今週木曜日発売の『ワールドサッカーダイジェスト』はドリブル特集。ひとことで「ドリブル」と言っても、その意味するところはひとつではありません。発売日に向けてそのあたりを軽く解説したテキストをどうぞ。

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ドリブラーレdribblare=1対1で敵を抜き去る

ドリブルdribbleという言葉はもちろん英語だが、イタリア人はそこに活用語尾をくっつけて、イタリア語の動詞に仕立て上げてしまった。

名詞として使う場合には、フランス語やスペイン語のように、そのままドリブルdribbleと言わず、律義に不定詞の形にしてドリブリングdribblingと言う。いずれにしても意味するところは「目の前の敵をドリブルで抜き去る」ことである。

日本では、(1)1対1で目の前の敵を抜き去るプレーだけでなく、(2)ボールを足で前に運ぶ行為その物を指す場合にも、「ドリブル」という単語が一切の区別なく使われる。まったく質の違う2つのプレーが同じ言葉で呼ばれる。これは非常に困ったことである。

例えば、「カカがドリブルからシュートを決めミランが先制」と書いたとしよう。果たしてカカはシュートの前にどんなプレーをしたのか、具体的に想像できますか?

イタリア語だけでなく、スペイン語やフランス語でも、「ドリブル」という単語がサッカーの文脈で使われるのは、上の(1)、つまり1対1で敵を抜き去るプレーに限られる。(2)の方には、イタリア語ならコンドゥツィオーネconduzione(スペイン語、フランス語も似たようなもの)という、別の言葉が使われる*ので、混同のしようがない。

厄介なのは、英語の場合日本語と同様(1)と(2)の双方にdribbleが使われること。ただし(2)を区別するためにrunning with the ballという表現も使われる。

実際、原稿を書いていてもイタリア語を翻訳していても、かなり頻繁にこの問題に遭遇する。ぼくはとりあえず、(1)の場合には「1対1の突破」「ドリブル突破」という表現を、(2)の方は「ドリブルでの攻め上がり(持ち上がり)」、「運ぶドリブル」、あるいは湯浅健二さんに倣って「スペースをつなぐドリブル」という表現を使うことにしている。言い方がまだるっこしくなるが、正確を期そうと思えば仕方ない。
 いずれにしても大事なのは、(1)と(2)の区別がきちんとついていることである。□

* イタリア語のコンドゥツィオーネconduzioneは、元々「導く」「同伴する」という意味で、ちょっと取り澄ましたニュアンスがある。そこでかのアリーゴ・サッキ先生は、ペルクッシオーネpercussione(打撃、衝撃の意。英語ではパーカッション)という言葉を開発、アグレッシヴに攻め上がるニュアンスを演出しようとした。ただしこちらは、前回取り上げたリパルテンツァほどは定着していないようだ。むしろ「ボールとともに前進するavanzare con la palla」とか「ボールを足につけてpalla al piede」といった表現を使うことが多い。

(2007年9月12日/初出:『footballista』)

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。