11月9日、アレッサンドロ・デル・ピエーロ(ユヴェントス)は24歳の誕生日を迎えた。しかしこの日は、彼にとって人生最悪のバースデーだったに違いない。

前日のセリエA、ウディネーゼ-ユヴェントス戦でウディネーゼのDF、ザンキと交錯し痛めた左膝が、全治5-6ヶ月の重症であることが判明したからだ。十中八九、手術は避けられない。事実上、彼の98-99シーズンはこれで幕を閉じたことになる。

ウーディネからトリノに戻ったこの日、検査を行った医師の診断は、左膝半月板損傷、外側靭帯裂傷、十字靭帯(後側)裂傷、さらに大腿二頭筋と膝窩腱の接点の損傷。大腿骨と頚骨、腓骨を結ぶ膝の機能のうち、無事だったのは前側の十字靭帯だけということになる。

デル・ピエーロ本人が検査後の記者会見で説明した言葉を借りれば、「膝を膝として機能させるための仕組みは、ちょうどズボンが落ちないように支えるのと同じ。ボタン、ベルト、蝶番、サスペンダー。この4つのうち2つか3つが壊れれば、ズボンは落ちてパンツ一丁になってしまうというわけ」。

同じ8日、イングランドではもうひとりのイタリア人ストライカー、ピエルルイジ・カジラギ(チェルシー)が、やはり試合中に相手GKと激突し、右膝の十字靭帯を断裂した。 

この数年、セリエAの選手の怪我、故障の数は明らかに増えている。フィジカルコーチ協会の調査によれば、過去2シーズンに起こった故障は計1700件。

今回のデル・ピエーロ、あるいは昨年のフェラーラ(ユヴェントス)の事故のような重症は例外的なものだが、肉離れ、靭帯や半月板の軽度の損傷などによる一時的な戦線離脱は、どのチームでももはや日常と化している。両チームとも故障者なしのベストメンバーで戦う試合など、セリエAでは滅多に見られなくなっているのだ。

この事実を説明するのに最もよく言われるのは、サッカーそのものの変化である。より狭いスペースの中でよりスピードのあるプレーを要求される現代サッカーには、激しいフィジカル・コンタクトがつきもの。

当然、接触プレーによる事故は増える。それは確かにそうなのだが、もうひとつ、見のがせない側面がある。それは、この数年、欧州サッカー界を席巻しているプロサッカーのビジネス化と密接に関わっている。
 
「ビジネスとしてのプロサッカー」を支えるのは、「興業数」の多さである。リーグ戦、カップ戦(国内カップが2つある国も少なくない)、欧州カップ。欧州各国のビッグクラブの試合間隔は、シーズンを通してほとんど週2回ペースというところまで来ている。

試合と移動が連続する日常の中で、削られるのはまず練習量、そしてそれ以上に疲労回復のための休息・安静の時間。こうして酷使された肉体が故障を起こしやすくなるのは自明のことだ。

この状況に対応するためにクラブが採る手段は、より多くの、しかもトップクラスの選手を抱え込むこと。レギュラーを固定し、年間を通して週2試合づつを戦うことなど不可能だから、ターンオーヴァーは必然である。

しかしそうはいっても、選手の心理からすれば目の前の試合に出てプレーすることがすべて。ベンチに座るのは何よりもまずプライドが許さないし、一旦外されたら何の保証もないことを一番良く分かっているのは彼らである。

こうして、練習中の紅白戦さえもレギュラー争いの激しい戦いの場となる。「ヤバい」と感じても思わず当たりに行ってしまうことが多くなるから、その分危険も増すし練習中の事故も増える。

かつて、その大半がフィジカル・コンディショニングのためのトレーニングに充てられていた7-8月のプレシーズンも、大きく様変わりしている。

中堅クラブがUEFAカップの出場権を賭けて戦うインタートト・カップは、まさにこの時期に行われるし、そうでなくともビッグクラブは、8月の初旬からもう国際親善試合を戦わなければならない。

クラブにとっては、何の「商品価値」も持たない地元のアマチュア・クラブとの調整試合よりも、世界中にTV放映権が売れるマンチェスター・ユナイテッドやアヤックスとの親善試合の方がずっと有意義だからだ。しかし選手たちは、十分なアイドリングもしないうちからアクセルを開けることを強いられ、1シーズンを戦い切るだけのコンディションを整える時間さえ奪われる。
 
選手にとってすでにほとんど肉体的限界に近いこの状況は、しかし、来シーズンから欧州カップの試合数が更に増える(スーパーリーグ案もUEFA案もこの点は同じ)ことでより悪化する。

しかし、選手の故障がもっと増えたとしても、試合数が増えた分収入が大きくなって代わりの選手を買うことができればそれでも問題はない、トップレベルの選手なら一生食うに困らないくらいの金は2-3年で稼げるのだから、そのくらいのリスクは負って当然―というのが「興業主」たるクラブの論理である。

「ビジネスとしてのプロサッカー」の中では、選手は「主役」であると同時に、あるいはそれ以上に「消耗品」なのである。

その「犠牲者」のひとりともいえるデル・ピエーロは、しかし殊勝にこう語る。「サッカー選手なら誰でも、こういう目に遭う可能性があることは良く分かっている。みんな、自分にだけは起こらないようにと祈っているけれど、ぼくには起こってしまった。しょうがない、いつもの情熱でこの戦いに立ち向かうだけだ。

間違いなく人生最悪の出来事だけれど、ぼくには立ち直る自信がある。いや、もうその第一歩は踏み出したと思っている」。少なくとも彼にとって、その第一歩は「消耗品」に終わらない「主役」に再び返り咲くための第一歩なのだ。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。