パルマがここ3ヶ月で2度目のオーナー交代(しかも新オーナーの正体はまたも謎)というわけのわからない状態になり、ブレシアも破産の危機に瀕しているなど、イタリアのプロヴィンチャーレ(地方都市の中小クラブ)には困難な状況に直面しているところが少なくありません。ただまあこれは今に始まった話ではなく、ここ10年くらいずっと続いていることです。というわけで、10年前に書いたこのテキストを。

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イタリアの04-05シーズンが終了した6月半ば以来、ひと夏まるまるを費やして繰り広げられてきたセリエA、B登録問題は、開幕まであと10日という土壇場になって、やっと決着を見た。

これに伴って、下位リーグも含むすべてのプロリーグの対戦表とカレンダーも発表され、やっとカルチョの舞台が、会議室や裁判所からスタジアムのピッチへと戻ってくる運びとなった。まずはめでたしめでたしである。

だがその一方では、第二次大戦前後にはセリエA5連覇を果たして“グランデ・トリノ”と呼ばれた、スクデット獲得7回を誇る名門トリノ・カルチョ、名物会長ルチャーノ・ガウッチの下、中田英寿がヨーロッパの舞台で飛躍する舞台となったペルージャAC、同じ時期にディ・ヴァイオやガットゥーゾを擁してセリエAで戦ったサレルニターナ・スポルト、そして99-00シーズンに名波がプレーしたACヴェネツィアなど、セリエCまで含めれば10近いクラブが新シーズンに登録できず、破産を強いられることになった。一度にこれだけの数のクラブが消滅するというのは、過去にほとんど例がない惨事である。

もっとも、破産・消滅とはいうものの、これで<トリノ>や<ペルージャ>、<ヴェネツィア>や<サレルニターナ>の命脈が尽きてしまったわけではない。

というのもイタリアには、プロクラブがリーグ登録基準を満たせずに破産した場合、その権利を引き継ぐ新たな運営会社が、同じ都市に別の経営者によって設立されれば、本来所属するはずだったカテゴリーのひとつ下から出直しを図ることができる——というルールがあるからだ。

CONI(イタリアオリンピック連盟=FIGCの上位にあるスポーツ統括団体)のジャンニ・ペトルッチ会長が制定したことからペトルッチ裁定と呼ばれているこのルールは、2002年夏に起こったACフィオレンティーナの破産・消滅問題を踏まえて作られたものだ。

従来、プロクラブが登録基準を満たせずに破産した場合には、プロの範疇(セリエAからC2まで4部・計132チーム)から排除されて、アマチュアからの再出発を強いられることになっていた。

本来ならフィオレンティーナも同じ運命をたどるはずだったのだが、フィレンツェという都市の“格”、そしてフィオレンティーナが過去にカルチョの歴史に残してきた足跡とその重要性を考慮した結果、自治体の肝煎りで設立されたフロレンティア・ヴィオラという新クラブをセリエC2(4部)に登録することが特例で認められたという経緯があった。

このフロレンティア・ヴィオラこそが、現在セリエAで戦っているAcfフィオレンティーナの母体である。そして今では、このAcfフィオレンティーナが、1926年に設立された旧ACフィオレンティーナの歴史と伝統の正統なる継承者として認められている。

破産・消滅したクラブと名称こそほとんど同じだが、経営者も違えば企業としての法人格も別物、形の上ではまったく継続性を持っていない新運営会社が、そのクラブを名乗る権利ばかりか、旧クラブの歴史と伝統までもそのまま継承する——。一見すると理不尽な話のようにも思えるが、ペトルッチ裁定は、それを容認し制度化するために作られたものだと言ってもいい。

では、その根拠はどこにあるのだろうか。それはおそらく、クラブが築いてきた歴史と伝統は、その時々の経営権の所有者はもちろん、その器となるクラブという法人組織に属するものですらない、そのクラブを支えてきたサポーターと都市にこそ属する無形の財産だ——という社会的合意である。

ペルージャでは、ガウッチ家が所有していた<ペルージャAC>の破産確定直後に、ローマで不動産ビジネスを展開する35歳の青年実業家ヴィンチェンツォ・シルヴェストリが、市の協力を得て新運営会社<ペルージャ・カルチョ>を設立して、ペトルッチ裁定の適用を申請し、セリエC1への登録が認められた。

クラブの象徴として、名誉会長兼テクニカル・ディレクターの座に就いたのは、78-79シーズンに無敗でセリエA2位という偉業を達成した当時の監督であり、その後も何度かチームを率いて結果を残し、サポーターや市民から今なお絶大な支持と敬意を受けているイラリオ・カスタニェール。そう、中田がセリエAにデビューした時の指揮官である。

ガウッチ家がペルージャの経営権を手にしていたのは、ほんの14年間に過ぎなかった。カスタニェールは選手時代を含めれば、60年代半ばからもう40年もこのクラブと関わり続けている。

3部リーグから再スタートを切る新チームには、旧ペルージャACの人的資産を無条件で引き継ぐ権利はない。開幕までのわずかな期間に、ほとんどゼロからチームとしての体裁を整えなければならないという、厳しい状況である。だが早速そこに、中田在籍当時のキャプテンだったMFレナート・オリーヴェなど、かつてカスタニェールの下でプレーした選手が何人か参集してきた。彼らは、ヴィオラにとってアンジェロ・ディ・リーヴィオがそうであったように、ペルージャの過去と未来を結ぶ継続性のシンボルとなるだろう。

トリノやヴェネツィアやサレルノでも、クラブの死に続く再生のプロセスが動き出している。都市が、そしてサポーターが望む限り、歴史と伝統が途絶えることはない。■

(2005年8月23日/初出:『エル・ゴラッソ』連載コラム「カルチョおもてうら」

※追記:ヴェネツィアはこの後2009年、ペルージャも2010年、サレルニターナは2011年にもう一度破産して、それぞれセリエDから出直ししています。現在は、ペルージャがセリエB、他の2チームはレーガプロ(3部)。サレルニターナはクラウディオ・ロティート(ラツィオ会長)が保有しています。

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。