クライマックスに近づきつつあるセリエAや欧州カップの動向に胸をわくわくさせている読者の皆さんには申し訳ないが、先週の愚痴にはまだ続きがある。
前回、審判の判定に対するクラブ経営者や監督の「抗議や泣き言」の背景には、急激に膨れ上がった「ビジネス」の利害がある、としたうえで、「たとえどんなにビジネス化が進もうとも、サッカーというゲームはひとつの“スポーツ”であり、またそうであることがビジネスの前提でもあるはずだ」と書いた。しかし、矛盾するようだが、実際のところ話はそれほど単純ではない。
イタリアには、屈指の歴史と伝統を誇る上に、背後には大きな政治力を持つパトロンがついている2つのクラブ、つまりユヴェントスとミランが、カルチョ界を隠然と支配している、という「憶測」が根強く存在している。これが一連の「抗議や泣き言」のもうひとつの背景になっているのだ。
「カルチョの世界は北イタリアの2つのクラブ(注:ユーヴェとミラン)に牛耳られている。彼らの影響力は審判にまで及んでいる。92年以来、この2チームがスクデットを独占してきた背景はそれだ」(フランコ・センシ/ローマ会長:2月24日、ユヴェントス戦を控えて)
「ユーヴェに対する審判の“精神的従属”は明らかに存在する。ひとつひとつの事実を積み上げて、誰が得をしたか見てみればわかることだ」(ファビオ・カペッロ/ローマ監督:2月25日、ユヴェントス戦を控えて)
セリエA、B38チームの利益を代表するとともにリーグ戦を主催する「イタリアプロサッカーリーグ」の主導権をこの両クラブが握っていること、組織図でいえばその上部団体にしてイタリアサッカー界の総元締である(はずの)イタリアサッカー協会の人事にも、その意向が大きく反映されていることは周知の事実。
その点からいえば、この2つのクラブが「カルチョ界」の中で大きな発言力と影響力を持っていること自体は、あえていまさら強調するようなことではない。しかし問題は、それが審判の判定にまで影響している、という方向に話が発展してしまうところにある。
実際のところ、そう疑わざるを得ない節もないわけではない。例えば、今シーズンのユーヴェはここまでセリエAで唯一、一度もPKの笛を吹かれていない(ファウルの数はリーグでトップ)というデータがある。
過去に遡れば、ユーヴェがシモーニ監督のインテルと最後まで優勝争いを繰り広げた97/98シーズン、審判の判定がユーヴェのスクデットに決定的と言っていいほど大きな役割を果たしたことは否定できない。なにしろ、フィレンツェ検察が、刑法上の罪である「スポーツにおける違法行為」(審判買収)の疑いで捜査に着手したほどなのだ。
結局、具体的な証拠がないため、検察は今年に入って立件・起訴を断念したが、その捜査報告書の中には「ユヴェントスに有利な一連の判定からは、セリエAの審判が同チームに対する精神的従属に陥っていることが大いに推測される」という一節が含まれていた(先に引用したセカペッロの発言はこの報告書を踏まえたもの)。
ユヴェントスという「権力」の前で、審判は無意識のうちに有利な判定を下したり、不利な判定を躊躇したりしてしまう、というのだから、確かに穏やかではない。
ユーヴェばかりでなくミランも俎上に上るのは、ピッチの上ではライバル関係にありながらも、マーケティング事業では互いに提携しており、さらに協会やリーグにかかわる問題ではほとんど常にユーヴェと歩調を一にするなど、ピッチの外では明らかに「組んで」いるように見えるため(というか実際に組んでいるのだが)である。審判への影響力にしてもユーヴェと同じだろう、というわけだ。
ちなみに、審判に対する「抗議と泣き言」が最も多いのはローマの2チームで、それに続くのはフィオレンティーナ(チェッキ・ゴーリ会長はビジネスでも政治でもベルルスコーニを敵視している)。
一見するとただの負け惜しみにしか過ぎないように見えるが(というか実際そうなのだが)、そこには「“北”のビッグクラブ贔屓の審判」に対するある種の被害者意識が、はっきりと見え隠れしている。
そうはいっても、ピッチの外でのクラブの発言力や影響力と、ピッチの上での結果を直接結びつけ、事ある毎に文句を言い立てるというのは、明らかに行き過ぎだろう。確かに、「疑惑」がまったくないわけではない。
しかし、それはピッチの外で、然るべき手続きを通して解明すべきことだ。ところが彼らは、確信犯的な「抗議や泣き言」を繰り返し、それが引き起こす様々な余波をピッチの上にまで及ぼそうとする。これはあまりにも「ポリティカリー・インコレクト」なやり口ではないか。
さらにここにきて、上に挙げたイタリア中部の3クラブにパルマ、さらには一匹狼のはずのインテルまでを加えた5つのクラブが、ピッチの外で一種の「連合」を組もうという動きまで出てきている。
詳しくは機会を改めて取り上げることにするが、目的はもちろん、カルチョ界に「ユーヴェ・ミラン枢軸」に対抗できる政治勢力を作る、ということ。
おそらく、5月のサッカー協会会長選挙には、ニッツォーラ現会長への対立候補を担ぎ出すことになるのだろう。もちろん、来シーズンの審判指名システム見直しへの影響力行使も、しっかり射程に入っているはずだ。
あまりまとまりのつかない話になってしまったが、言いたかったのは、カルチョが「スポーツ」である以上に「政治」であるというこの状況は、どう考えても真っ当ではない、ということだ。イタリアのクラブは最近そんなことにばかりうつつを抜かしているから、UEFAカップでベスト8にひとつも残れず全滅したりするのだ、きっと。
<備考1>
ユヴェントスのオーナーであるアニエッリ家は、イタリア最大のコングロマリットであるフィアットグループのオーナーとして産業界・政界に絶大な影響力を誇っていることはもちろん、イタリアの三大日刊全国紙の資本を直接、間接に握ってもいる(これは元々は労働争議対策のマスコミ操作のため)。
一方、ミランのオーナー、シルヴィオ・ベルルスコーニは、イタリア最大の民放全国ネットワーク「メディアセット」(3つのチャンネルを持つ)を筆頭とする情報産業グループ、フィニンヴェストの総帥。90年代に入って中道右派の政党「フォルツァ・イタリア」を旗揚げし政界にも進出、94-95年には首相も務めた。
<備考2>
現在のサッカー協会会長、ルチャーノ・ニッツォーラは、元々は弁護士だが、80年代末から90年代初めにかけて、今はユヴェントスのゼネラル・ディレクターを務めるルチャーノ・モッジと共にトリノの経営陣の一角を占めていた人物。モッジとは今でも、トリノ市内のレストランで週に2回はスコポーネ(イタリアのトランプゲーム。日本でいうと麻雀みたいなものか)を楽しむ仲である。
一方、イタリアプロサッカーリーグの現会長であるフランコ・カッラーロは、水上スキーのオリンピック選手出身だが、70年代にミランの会長を務めた後、イタリアプロサッカーリーグ会長、サッカー協会会長、イタリアオリンピック協会会長とスポーツ界の要職を総なめにし、更にローマ市長の座にも就いた、おそらくイタリアスポーツ界最大の実力者。
98年にミラン(とユーヴェ)に請われてリーグ会長に復帰している。