前回に引き続きウディネーゼの話。人口約10万人の小都市を本拠地とするこの小さなクラブが、97/98シーズンにザッケローニ監督の下でセリエA3位を勝ち取ったメンバーの大半を売却した後も、安定してUEFAカップ出場権を確保し続けているのは一体何故なのか、というのがテーマである。

結論を最初に言ってしまえば、その秘密は、海外市場に焦点を合わせた有望な若手選手の発掘・育成を徹底した形で行っているところにある。

96年のボスマン裁定以降、それまで5人に制限されていたセリエAの外国人枠が、EU加盟国の国籍を持つ選手に関しては無制限、EU外は登録5人、出場3人までという形に変わったことは読者の皆さんもご存じの通り。

セリエAに限らず、欧州主要国のクラブは、これをきっかけに、自前の若手選手育成から外国人選手の獲得へと、チーム強化の基本戦略を大きく転換させることになった。イタリアのビッグクラブでも、今や先発メンバーの大半を外国人選手が占めることは、ごく普通になっている。

この「市場開放」を前にしてウディネーゼが採った戦略は、しかし、他のクラブのそれとは少なからず異なっていた。

多くのクラブ(特にビッグクラブ)が、即戦力として使える外国人選手を獲得することで「目先の」チーム強化に走ったのに対し、ウディネーゼは、世界にスカウト網を広げ、若くて無名の、しかし将来性のある選手を安く大量に「青田買い」して、時間をかけながら育てていくという形で、「市場開放」のメリットを生かそうとしたのだ。前線の戦力ではなく後方の兵坦を強化することによって、長期戦にも耐えうる体制を作ろうとしたわけだ。

もちろん、当時からどのクラブも多かれ少なかれ同じような視点は持っていた。しかし、ウディネーゼが他と異なっていたのは、この戦略を短期間のうちに徹底して進めたこと。ひとことでいえば、ユースセクションの替わりに、国際的な選手発掘・育成ネットワークを構築してしまったのである。

そのシンボルともいえるのが、クラブ事務所の一室に設置された、10台を越える衛星TVデコーダ、モニター、ヴィデオレコーダー、コンピューターといった設備。欧州、南米すべての国のリーグ戦はもちろん、アジア・オセアニアなどの試合も含めて、ここでは毎日4-5試合が録画されているという。

録画されたテープはスカウトの手に渡りチェックを受ける。興味深い選手が見つかれば、すぐにリサーチがスタートする。スカウトが現地に飛び、直接試合を観てヴィデオやレポートを送り、それをまたチェックして評価する、という作業の繰り返しである。もちろん、すべての情報はデータベース化され、コンピュータに保存されている。
 
このプロジェクト全体を統括しているのは、オーナーの子息であるジーノ・ポッツォ代表取締役、ゼネラル・ディレクターのピエルパオロ・マリーノ、スカウティング責任者のマヌエル・ジェロリンの3名。その下で選手発掘を専門にするスカウトは、イタリアに15人、国外に5人の計20人で、これはこの規模のクラブとしては異例に多い。

発掘のターゲットは、当初は移籍金の高いスペイン、フランス、ドイツ、イングランドを除く欧州各国(オランダ、ベルギー、北欧諸国など)と南米諸国だったが、今やアフリカやアジア・オセアニアにまで広がっている。

ニュージーランドのU-17のトーナメントまでチェックしているというから、その徹底ぶりは半端ではない。こうしてリストアップされ、評価の対象になる選手の数は、年間1000人以上に及ぶという。

こうしてウディネーゼは、年間10数人の有望な無名選手(ほとんどは18-22歳の若手)を世界中から発掘し、契約を交わしてきた。移籍金は高くても数億円がいいところである。

昨シーズン、セリエAで得点王を獲得し、700億リラ(約38億円)でパルマに移籍したアモローゾも、96年にウディネーゼが払った移籍金はたったの40億リラ(2億円強)でしかなかった。

ヴェルディ川崎のサテライトからグアラニに戻り、一時はセレソンの10番を背負ったものの、膝の怪我で1年間のストップを強いられて表舞台から消え去っていたところを、復帰直後に安く買い叩いたのだ。これができたのは、確かな評価眼があってこそである。 

そしてボスマン裁定から4年後の現在、ウディネーゼは58人もの選手を所有するに至っている。そのうち半数に当たる29人を外国人が占めている。

もちろん、この58人全員がウディネーゼに選手登録されているわけではない。今シーズン、ウディネーゼに登録されているのは31人(外国人は15人)。残る27人のうち、ほとんどの外国人は、オランダのデ・グラーフスカップ(5人)、スロヴェニアのノヴァゴリカ(2人)をはじめ、ベルギー、スペイン、パラグアイ、ブラジルといった国々のクラブに、そしてイタリア人はセリエB、Cのクラブに、それぞれレンタルに出されている。

これが、先に「国際的な選手発掘・育成ネットワーク」と書いた所以である。埋もれた若い才能を他に先駆けて発掘し、安く「青田買い」した後で、プレッシャーの少ないリーグで経験を積ませる、というのが基本的な方針なのだ。

もちろん、買った選手が全員「当たり」というわけにはいかないが、29人というのはそれを補ってあまりある「量」だといっていい。そのうち5-6人が、2-3年かけてセリエAで通用するレベルまで育てば、それで十分に収支は合う。

ちなみに、ウディネーゼは自前のユースセクションも持っているが、こちらにはあまり力を入れておらず、プリマヴェーラはいつもリーグ下位、このところ選手はほとんど育っていない。育成の重点を完全に外国人選手にシフトしてしまったのである。
 
昨シーズンにビアホフ、ヘルヴェグ、今シーズンはアモローゾ、バキーニ、ワレム、ピエリーニ、カローリと、ザッケローニ時代の躍進を支えたメンバーがごっそりと抜けた後を埋めたのも、ヨルゲンセン(デンマーク)、ビスガールド、ファン・デル・フェクト(共にオランダ)といった、ウディネーゼが獲得した当時はまったく無名だった若い外国人選手たちだった。

今シーズン、ウディネーゼがセリエAにデビューさせた選手は9人にも上る。そのうちイタリア人はマンフレディーニ、マルジョッタ、エスポージトの3人のみ。残る6人はいずれも外国人(国籍はブラジル、パラグアイ、マリなど多彩)である。

おそらくこのシーズンオフにも、フィオーレ、ジャンニケッダ、ヨルゲンセンといった主力選手がウーディネを離れることになるだろう。しかし、その穴を埋める選手は着実に育っているし、それで戦力が足りなくとも、主力を売って得た移籍金は、即戦力を1-2人手当てして十分お釣りが来る金額なのである。そしてその「お釣り」が新たな「青田買い」の原資となるわけだ。

もちろん、毎年、いい選手から順番に数人づつ売りながら、チーム力を保ち続けるのは並大抵のことではない。事実、90年代半ばから後半にかけてそれをしたサンプドリアは、最終的には人材が枯渇してB落ちの悲哀を味わうことになった。ウディネーゼにもその危険は常にある。

しかし、ビッグクラブと「その他大勢」への二極分化が進展する中で、「その他大勢」のクラブが、セリエAに定着し「新・中堅クラブ」として発展を図っていくための道は、選手の発掘と育成を繰り返しながら、次々とビッグクラブに引き抜かれていく主力選手の穴を埋め続ける以外には、おそらくない。

ウディネーゼのこの「外国人青田買い戦略」は、「ポスト・ボスマン」時代の生き残り策としては、最も進んだやり方のひとつだろう。どのクラブもこの方向に向かったら、10年後にはイタリアから誰ひとり選手が育たなくなるに違いないところが問題だが…(この問題については、別の機会に取り上げたいと思っている)。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。