フィオレンティーナは、2002年夏に一度破産・消滅して、別会社でセリエC2から再出発するという苦難を経ています。これは、まだそうなる前、旧ACフィオレンティーナが深刻な財政危機に陥った時に取材してまとめた記事。破産する1年前の話です。監督はマンチーニでした。
「フィオレンティーナ、破産の危機!」。6月26日、ショッキングな情報がフィレンツェを駆けめぐった。6月末の決算期を控えた役員会で、フィオレンティーナが総額3100億リラ(約170億円)に及ぶ負債を抱え込んでおり、そのうち1330億リラ(約70億円)を7月12日までに返済しなければ、リーグの求める財政基準を満たせず、来期のセリエAへの登録さえ不可能になると報じられたのだ。
これを受けたフィレンツェ裁判所も、債務超過による財務破綻の疑いがあるとして調査に乗り出した。最悪の場合、90年代初頭にボローニャやピーサに起こったのと同様、裁判所から破産宣告を受けセリエBやCから出直し、という可能性すらあり得る。スクデット2回、コッパイタリア6回(つい1ヶ月前に勝ち取ったばかりだ)を誇る名門クラブにとっては、まさに第一級の“非常事態”である。
フィオレンティーナのオーナー会長、ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリは、イタリア最大の映画製作・配給グループの総帥である。1990年に父マリオ(故人)とともにクラブの経営権を手にしてから、92-93シーズンのセリエB陥落というアクシデントはあったものの、バティストゥータ、エッフェンベルグ、ルイ・コスタ、キエーザといった大物選手を獲得、積極的な投資でチームを強化してきた。
これらの投資が、常に的を得た、効果的なものとはいえなかったことは確か。とはいえ、ローマやミラノのように人口数百万人の大都市を背景に持つわけでもなく、フィアット(ユヴェントス)やパルマラット(パルマ)のような国際的なコングロマリットをバックに持つわけでもないフィオレティーナが、ますます「カネが物を言う」度合いが高まっているカルチョの世界で、“セブンシスターズ”と呼ばれるトップグループの一角に踏みとどまってきたのは、チェッキ・ゴーリの資金力のおかげだったといっても過言ではない。
しかし、フィオレンティーナへの投資は、チェッキ・ゴーリにとっても大きな「背伸び」だったようだ。ここに来て明らかになったのは、肝心のチェッキ・ゴーリ・グループ自体が深刻な財政難に陥っているということ。7月5日には、マネーロンダリング容疑で、ローマのチェッキ・ゴーリ邸などがフィレンツェ検察の家宅捜索を受ける騒ぎにまで発展している。フィオレンティーナが迎えている破産の危機も、グループ全体の資金難に巻き込まれた結果というわけだ。
オーナー会長の金庫が空になってしまった以上、この危機を抜け出すためには、クラブが保有する最も価値の高い資産、つまり主力選手を売り払い、負債を返済するための資金を手当てする以外に方法はない。危機が発覚した26日の時点で、それまでに成立していた補強(ミハイロヴィッチ、スタンコヴィッチ、D.アンデション、マルキオンニ)はすべてご破算にされた。
そして、マヌエル・ルイ・コスタを850億リラ(約47億円)、フランチェスコ・トルドを550億リラ(約30億円)、合計1400億リラで売却する話がパルマとの間でまとまる。まったく相談を受けることもなく一方的に移籍を通告された2人は反発し、契約書へのサインを拒否したが、その後紆余曲折を経て、ルイ・コスタはミランへ、トルドはインテルへの移籍が決まった。
しかし、クラブの財政を立て直すためには、これだけではまったく不十分である。高年俸の選手(キエーザ、ミヤトヴィッチ、ヌーノ・ゴメス、レアンドロなど)を軒並み売却して、人件費を大幅に圧縮しなければ、慢性的な赤字の解消は難しいからだ。従って、このままクラブを取り巻く環境に大きな変化がない限り、フィオレンティーナの“バーゲンセール”は夏が終わるまで続くことになりそうだ。そうなればチームは事実上の解体。“ビッグ7”からの脱落は間違いない。
さて、フィレンツェは、ナポリと並んで、イタリアで最も市民とチームの結びつきが強い都市である。「フィオレンティーナはフィレンツェ市民にとって、ドゥオーモやポンテ・ヴェッキオと同じように、都市を代表するシンボルである」とさえいわれるほど。クルヴァを埋めるウルトラスたちも、試合中しばしば「フィレンツェ!フィレンツェ!」と、都市の名前を誇らしげに叫ぶ。突然降って湧いたこの深刻な事態を、この町の人々はいま、どのように受け止めているのだろうか?
7月3日午後1時30分、いつものように世界中から集まった観光客でごった返すフィレンツェの中心部で、ある一角だけが異様な喧噪に包まれていた。市庁舎のあるヴェッキオ宮殿の裏手、サン・フィレンツェ広場。50人ほどの群衆が、走り去ろうとする銀色のメルセデスSクラスの進路を塞ぎ、ありとあらゆる罵詈雑言を投げつけている。広場に面したフィレンツェ裁判所では、破産裁判官によるフィオレンティーナ首脳に対する事情聴取が終わったばかり。車に乗っていたのは、チェッキ・ゴーリの片腕、ルチアーノ・ルーナだった。ほんの半日前に、ミランとルイ・コスタの売却交渉をまとめ上げたばかりである。
「チェッキ・ゴーリの野郎、つい3日前に『ルイ・コスタを売るくらいならチーム全員売った方がましだ』と言っていたくせに、裏ではこれだ。フィレンツェを馬鹿にしているとしか思えない。こうなった以上、潔く辞めるべきだ」。ヴィオラのマフラーを首に巻いた若者が怒りをぶつける。「いや、でも俺は辞めないと思うね。奴はもう頭がおかしくなっている。そのうちまた、3年後にはスクデットを狙うとか、ふざけたことを言い出すに決まってるさ」。隣に立っていた年配の男性が、皮肉っぽくまぜっ返した。
街角でやけに目につくのが、普段着姿で運転席に座り微笑むルイ・コスタの写真。フィレンツェ市の交通安全キャンペーンのポスターだ。「ぼくがぶっ飛ばすのはピッチの上だけ。人生のハンドルはしっかりコントロールする」というのがそのコピー。しかし、いまフィレンツェの人々の目に映るのは、写真のルイ・コスタが車のドアを閉め、人生のハンドルを握ってミラノへと去っていく、その後ろ姿だけだ。
スタディオ・アルテミオ・フランキの一角には、世界に320を数える公認ファンクラブの連絡会議、チェントロ・コルディナメント・ヴィオラ・クラブが事務所を構えている。いわばクラブ公認のサポーター組織である。フィリッポ・プッチ会長(本職は銀行員)は、躊躇なくこう語る。
「今のフィオレンティーナは、とてもフィレンツェを代表するとはいえない状態にあります。1926年のクラブ創立以来、最低の状態です。フィオレンティーナが破産の危機に瀕するなんて、前代未聞だ。クラブをそんな状態に陥れたチェッキ・ゴーリを、会長として認めることはできません。我々だけでなく、フィレンツェ市民全員がそう思っています。町をちょっと歩けばおわかりでしょうが、街角やバールで立ち話をしている人たちの話題は、フィオレンティーナ一色ですよ」
チェントロ・コルディナメントは、チェッキ・ゴーリ会長とマリオ・スコンチェルティ副会長(6月23日に辞任)がファティフ・テリム監督、ジャンカルロ・アントニョーニGDを辞任に追い込んだ今年3月初旬の騒動以来、「クラブ公認」という立場にもかかわらず、反チェッキ・ゴーリの旗色を明確に打ち出している。3月には、15日間で2万人分もの会長辞任勧告署名を集めたほどだ。
一方、フランキの2つのクルヴァを埋めるウルトラス26クラブ4000人の連合組織Atfは、チェッキ・ゴーリを退陣に追い込むために、あらたな非暴力抗議行動を打ち出そうとしていた。60年代から続く最も古いグループ、ヴィオラ・クラブ・ヴュッソーのリーダーとして30年以上クルヴァに立ち続けている会長のヴァルテル・タントゥルリは語る。
「我々は3月のあの出来事(テリム、アントニョーニ辞任騒動)以来、暴力以外のあらゆる手段を使って、チェッキ・ゴーリと戦い続けています。彼が会長を辞めてフィオレンティーナを手放すまで、この戦いは続けます。我々も彼の功績を認めないわけではありません。でも今のチェッキ・ゴーリには、フィレンツェに対する敬意も、フィオレンティーナに対する愛情もない。今週の土曜日(7月6日)には、スタジアムの周囲全部を、ありとあらゆる抗議の横断幕で埋め尽くすデモンストレーションを行いますよ」
11年前、当時の会長だったポンテッロが、フィレンツェのアイドルだったロベルト・バッジョを、事もあろうに宿敵ユヴェントスに売却した時、2日間に渡る暴動が起こったことはよく知られている。今回も、事態がそこまで発展する可能性はあるのだろうか。
「ああいう騒ぎは、起こそうと計画して起こすものではありません。でも、あの時と比べると、我々も多少は大人になった、というか、冷静に事態を見守っている部分はありますね。チェッキ・ゴーリはローマに住んでおり、フィレンツェには姿を現さないので、抗議しようにも標的がありませんし。ただ、セリエAに登録できないなんてことになったら、ちょっとしたきっかけで収拾がつかない騒ぎに広がる可能性はありますね。みんな頭に来ていることは事実ですから」
いずれにせよ確かなのは、フィレンツェがチェッキ・ゴーリを完全に見放したということである。しかし問題は、このフィオレンティーナを買い取り、建て直してくれる新たなオーナーは見つかるのか、ということだ。
今のところ、希望的観測も含めて噂に上っているのは、世界的なカジュアルウェアメーカーのベネトン、サングラスメーカー・ルクソッティカといった、フィレンツェとは本来関係のない北イタリアの大資本。しかしこれらは、セリエA、Bのクラブの身売り話が出るたびに噂に上る名前であり、実際にフィオレンティーナに興味を示す可能性は、それほど大きくないと見られている。
「問題は、フィレンツェは産業的に見て工業というよりは小規模な手工業の町であり、フィオレンティーナを買えるような大資本がほとんど見つからないことです」と解説してくれたのは、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』フィレンツェ支局のアレッシオ・ダ・ロンク記者。
「フィレンツェの人たちは、この町は世界で一番素晴らしいと思っているから、きっとベネトンのような大企業が魅力を感じて来てくれると期待しています。でも、現実はそう甘くはない。いま唯一、フィオレンティーナの買収に動いているのは、UAE(アラブ首長国連邦)のマクトウム首相をパトロンにして、地元トスカーナ州の何人かの実業家が組んだという、ちょっと得体の知れないシンジケートだけです。
当面のところ、チェッキ・ゴーリが会長にとどまるかどうかは別として、新しいオーナーが白馬に乗った王子様のように現れることは、期待しない方がいいのではないでしょうか」
そうなると、フィオレンティーナの進む道は、大幅なリストラ以外にはないということになる。“ビッグ7”から離脱し、ボローニャ、ウディネーゼなどと並ぶ“中堅クラブ”の一員として、規模を縮小しつつ、セリエAでの生き残りを図る路線である。
「格としてはボローニャあたりと同じでしょうが、クラブとしてみると、組織的にしっかりしていない分、フィオレンティーナの方が立場は厳しいと思います。来シーズンは、セリエA残留以外の目標はあり得ないでしょうね。それも、達成できるかどうかはわからない。最大のポイントは出足でしょう。
キエーヴォが開幕から3連敗してもサポーターは何もいわないでしょうが、フィレンツェではそうはいかない。プレッシャーばかりが高まって、物事が悪い方に悪い方に転がっていくというのは、前回B落ちした時(92-93シーズン)もそうでしたから…」。フィレンツェにとっても、フィオレンティーナにとっても、前途は多難である。
ちなみに、肝心のチームを預かるロベルト・マンチーニ監督は、最初からまったく蚊帳の外に置かれたまま。14日にサルデーニャでスタートするプレ・キャンプに、誰が参加することになるのかさえ、知らされていない状況である。「私に今できるのは、クラブを信じて待つことだけ。新しいシーズンが大きなチャレンジになることは間違いない。それに立ち向かう覚悟はできている」というのが、若き監督の殊勝な言葉だが…。■
(2001年7月9日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)