イタリアには「カルチョ・メルカート」という言葉がある。直訳すると「サッカー・マーケット」。別に、サッカー用品やチームグッズを扱う市場があるわけではない。このマーケットで「取引」される「商品」は、サッカー選手や監督。つまり、移籍市場のことをこう呼ぶのだ。

簡単にいえば人身売買である。そう、プロサッカー選手の立場は、ローマ時代に円形闘技場で数万人の大観衆を熱狂させた剣闘士のそれと、実のところ大して変わらないのだ。

さてこのマーケット、この数年、急激に「相場」が「高騰」している。’93年にJリーグがスタートした当時、カズやラモスの年俸は、セリエAのスター選手のそれと変わらない、といわれたことを覚えている読者も少なくないだろう。

ところがそれから5年経った現在、セリエAはもちろん、イングランドのプレミアリーグ、スペインリーグなどにも、年俸2億円以上の選手はゴロゴロしており、ロナウド(インテル)などは5億円近い年俸を稼いでいる。ヨーロッパ・トップレベルのプロサッカー選手の給料は、この5年で3倍近くつり上がったのである。

それもあって、今や、ヨーロッパのヴェテラン有名選手にとっては、イングランドやスコットランドの方が、日本などよりもよほど魅力的で「おいしい」目的地となっている(Jリーグにとって、これは悪いことではなかろう)。

その最大の要因は、’95年の「ボスマン裁定」がもたらしたEU域内の移籍自由化による「市場の国際化」、そしてTV放映権料の市場への流入による「インフレ」である。EU域内で移籍をめぐる「国境」が事実上撤廃されたことは、ヨーロッパ中のスター選手や若い才能をめぐる各国のビッグ・クラブ間の過当競争に火を付けた。

そして、その競争の「相場」をつり上げるのに貢献しているのが、TVマネーである。’90年代に入って欧州でも急速に普及した衛星によるペイTVは、これまで聖域だった各国リーグ戦のTV中継を可能にし、クラブはそこから手にした放映権料を、競ってスター選手獲得に再投資した。当然、選手の移籍金も急上昇。1人の選手をめぐって20-30億円が行き来することも珍しくないインフレ状態が日常化している。

3月26日、イタリアサッカー協会(FIGC)100周年記念式典に出席したスカルファロ大統領は、協会首脳やクラブの会長たちを前にして「サッカー選手の移籍市場は度を越えている。厳しい現実(注:高い失業率や南部の貧困)を前にした庶民にとってこれ以上スキャンダラスにならぬよう、良識を持って見直すべきだ」と異例の注文をつけた。

しかし、ニッツォーラ会長を初めとする関係者の反応は冷ややか。「今やカルチョ・メルカートはイタリア国内だけで収まる話ではない。我々はヨーロッパという舞台での競争に勝たなければならないのだから」というのがイタリアで5番目に大きな産業である「カルチョ業界」首脳の答えである。

そして、その「ヨーロッパという舞台での競争」は、すでに来シーズンに向けて過熱しつつある。今年はワールドカップ・イヤー。そこで活躍した選手は、一気に値段がつり上がることは間違いない。今のうちに、世界中のいい選手を「先物買い」しておくことが、このシーズンオフに向けた欧州ビッグ・クラブのマーケット戦略のポイントなのである。

すでに各国のビッグ・クラブが動き出している中、イタリアで目立っているのがラツィオ。

2月にチリ代表のストライカー・サラス(リヴァープレート)と移籍金約25億円、年俸約3億円で来期からの8年契約(!)を結んだのに続き、先日、19歳のユーゴスラヴィア人MFスタンコヴィッチ(レッドスター・ベオグラード)を、ローマ、ユヴェントゥス、PSG、マンチェスター・U、レアル・マドリッドなどとの激しい争奪戦の末、移籍金約20億円、年俸約2億円の6年契約で獲得した。

更にこの外、サンプドリアとの間で、やはりユーゴ代表のDFミハイロヴィッチの移籍話がまとまっているから(移籍金約18億円+グランドーニの所有権半分・年俸約2億円)、この時点でラツィオはすでに60億円を超える資金を来シーズンのために投入していることになる。今やビッグ・クラブの経営規模は、ここまで拡大しているのだ。

もちろん、この帳尻を合わせるためには、手持ちの選手を売却しなければならない。そこにまた新たな大型移籍話が生まれる。こうして、ラツィオに限らずイタリア、そしてヨーロッパのビッグ・クラブの間では、ワールドカップを挟んだこれからの数カ月間、激しい選手争奪戦が続くことになるのである。

この移籍市場の急激な過熱は、クラブはもちろん、選手のメンタリティーやティフォージ(サポーター)との関係にも少なからず変化をもたらしているのだが、それについては、また別の機会に取り上げることにしよう。 

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。