3月29日、バルセロナはモンジュイの丘にあるオリンピック・スタジアムで行われたスペイン―イタリアの親善試合は、2-0という結果以上に、スペインの優位が際だったゲームだった。コーナーキックの数が11対2、65分の時点での両チームのファウル数が4-21というデータ(どちらがどちらのものかは言わずもがなだろう)が、それを如実に物語っている。

試合前から「スペインでスペイン代表と戦う試合が困難なのは当然だ。負けたとしてもまったくおかしくない」と予防線を張っていたゾフ監督は、試合後も「どの観点から見ても明らかにスペインが我々を上回っていた。この敗戦は仕方がない」と淡々とした口調で語るだけだった。

欧州選手権まであとわずか2ヶ月あまりを残した時点で、イタリア代表の監督がこんな発言をしていていいのか、という気がしないでもないが、この試合を観た後では、彼の言葉に肯くしかない。それほど両チームの力の差は明らかだった。
 
両チームの先発メンバーは以下の通り。
スペイン(4-4-2):
GKモリーナ/DFヴェラスコ、アベラルド、パコ、アランザバル/MFエチェベリア、ヴァレロン、グアルディオラ、フラン/FWラウル、ウルツァイツ
イタリア(3-4-1-2):
GKブッフォン/DFカンナヴァーロ、フェラーラ、マルディーニ/MFフゼール、ディ・ビアージョ、アンブロジーニ、ペッソット/OMFフィオーレ/FWデル・ピエーロ、F.インザーギ

イタリアは、レギュラー確定組のうちネスタ、ヴィエーリの2人が故障で欠場。一方のスペインも、ルイス・エンリケ、モリエンテス、イエロという主力3人を欠いている。

試合前の両国の取り決めで交代が7人まで認められており、後半はおそらくまともな戦いにはならないだろうと予想されたため、見どころは、メンバーが固定している前半の45分を両チームがどう戦うかだった。

試合は、序盤から完全にスペインのペース。ボールポゼッションを前提に中盤からの組み立てを重視した、ボールの動きの速いサッカーである。ワンタッチのショートパス(これが正確)をポンポン回しながら相手のディフェンスを片側に寄せておいて、サイドチェンジで一気に突破口を開くというのが典型的な攻撃パターン。

速攻はほとんどなく、1対1で突っかけていく場面もほとんど見られないが、中盤でパス交換を繰り返す間に、何人もの選手がボールを追い越して攻撃に加わって来るので、フィニッシュの局面ではほとんど常に3人、多いときには4人が前に詰めている。

すべての起点となっているのは、中盤のど真ん中に位置する司令塔グアルディオラ。ボールを奪取したスペインの選手は真っ先に彼を探すし、彼もほとんど常に、ボールを受けられる場所にきっちり顔を出している。

そして、そこから2-3本ダイレクトパスを回してボールが彼のところに戻ってきたときには、フィニッシュまで結びつけることのできる攻撃の選択肢が2つ3つ出来上がっているというわけである。
 
対するイタリアはこの数試合、セリエAではすっかり一般的になった3-4-1-2のシステムを採用している。以前、あるプロの監督にこのシステムにおける守備の基本的な考え方を尋ねたことがある。

「ベースとなっているのは、相手の2トップに対して3人のDFを置いて常に数的優位を保つということだ。その意味でこのシステムは、3バックというよりも3センターバックと呼んだ方がより適当だと思う。また、中央のMF2人に対しても、対面にあたるこちらのMF2人に加えてトップ下が戻ることで数的優位を保てる。中央の守りは堅いわけだ。

ただ、サイドに関しては、こちらのアウトサイドMFが対面のMFとその後ろのサイドバックまで見なければならないので、数的不利になる。しかし、イタリアではサイドバックが上がってくることがあまりなくなっているので、ほとんどは1対1で対応できる」

―というのがその答えだった。

ところがスペインは、そのサイドバックがどんどん上がってくる。特に左サイドでは、フゼールが左MFのフランを見ている間にSBのアランザバルがそれを追い越して上がっていき、フリーでボールを受けるという場面が再三見られた。

そこを見抜いたスペインは、中盤でのパス交換でイタリア守備陣を右に寄せておいて、そこからグアルディオラに戻して左にサイドチェンジ、という組み立てで再三チャンスを作る。

中央も、ラウルが頻繁に中盤に戻って、組み立てに参加すると同時にイタリアのCBを連れだし、そのスペースに2列目からどんどん走り込んでくるので、イタリア守備陣は振り回されっぱなしである(冒頭に挙げたファウルの数がそれを証明している)。

最後のシュートだけは決してフリーで打たせないところはさすがだが、まるっきり防戦一方で、攻撃の糸口がほとんど見いだせないまま時間が過ぎていく。
 
これだけ攻撃に人数をかけてスペインの守備は大丈夫なのか、というのは当然の疑問だが、スペインは、ボールを失った瞬間に前線から一気にプレスをかけ始める。ボールを持っている間に前線まで上がってきていた4-5人が、そのまま当たりに行くわけだ。

イタリアはDFラインで落ち着いてボールを回すこともできない状態に追い込まれ、結局やみくもに前線に不正確なロングパスを蹴り込んでしまう。そこですぐにボールを失い、再びスペインのパス回しが始まる、という悪循環である。

中盤を完全に支配され自陣内に押し込められたイタリアは、カウンター以外に攻撃の糸口を見出しようがない状態だった。しかしそれでも、そのカウンターでGKと1対1になる決定的チャンスを2度、前半45分の間に作り出す。

他方、スペインは、一方的に押し込んでいたにもかかわらず、組み立てから枠に行ったシュートは1本だけで、しかもペナルティエリアの外から。振り回されるだけ振り回されても、最後の一線だけは譲らないところは、イタリア守備陣のしたたかな強さだろう。
 
というわけで、内容的にはスペインのワンサイドゲームといって良かった前半の45分だが、結果は0-0。しかし、イタリアがGKと1対1になった2回の決定機のどちらかを決めて、1-0で終えてもおかしくはなかった。こういうパラドックスを成り立たせてしまいかねないところが、イタリアのイタリアたる所以である。
 
後半開始からイタリアは一気に4人の選手を入れ替え、その後の35分で両チーム合わせて10人の選手が入れ替わった。こうなってしまうと試合は一気に緊張感を失ってしまう。

試合の流れは前半と大きく変わらず、というか前半以上にスペインの一方的な攻勢に終始したのだが、かといってスペインが決定的なチャンスを作れたわけでもない。得点(後半16分と34分)はいずれもグアルディオラのCKをヘディングで押し込んだもの。

ファーポスト側でひとりが100%フリーで余っている、という状況を2度も作り出したイタリア守備陣の罪だが(CKだからマンマークできっちりついていなければおかしい)、何人も選手が入れ替わって集中力が散漫になっている時のことだから、まあ情状酌量の余地がまったくないとはいえない。少なくとも本番の真剣勝負ではそう起こることではないだろう。
 
いずれにしても、ゾフ監督が言うように「どの観点から見ても明らかにスペインがイタリアを上回っていた」試合だったことは間違いない。最も印象的だったのは、スペインが正確なダイレクトパスを4-5本続けてポンポン回すのに対し、イタリアはパスが3本つながることさえ滅多にないということだった。

これは、技術レベルで両国の間にはっきりとした差がついていることと同時に、運動量(とその質)においてもスペインが明らかに上回っていたことを示している。長い距離をどんどん走るわけでは決してないが、ダイレクトパスがどんどんつながるのは、いい形でボールを受けるための2-3mの動きをさぼらないからだ。

もうひとつ、決定的に違ったのは、中盤の選手(特にセントラルMF)の質の違いである。これは以前にも触れたことだが(バックナンバー71「イタリア代表の苦悩」)、イタリアのセントラルMFに求められる仕事は、何よりもまず相手の攻撃を「壊す」こと。

特に近年は、中盤を走り回って相手をつぶしまくる選手がいいMFだと評価されるから、組み立てができる技術と戦術眼を持った若手が一向に育たない。アルベルティーニ、ディ・ビアージョより下の世代で、それができそうなのはフィオーレとバローニオくらいではないだろうか。イタリアには、グアルディオラのような選手が育つ土壌すらないのである。

事実、この試合の前日に行われたU-21のスペイン-イタリア戦は、3-0でスペインの圧勝だったし、2月に行われたユース年代ではイタリアで最も重要な大会、ヴィアレッジョ・トーナメントを観たコーチや代理人は、口を揃えて「この数年、イタリアのユース選手の技術レベルは急激に低下している」と語ってもいた。
 
欧州選手権まであと2ヶ月と少し。イタリア代表に残されたテストの機会は、4月末のポルトガル戦、本番直前のノルウェー戦の2試合だけである。セリエA終了後には2週間強の強化合宿が組まれているが、それだけの期間でチームが劇的に変わることは期待できない。

結局イタリアは、欧州選手権でもまた、フランス・ワールドカップと同様、ともかく守ってカウンターに活路を見出す、という戦い方を見せることになるのだろう。そのしたたかな戦いぶりだけでも、もしかするといいところまで行ける可能性はあるのだろう
が、どう考えても優勝は難しそうだ(この点に関してはマスコミも十分悲観的である)。

しかし、それ以上に問題なのは、おそらくこの先、イタリアサッカーの地盤沈下がさらに進む恐れが十分にあるということの方だろう。現在のイタリア代表の姿は、単にその前触れに過ぎないのかもしれないのだ。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。