今週末(11月24日)は14-15シーズン秋のミラノダービー。本田、長友の「ダービー日本人対決」実現も期待されています。ということで、2年前『footballista』誌に書いたミラノダービーの簡単なイントロダクションを。スペインの「エル・クラシコ」と同時期だったので、比較が少し入っています。

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「ダービーマッチ」という言葉が本来、同じ都市に本拠を置くライバル同士の戦いを指すとすれば、ミラノダービーはまさにその王道を行く存在である。世界にダービーは数あれど、チャンピオンズリーグのタイトルを持つ名門チームを2つ持つ都市はミラノ以外にはない。

ミラノダービーがエル・クラシコと最も大きく異なるのは、両チームがホームスタジアム(サン・シーロ)を共有しているため、戦いの舞台は常にひとつだというところ。加えて、どちらのホームゲームであっても、一方のゴール裏(2階部分の約1万席)がアウェー側のウルトラスに明け渡されるため、クラシコのように殺伐とした「完全アウェー」の雰囲気にはならない。

試合開始前の選手入場時には、双方のゴール裏が何ヶ月も前から準備した絢爛なコレオグラフィを競い合うし、試合中もそれぞれのウルトラスが声を涸らして応援合戦を繰り広げる。ピッチ上だけでなくスタンドにおいても、ダービーならではの対立がもたらす興奮と緊張が共有されて、高揚した祝祭の空気を作り上げる。

かつて(1970年代頃まで)、ミラニスタは労働者階級が中心で政治的には左翼、インテリスタは中産階級が主体で右寄りと、社会階層も政治信条も異なっていた。しかし、日本と同様80年代以降に「総中流化」が進んだ結果、そうした図式は今ではすっかり消えている。ピッチ外の社会的な対立の図式がスタジアムに持ち込まれているという点ではむしろ、歴史的な因縁や政治的な対立が絡むエル・クラシコの方が濃厚かもしれない。

クラブ間の対立関係も、近年はすっかり希釈されている。90年代半ばまで両チームの間に選手の行き来はほとんどなく、97-98シーズン途中にマウリツィオ・ガンツがインテルからミランに移籍した時にはスキャンダル扱いされたものだった。しかし、プロサッカーのビジネス化が進み移籍市場が活性化した00年代に入ると、ピルロやセードルフがミランに、ヘルヴェグ、ココがインテルに移るなど両クラブが選手をやり取りするケースが増え、移籍をタブー視する空気は自然と薄まった。10年以上籍を置いたミランの監督を1年で辞した後、半年あまりでインテルの監督になったレオナルドは、さすがにミランのゴール裏から裏切り者呼ばわりされたが……。

二強が完全に突出しているがゆえにエル・クラシコが国民的な一大事になるスペインとは異なり、イタリアの場合、ミラン、インテルに加えてユヴェントスという大物が絡んでくるため、国内における対立の構図はより複雑だ。ミラノダービーはユヴェントスが絡まない分、全国的な注目を浴びるとはいえ都市ミラノのローカルな覇権争いという色彩が強い。また、両チームのサイクルは何故か常に微妙にズレており、シーズン終盤までには少なくともどちらかが優勝戦線から脱落しているのが常。春のダービーが事実上の優勝決定戦となったことは、1970年代以降一度もない。

ミラノダービー史上、最も緊迫した空気の中で戦われたのが、02-03(CL準決勝)と04-05(CL準々決勝)に行われた2度の「ユーロダービー」だったのは、だから偶然でも何でもない。それは都市ミラノの覇権だけでなく、世界に対するメンツ、そしてCLという最高峰のタイトルへの道が賭けられた、あまりにも特別な一度限りの決戦だったのだ。■

(2012年9月24日/初出:『footballista』)

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。