予告通りドーピングの話です。去年の5月と比較的最近書いた原稿ですが、つながりがいいのでアップしてしまいます。自転車ロードレース界では今シーズンもごたごたが続いているし、カルチョの世界でもアナボリック系やEPOは見つかりませんが(やってないのか発見されないのかは誰にも断言できず)、コカインで引っかかる選手は年に数人出ています。
<前編>
日が長くなって気温も上がり、初夏の気配が濃厚になってくると、カルチョのシーズンもそろそろおしまい。入れ替わりに本格化してくるのが、F1や二輪ロードレースなどのモータースポーツ、そして半世紀前にはカルチョと肩を並べるほどの人気を誇っていた自転車ロードレースである。毎年5月の第2土曜日には、欧州三大ツールのひとつであるイタリア一周レース、“ジーロ・ディタリア”がスタートし、イタリアは3週間に渡って大いに盛り上がる。
今年も先週末からこのジーロが始まっているわけだが、スタート前の最も大きな話題は、レースとは直接関係のないドーピング問題だった。5月2日、昨年の優勝者イヴァン・バッソが、かねてから疑惑を持たれていた血液ドーピングについて、CONI(イタリアオリンピック連盟)の尋問を受け、罪を認めて処分を受け入れる態度を示すという出来事があったからだ。
バッソは昨年ジーロで優勝した後、7月に行われたツール・ド・フランスでも優勝候補に挙げられていたが、その直前にスペインで行われた大規模なアンチドーピング捜査、“オペラシオン・プエルト”の疑惑リストに名前が挙がって出場リストから外されている。その後、この捜査がはっきりした結論を出さないままうやむやになったこともあり、今年のジーロに向けて再起を期していた。
しかし最近になって、一部マスコミに新たな証拠が流出、それを受けたCONI(イタリアオリンピック連盟)アンチドーピング委員会に召喚された席上で、“オペラシオン・プエルト”の標的となったスペイン人医師エウフェミアノ・フエンテスとの関わりを初めて認め(しかしドーピング行為そのものは未遂を主張)、処分を受ける意思を明らかにしたのだった。もちろん、ジーロは欠場である。
自転車ロードレース界にドーピングが蔓延しているのは周知の事実だ。しかしこれまで、トップレベルのライダーがそれを公に認め、アンチドーピング当局に協力の姿勢を示したことはなかった。自転車の世界に限らず、ドーピングに関してスポーツ界の内部を支配しているのは“沈黙の掟”である。誰もが多かれ少なかれ同じ穴の狢であり、その意味で全員が一蓮托生である以上、改悛し告白することは天に向かって唾を吐くのと同じ、というのが、その沈黙を支えるメンタリティであるように見える。
にもかかわらず、バッソが告白したのは、そうする以外にはないほど追い込まれていたからだろう。フエンテスのオフィスから押収された血液をはじめ、動かぬ証拠があまりにも揃っていた、ということである。
今やドーピングに関して、自転車ロードレース界の信頼性はゼロと言ってもいい。昨年のジーロ勝者バッソ、ツール・ド・フランス勝者ランディスは、共にドーピングの疑いが持たれており、アームストロング、ウルリッヒ、パンターニといった歴代のツール勝者も、白よりはずっと黒に近い灰色である。
しかしこの問題は、自転車の世界だけにとどまるものではない。陸上の世界だって、近年の100mレコードブレーカーはほぼ全員、ドーピングが発覚してキャリアに終止符を打っているし、水泳でもイアン・ソープが疑惑に晒されている。アメリカのプロスポーツ界にはもっとすごい話がいくらでもごろごろしている。
ドーピングを巡っては、新たな薬物や手法の開発とその摘発のイタチごっこ、という状態が何十年も続いており、スポーツの世界においてはもはや「検査に引っかからない行為はドーピングではない」という以上の倫理は存在していないようにすら見える。
なぜこんな話をだらだらと書いているかといえば、サッカーの世界とてその例外ではないに違いないからだ。
“オペラシオン・プエルト”で摘発されたフエンテス医師の顧客リストには、自転車のプロライダーだけでなく、有名なサッカー選手の名前も含まれているといわれた。昨年12月にはフランスの『ル・モンド』が、バルセロナ、レアル・マドリー、ヴァレンシア、ベティスの4クラブが、フエンテスと関係を持っていたというスクープを報じている。4クラブは即座に否定し、スペインのスポーツマスコミもそれを後押しする格好になったが、スクープの真偽は今も明らかではない。
90年代末には、イタリアでユヴェントスのドーピング疑惑があった。これは、ユヴェントスのメディカル部門が200種類を超える医薬品をストックし、その本来の治療目的ではなく選手のパフォーマンス向上のために使用していたというもの。士気高揚のために抗うつ剤を試合直前に処方したり(興奮剤の代用)、心肺機能向上のために心筋症治療薬を処方したり、といった行為が日常的に行われていた。
この件を巡る裁判は、一審でチームドクターが有罪、二審で無罪となったが、今年3月、検察の上告を受けた控訴院が二審判決を棄却し、法に抵触する疑いが強いとしながらも、時効によって裁判が打ち切りになるという、よくわからない結末を迎えている。
この2つの出来事が象徴するように、サッカーの世界にも、ドーピングを受け入れる温床は(他のスポーツと同じように)存在している。で、本当はここからが本題なのだが、すでに紙面が尽きてしまった。続きは次回ということでどうかお許しを。■
(2007年5月11日/初出:『footballista』連載コラム「かるちょおもてうら」)
<後編>
先週に引き続きドーピングの話。
自転車ロードレース、陸上競技、水泳といった個人競技の世界と比較すると、サッカーの世界はまだ、ドーピングが話題に上る頻度は少ない方だとは言えるかもしれない。しかし、前回取り上げた“オペラシオン・プエルト”やユヴェントスの裁判の例を挙げるまでもなく、ドーピングを受け入れる温床は他のスポーツと同じように存在している――というのが前回の話だった。
その大きな背景となっているのは、サッカー選手に課される身体的負荷の増加である。プロサッカーの世界では、この15-20年の間に、1シーズンを通しての試合数が増加しただけでなく、1試合の中での運動の強度と密度もまた、プレーのリズムとスピードが大きく高まったのに伴って、過去と比べると大きく増大した。
少し具体的な数字を並べてみよう。ミランやインテルのようなビッグクラブのレギュラークラスが1シーズンにプレーする試合数は、1970年代には多くとも35試合がいいところだった。しかし現在では下手をすると60試合を超えることすらある。
手元にたまたま、CLのミラン対セルティック(決勝T1回戦第2レグ)でプレーした全選手の“走行距離データ”があるのだが、例えばセルティックの中村が90分で走破した距離は1万2884mに及ぶ(ちなみにこれはチームで最も多い)。しかもそのうち、無酸素運動の領域に入る時速16km以上のランとスプリントが2794mと、全体の2割強を占めている。
こうした数字がデータとして日常的に扱われているという事実が端的に示しているように、プロサッカーの現場では、コンディショニングからトレーニングまで、プレーヤーのフィジカル的側面を研究し、強化し、管理し、ケアすることに、大きなリソースを割くようになっている。
10-15年前までは、ビッグクラブであっても、フィジカルコーチ1人とフィジオセラピスト(いわゆるマッサー)が1~2人、トップチームにいるだけだった。しかし、例えばミランでは現在、フィジカル、メディカル、心理学の3分野を統合したセンター「ミランラボ」(スタッフは20数人)を通じて、選手のコンディションを総合的に管理する体制を敷いている。
今やトップレベルでプレーするためには、卓越したフットボーラーであると同時に優秀なアスリートであることが不可欠。90分間を通して強度の高い運動を間欠的に続ける持久力、3日おきの試合でそれを繰り返す回復力を、8月末から5月末までの9ヶ月を通して維持することが必要なのだ。
これは、ひとりの人間に要求されるパフォーマンスとしては、おそらく極限に近いレベルである。クラブがそのためにこれだけの人員とコストを投入しているのも、そこまでしなければ高いパフォーマンスを安定して発揮することが困難だからだろう。
あらゆる科学を動員して選手のパフォーマンスを高めようと試みる、というこの姿勢は、それ自体がドーピングの出発点と言っていい。医療行為、あるいは単なる健康管理とドーピング行為の境界線はそれこそ、にんにくエキスの錠剤を口から摂るのと、その濃縮液を静脈注射するのと、その間にしかないからだ。WADA(世界アンチドーピング機構)やFIFAが定める規定に反していなければ、ドーピングではないのだから。
例えば、ユヴェントスが90年代末に行っていた、士気高揚のために抗うつ剤を試合直前に処方したり(興奮剤の代用)、心肺機能向上のために心筋症治療薬を処方したり、といった行為は、当時の規定ではグレーゾーンでしかなかった(今はアウト)。
ドーピング検査でサッカー選手が最も多く引っかかる物質であるナンドロロン(蛋白同化ステロイドの一種。グアルディオラ、ダーヴィッツ、スタム、コウトといったワールドクラスも陽性で出場停止になった)は、体内でも生成され得る物質であり、それ自体を摂取しなくとも、禁止薬物リストには載っていないサプリメントの摂取によって、検査での測定値が上がることもあるという。
しかし、直接摂取してマスキング(禁止薬物を検出されないようにするための操作)に失敗した場合にも測定値は上がるから、ドーピング行為があったかどうかを特定することは難しい。
これらをもって、サッカーの世界でもドーピングが日常的に行われている、と言うことはできないし、またそれは明らかに事実に反している。しかし、サッカーは他のスポーツよりもクリーンだ(FIFAのスポークスマンがこれに類したコメントをしたことがある)と能天気に言えるような状況ではないことも、また確かである。
問題は、世界規模のビジネスとなったプロサッカーというシステムが、ピッチ上のプレーヤーに、(億単位の年俸と引き換えに)肉体の限界を超えるレベルの負荷を強いているところにある。標準的なパフォーマンスを維持するために、科学の力(薬とは言わないでおく)に大きく頼らなければならないというのは、それ自体アブノーマルな状況であり、何らかの是正が必要だと考えた方がいいのではないだろうか。
とはいえ、じゃあ国内リーグを16チーム制にして、リーグカップを廃止し、CLの試合数もさらに減らせばすべてが解決するかというと、おそらくそうではないところが悩ましいのだが……。□
(2007年5月18日/初出:『footballista』連載コラム「かるちょおもてうら」)