4年ほど前に『ワールドサッカーダイジェスト』のモノクロページで連載されていた「あのチーム、あの人は今」。ぼくも何度か担当しましたが、その中から94-95シーズンにUEFAカップを制したパルマ編を。4年過ぎるとまた事情が変わっているかもしれませんが……。

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セリエAが文字通り「世界で最も美しいリーグ」だった1990年代半ば、ミランやユヴェントスと肩を並べてスクデットや欧州カップのタイトルを争っていたのが、ネヴィオ・スカーラ監督率いるパルマだった。

94-95シーズンには、前年のカップウィナーズ・カップ決勝でアーセナルに敗れた悔しさを晴らすかのように、カンピオナート、UEFAカップ、そしてコッパ・イタリアで最後までユヴェントスとタイトルを争い、UEFAカップではヴィアッリ、ラヴァネッリ、バッジョという3トップを擁するユーヴェを下してクラブ史上初めての欧州カップを勝ち取った。

システムは、当時の最先端とも言える5-3-2。3センターバックの最終ラインはアポローニ、ミノッティ、コウトによって構成され、両サイドをひとりでカバーするウイングバックは、右にムッシあるいはディ・キアーラ、左にベナリーヴォが配されていた。中盤は、最終ラインの前を固めるレジスタ(センシーニまたはピン)と2人のインサイドハーフ(クリッパまたはフィオーレとディノ・バッジョ)という組み合わせ。前線はゾーラとアスプリージャというファンタジアに溢れる2トップがレギュラー、控えがブランカとブロリンという顔ぶれだった。

それから15年、パルマのサポーターはクラブの繁栄と没落、そして再生に立ち合ってきたが、当時の記憶は今も輝かしいままだ。彼らは今、何をしているのだろうか?何人かは今なおカルチョの世界に留まり、監督やコーチやスポーツディレクター、TV解説者を務めている。他の選手たちは引退してから別の人生を歩み始め、プロのポーカープレーヤー、不動産業者、俳優といった仕事に就いている。以下、ひとりひとりの消息について見て行くことにしよう。

ゴールを守っていたルカ・ブッチは、97年までパルマでプレーしたが、下部組織から台頭してきたジャンルイジ・ブッフォンにポジションを奪われ、ペルージャ、トリノ、エンポリなどを経て、キャリアの晩年を再びパルマで送った。そして40歳を迎えた昨シーズン、ナポリの控えGKとして最後の1年を過ごして引退。今シーズンからは、パルマの育成部門で統括GKコーチを務めている。引退試合は、レッジョ・エミリア県の山間部にある生まれ故郷の村で、幼なじみの友人たちと共に行った。

91年から2004年までパルマに在籍し257試合に出場したアントニオ・ベナリーヴォは、パルマラットの破綻によってタンツィ家が経営から退いたのを機に引退、生まれ故郷の南イタリア、プーリア州ブリンディジに帰って、不動産業を営んでいる。

そのベナリーヴォの逆サイドでライン際を上下動していたロベルト・ムッシは、引退後やはり故郷(トスカーナ州マッサ)に戻って、スポルティング・マッセーゼというサッカースクールを経営している。サッカー選手としてもいまだ現役、オーバー35のイタリア代表(エキジビションマッチ専門のマスターズチーム)で右サイドバックを務めている。

ムッシとポジションを争ったアルベルト・ディ・キアーラは、ペルージャに移籍して現役を退いた後、広報担当としてクラブに残ったが(ちょうど中田英寿がペルージャでプレーしていた当時の話だ)、その後代理人に転身、元ギリシャ代表のFWヴリーザス、ウディネーゼでプレーするMFピンツィなどを顧客に持っている。さらに最近はTVのサッカー番組にもオピニオニストとして積極的に出演しており、当時と変わらぬハンサムな顔立ちと長髪を画面の向こうに目にすることも少なくない。

最終ラインを固めていた3人のセンターバックは、揃って今もカルチョの世界に残っている。

ルイジ・アポローニは、引退後パルマでチームマネジャーとアシスタントコーチを務め、09-10シーズンからセリエBのモデナで監督としての本格的なキャリアをスタートした。決して充実しているとは言えない戦力で13位と健闘、残留を勝ち取り、今シーズンは同じセリエBのグロッセートに活躍の場を移している。

ロレンツォ・ミノッティは、出身クラブであるチェゼーナのテクニカルディレクター。セリエC1から2年連続昇格を果たし、今シーズンはセリエAで戦っている。

フェルナンド・コウトは故国ポルトガルに帰って2008年に現役生活を終え、サッカー協会のスタッフとなったが、スポルティング・ブラガのスポーツディレクターに転身した。今シーズンはチャンピオンズリーグのプレーオフで格上セビージャを破ってグループリーグを戦っている。

中盤の底で「ピッチ上の監督」と言うべき役目を担っていたセンシーニとピンも、それにふさわしいキャリアを送っている。

ネストール・センシーニは39歳まで現役生活を続けたが、ウディネーゼでプレーしていた05-06シーズンの途中に、コズミ監督解任を受けて引退しそのまま監督に就任、新たなキャリアをスタートした。母国アルゼンチンに戻ってエストゥディアンテスを率い、2008年後期にかつてパルマ、ラツィオで共にプレーした盟友ヴェロンと共にリーグ優勝を勝ち取る。しかしその翌年にシーズン途中で辞任、自らが育ったニューウェルス・オールドボーイズの監督に転身して現在に至っている。

ガブリエーレ・ピンは96-97シーズンのピアチェンツァ(セリエB)を最後にユニフォームを脱ぎ、パルマの育成コーチ、そして01-02シーズンのプランデッリ監督就任と同時に助監督となり、その後はフィオレンティーナ、そして今夏からイタリア代表と、常に行動を共にしている。

UEFAカップ決勝でパルマに優勝をもたらすゴールを決めたディノ・バッジョは、生まれ故郷に近いヴェネト州のチッタデッラ(セリエB)でユースコーチを務める傍ら、地元のクラブであるトンボロ(テルツァ・カテゴリア=10部リーグ)で今もプレーを続ける。2008年からは地元の劇団で舞台俳優としても活動するという多芸ぶりだ。

そのバッジョと共に抜群の運動量で中盤を支えたマッシモ・クリッパは、ムッシと同様故郷に戻ってサッカースクールを運営している。

当時のメンバーで現在も現役を続けている唯一のプレーヤーが、ステーファノ・フィオーレ。ウディネーゼ、ラツィオ、ヴァレンシア、フィオレンティーナ、トリノ、リヴォルノ、マントヴァと10近いクラブを渡り歩いた後、昨シーズンからは出身クラブである南部カラブリア州のコゼンツァ(LP1)に戻り、司令塔としてチームを操っている。

攻撃陣のその後は、彼らのプレーと同様に多彩だ。

ジャンフランコ・ゾーラは、1996-97シーズンにカルロ・アンチェロッティ監督との確執からイングランドのチェルシーに移籍、その華麗なテクニックとファンタジアで「マジックボックス」の異名を取り、サポーターから絶大な支持と愛情を得た。2002-03シーズンには故郷サルデーニャ島のカリアリに戻ってクラブをセリエAに昇格させ、翌シーズンのセリエAで31試合9ゴールを挙げる有終の美を飾って、38歳で引退。その後、2006年から2年間、イタリアU-21代表のアシスタントコーチとしてピエルルイジ・カジラギ監督を支えたが、2008年にプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドの監督に招聘された。08-09シーズンは9位、09-10シーズンはギリギリで降格を逃れる16位に終わり、シーズン終了後にその職を解かれている。

マルコ・ブランカは、00-01シーズンにセリエBのモンツァでキャリアを終えると、翌年インテルのスカウト部長に就任、モラッティ会長の覚えめでたく、2004年にはテクニカルディレクターとして強化部門の実質的な責任者となり、インテルのカルチョメルカートを取り仕切っている。カンビアッソ、マイコン、イブラヒモヴィッチからエトー、スナイデル、ルシオまで、現在の主力の大半が彼の交渉によって獲得した選手だ。

サッカー界で活躍を続けるこの2人に対し、まったく別の世界でスターとなったのがアスプリージャとブロリン。

現役時代からその傑出したタレントと共に放縦な私生活でも知られてきたファウスティーノ・アスプリージャは、母国ではコロンビア史上最も偉大なフットボーラーの1人として、2005年に引退した後も大きな人気を集めており、その人気を活かして子供向けのサッカースクールを経営しながら、TV番組にも頻繁に出演するスターとしての生活を送っているという。昨年は24時間その生活をTVカメラに「監視」されながら他の出演者と共に何ヶ月もの集団生活を送る人気リアリティーショー「ビッグブラザー」のコロンビア版に出演した。

最もセンセーショナルでユニークなのが、トマス・ブロリンの現在。30歳にもならない1997年、故障の影響もあってイングランドのクリスタル・パレスを最後に引退すると、母国スウェーデンに戻ってイタリア料理のレストラン「ウンディチ」(イタリア語で11の意味。ブロリン自身の背番号にちなむ)を開いたが、その時にはまだ自分の本当のタレントに気付いていなかった。2000年代の初め、趣味が高じてプロのポーカープレーヤーになると、その道でもトップレベルに登り詰め、2007年にはワールドシリーズに参加するまでになった。少なくともこちらでは故障で引退に追い込まれる心配はない。■

(2010年9月24日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。