待できない。しかしそれでも番記者の皆さんは記事を書かなければならない。そうしないとページが埋まらない。

日本のスポーツ紙の場合、特にサッカーに関しては、せっかく取材に通ってもそれを書くスペースがもらえず、あるいは足りないために、書きたいことの何割も書けないのが普通、という話をよく耳にする。『エル・ゴラッソ』だって、編集部で日々思いついたり温めたりしている企画の半分も、実際の記事として紙面になってはいないのではないだろうか(これは勝手な推測)。

イタリアの場合はまったく逆で、スポーツ紙の番記者の皆さんは、書くことがないのにページを埋めるために書かなければならないという状況と、日々戦っているように見える。これはこれで大変な苦行である。

日本の新聞記者は、まず短く簡潔に、事実関係を正確に押さえた記事を書く訓練を受けるし、実際の現場でもそれは同じだろうと思うが、イタリアのスポーツ新聞記者にとっては、限られたネタをいかに膨らませて読ませるストーリー(と目を引く見出し)を書きつづるかが勝負であり、日々そのための実地訓練を積んでいるように見える。

その必然的な結果として、スポーツ新聞には「針小棒大」とか「羊頭狗肉」とか、そういう四字熟語がぴったり当てはまるような記事が、毎日のように載ることになる。『ガゼッタ』だって『コリエーレ』だって、ちょっとよく読めば突っ込みどころ満載である。

実際、イタリアの記者の皆さんの“書き飛ばすパワーとクリエイティビティ”には、感服させられることが少なくない。

例えば、スタメンを外れたミランのガットゥーゾが「そりゃベンチに座ってて気分がいいわけねーよ」と漏らしたそのひと言をもとに、「キャリアの最後はイングランドかスコットランドでプレーできるといいけどな」という過去のコメントを引っ張り出し、「チャンピオンズリーグ決勝で敗れたショックからまだ完全に立ち直っていない」というスパイスをふりかけて、あっというまに「ガットゥーゾ移籍志願!」という、それなりに説得力があるようにも見える長い記事(移籍先とその理由つき)を書き上げてしまうような芸当は、筆者にはとても真似できない。

どんな国のどんな新聞でもそうであるように、『ガゼッタ』や『コリエーレ』も、記事の内容は玉石混交、ピンキリである。

同業者である自分を棚に上げて、ひとりの読み手として言わせてもらえば、同じ話を膨らませるのでも、筋が通っている上に裏付けもしっかりした、蓋然性の高い内容の記事を安定して書く記者もいれば、脳内で都合よく話を発展させた独りよがりの記事ばかりを書く記者もいる(目を引く見出しや議論の種になることが目的で中身は二の次、という確信犯も少なくない)。

ひとりひとり、技術も違うし芸風も違うが、共通しているのは、とにかく量を書く腕力があること。しかもそのスピードがぶっ速い。

それを如実に見せつけられるのが、試合の日の仕事ぶりなのだが、紙幅が尽きてしまったので、その話はまたそのうち機会を改めて。■

(2005年9月29日/初出:『El Golazo』連載コラム「かるちょおもてうら」#43)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。