クラブを買収して会長になるというのはどういうことなのか、という話はこれまでいろいろなところで書いてきましたが、これもそのひとつ。最近のイタリアは慢性的な不況に加えて、サッカーそのものの地盤沈下も顕著なので、この当時ほど威勢よく大金をつぎ込める人はいなくなってきていますが……。
イタリアで最も金のかかる道楽は何か?それはおそらく、メジャーな、つまりセリエAやBのプロサッカークラブのオーナーになることだろう。
まず、クラブの経営権を買い取るのに、日本円にして数十億円の資金が必要だ。
例えば、昨年夏に、破産したナポリの経営権を引き継いだ映画プロデューサーのアウレリオ・デ・ラウレンティスは、セリエC1(3部リーグ)から再スタートを切るクラブを手に入れるために、2500万ユーロ(約34億円)の買収金を用意しなければならなかった。
もちろん、クラブを運営していくのにも金はかかる。「カルチョ業界」全体が構造的な赤字体質を抱えており、毎年の支出は売上高を大幅に上回るから、クラブを所有しているだけで少なくとも年間数億円、しばしば十億円単位の負債を抱え込むことは避けられない。そして多くの場合、この負債の穴埋めは個人資産の「持ち出し」である。
3年前にフィオレンティーナを手に入れた高級靴ブランドTod’sのオーナー、ディエゴ・デッラ・ヴァッレは、セリエA昇格を果たした昨年夏とこの冬、2回の移籍マーケットだけで、総額4000万ユーロ(約54億円)もの「お買い物」をする羽目になった。インテルのオーナー、マッシモ・モラッティが、この10年間につぎ込んだ金額は、およそ5億ユーロ(約675億円)に上るともいわれる。
それでも、チームが好調で、マスコミから持ち上げられ、サポーターから感謝されれば少しは報われた気分になれるだろう。しかし、それも所詮はつかの間の喜びに過ぎない。チームが不振に陥って降格の危機に瀕したりすれば、すぐに公共の場で名指しで罵られ、無能呼ばわりされて嘲笑を買うこともしばしばだからだ。
いくら道楽とはいえ、そんな割に合わない目に遭ってまで、プロサッカークラブのオーナーになりたい奇特な大金持ちがそうそういるものだろうか——、と思いきや、これがけっこういるのである。
その中のひとり、今年セリエAに昇格したパレルモのマウリツィオ・ザンパリーニ会長は、あるときこう語っていたものだ。
「実業家としてどんなに成功して大金持ちになったところで、世間での知名度なんてたかが知れている。でも、セリエAのクラブの会長になれば、老若男女誰でも名前と顔くらいは知っている本物の有名人になれる。事業にも成功した。幸せな家庭も築いた。私に足りないのは世間からの注目度だけだったんだ」
自分の頭文字であるMZをイタリア語読みした“エンメゼータ”という名前の流通グループを経営するこのザンパリーニに限らず、セリエA、Bのオーナー会長の大半は、ゼロから事業を興し一代で財をなした優秀な起業家(成金ともいう)である。ユヴェントスのアニエッリ家のように、何代か続く名門の家系というのは例外中の例外。親の代から資産家というオーナーすら、モラッティ家(インテル)、センシ家(ローマ)など、片手の指にも余るくらいしか見当らない。
今やイタリア共和国首相にまで上り詰めたミランのオーナー、シルヴィオ・ベルルスコーニにしても、小さな工務店から身を興して事業を拡げ、ついにはイタリア一の大富豪に成り上った、筋金入りのセルフメイド・マンだ。
1年に何十億円もの大金を失い、その気前の良さを人々から感謝されるよりも、非難や嘲笑、さらにはひどい侮辱を受けることの方がずっと多い。イタリア語で「頭の悪い金持ち」を表す「リッコ・シェーモ」という言葉は、サッカークラブのオーナーの代名詞でもある。そんな理不尽な境遇と引き換えに彼らが手に入れるもの、それは、スター選手や監督と肩を並べるマスコミからの注目度と知名度、そして名士としての社会的立場である。
カルチョこそが人々にとって最大の関心事であるこの国において、これほど明白な世俗的成功のシンボルは、他には存在しない。しかも、選手や監督の座とは違って、金さえ積めば誰にでも手に入る。つまるところ、サッカーのクラブオーナーとは、成功を目指すイタリア男にとって至高の夢、究極の自己実現なのであった。最近は日本でも似たようなことが起こり始めているみたいだけれど……。■
(2005年2月24日/初出:『エル・ゴラッソ』連載コラム「カルチョおもてうら」)