ドナドーニのイタリア代表シリーズは引き続き後回しにして、今回は2年前の2007年12月、ミランがCWCのために来日した時に横浜で取ったレオナルドのインタビューをアップします。

読んでいただければわかるように、当時はガッリアーニの片腕としてミランの中であらゆるテーマに首を突っ込んで回るという、有能な参謀役でした。それが今や監督に転身して、カルチョの世界に攻撃サッカーの新風を吹き込む若き指揮官として脚光を浴びているのですから、人生というのはわからないものです。

ぼくにとってレオナルドは、素晴らしい人間性を備えた心から尊敬すべき人物のひとりです。しかし、監督という仕事が彼に向いているのかどうかについては、当初は悲観的な見方をしていました。開幕前にそういう趣旨の原稿を『footballista』誌に寄せたこともあります。しかし、どうやらぼくには人を見る目がないようです。

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――2002年の秋にミランに戻ってきて、一時的に現役に復帰したりしてから、もう5年が経ちました。引退してからの5年間、どんな風に過ごして来たのでしょう?

「充実した5年間だったよ。プレーをやめるっていうのは、決して簡単なことじゃない。子供の頃からずっとピッチの上で過ごしてきたわけだからね。明確な目標を与えられて、それに向かって毎日努力を積み重ねるという生き方をしてきた。

毎日の練習、週末の試合、絶え間ない移動、いくつものタイトル……。目指すべきものは常にクリアだった。でもピッチから離れてクラブのスタッフとして仕事をするというのは、まったく違う種類の経験なんだ。すぐに結果が出るわけじゃない。周囲の人たちとの関係の持ち方も違う。状況によって違った役割、違った立場を担わなきゃならない。

僕が幸運だったのは、しっかりした組織の中で、しかも自分が良く知っている環境の中でスタートできたことだよ。僕はこの5年間で間違いなく多くのことを学んだと思う。サッカークラブのマネジメント、しかも世界で最も重要なクラブのそれに関わる実務だけじゃなく、人間的にもね」

――で、具体的にはどんな仕事をしてるんですか?

「それはいい質問だよ。実は僕もこの5年間、それを知るために働いているんだ(笑)。いや、僕の仕事で一番素晴らしいのは、まさにその点だと思ってる。僕にとっては仕事ですらないんだけどね。僕の立場というのは、信頼関係に支えられている部分がすごく大きいんだ。

チームマネジメントから、移籍マーケット、マーケティング、渉外、ミラン財団まで、いろいろなプロジェクトに首を突っ込んでは、いろいろな意見を言ったり助言をしたり。言ってみればジョーカーみたいなものかな」

――役職は?

「一応の肩書きは、ディレットーレ・ディ・アレア・テクニカ(テクニカル部門ディレクター)っていうことになってる」

――じゃあガッリアーニとブライダのパートナーだと考えればいいんでしょうか?

「むしろガッリアーニの直接のアシスタントだと言った方がいいだろうね。その立場から色々な分野に顔を突っ込んでいる感じ。こう説明してもなんかよく解らない立場だけど」

――より戦略的な立場と言っていいですか?

「まあそういうことになるかな」

――じゃあ本拠地はミラネッロよりもトゥラーティ通り(ミランのヘッドオフィス)になる?

「そうだね。でも、トゥラーティ通りにいるとは言っても、物の見方はミラネッロ目線だよ。僕は元々は向こう側の人間だからね。わかるかな。物の考え方もボキャブラリーも人との関係の持ち方も、結局フットボーラーのそれなんだよ。でもこのミックスされた感じは、悪くないと思ってる。今の立場は気に入ってるよ」

――去年一度、ミランを離れた時期がありましたよね?

「うん。ブラジルに帰るつもりだったんだ。でもやりかけの仕事があって、それを手放すわけにはいかなかったら、とりあえずそれだけ残して、スカイ・イタリアとBBCの解説者として、ミラノとロンドンを行ったり来たりして過ごしたんだ。

でも、ロナウドの移籍をはじめ、マーケティングの面でもミランにとって大きなマーケットになってきたブラジルとのプロジェクトとか、いろいろなことが続いて、結局ミランを離れることは出来そうになかった。それで今年はちゃんとした形でミランに残ることに決めたんだ」

――組織の中で、自分の担当分野も持たず、したがって意思決定権もないというのは、立場としてはかなり中途半端なようにも見えるんですが。

「でもミランにおいてはそれが正しいような気がするんだ。今ミランで意思決定権を持っているのはガッリアーニだけど、その回りにいる僕たちはいってみればひとつのファミリーみたいなものだしね。その中で僕は自分の経験やヴィジョンを通してクラブに貢献しようとしている。まあ確かに、何の意思決定権も持っていないというのは、あるときはプラスだけどマイナスに働くこともあるよね。

でも、そうだな、僕が本当の意味でディレクターになるのは、ミランを出た時だろうね。ここ以外に、今のような形で参画できるクラブ、今持っているような関係を持てるクラブはどこにも存在しないからね。もしディレクターという仕事を自分の本職にしようと思ったら、僕はミランから出て行かなければならない。遅かれ早かれ起こることだと思うけど」

――じゃあずっとミランにいるつもりはない?

「そうだね」

――今は、第二のキャリアにおける幼年期というか、見習いの時期という位置づけになるんでしょうか?

「うん。そうとも言えるね。本当にたくさんのことを学んでいるから。でも学んでいるというのは、表現としてはちょっとあれかもしれない。ミランの中には、見習いというよりももっと親密な、友情と言った方がいいような人間関係があるから。僕の存在は、チームの結果とはまったくリンクしていない。ミランが勝っても負けても、僕はここにいる。

僕はそこにいる人と結びついているからね。普通ならば僕のような仕事はチームの結果に評価が左右されるものだよね。それは当然のことだし。でもミランにおける僕の立場はまったくそうじゃないんだよ。うまく言えないけど、僕はここにいるんだ」

――この先、フラメンゴかサンパウロか、ブラジルのクラブの会長になるのも遠い話じゃないのかもしれませんね。

「うん。夢はフラメンゴだね。僕はフラメンゴで育ったし、僕の体にはフラメンゴの血が流れてるから。もう16年も外国で生活しているけれど、いつかはフラメンゴに戻りたい。今がその時だとは思わないけれど、僕の家はブラジルだし、僕の夢はフラメンゴの会長になることだよ。それは否定できない」

――ブラジルといえば、カカとパトの獲得に当たって、レオはすごく重要な役割を果たしたわけですよね。

「そう言われてるね(笑)」

――この2つの移籍にはどういう経緯があったんでしょう?

「それぞれ全く異なる移籍交渉だったね。カカを獲った5年前、20歳そこそこのブラジル人選手が、ビッグクラブに直接引き抜かれるというのは、ほとんど例がないことだった。カカのミラン入りは、その先駆けだったんだ。あの移籍がその後の大型移籍の門戸を開くことになった。カカはフットボーラーとしてはまだ揺籃期にあった。サンパウロでデビューして、ワールドカップも経験してはいたけれど、評価はまったく定まっていなかった。

僕がカカと知りあったのは、プレーヤーとしてのキャリアを閉じるためにミランからブラジルに戻って、サンパウロで6ヶ月間だけチームメイトになった時だった。僕は彼より13歳も年上だったけど、ロッカーが隣同士でね。その後僕はひょんなことからミランに戻ってきて、彼の移籍交渉にかかわることになったんだ。そうしてミランにやって来たカカは、あっというまにブレイクして、今では世界最高のフットボーラーになった」

――パトはどうでしたか?

「パトのケースはまた全然違うな。彼はミランに来る前からすでにスターだった。ロビーニョをはじめとして、若いうちからすごく高い移籍金でヨーロッパに来る選手が増えていたし、ブラジルの10代のタレントに対するスカウトの注目度も、カカの時代と比べるとずっと高くなっていた。18歳のパトも、すでに偉大なプレーヤーとしてミランに移籍してきたくらいだから。カカは将来のための投資だったけれど、パトはほとんど即戦力扱いだからね」

――パトをめぐる競争は激しかったでしょうね。

「そうだね。ミランが興味を持ってるっていう情報が流れるだけで、注目度も値段も一気に跳ね上がるんだ。そういう情報を隠しておくことはすごく難しいからね。でもパトはミランに来たいという強い気持ちを持ってた。カカの前例もあるし、ミランにはブラジル人が8人もいる。誰が見ても理想的な環境だよね」

――ミランが数あるブラジル人タレントの中からカカとパトを選んだというのは、すごく象徴的な事実のような気がするんです。2人ともブラジル人のテクニックを持っていながらプレーがすごくシンプルで、性格的にもくそ真面目と言えるほどの優等生だし、すごくクレバーで落ち着いている。ミランはテクニカルな側面だけでなく、パーソナリティやディシプリンといった人間的な側面をすごく重視しているように見えるのですが。

「うん。すごく重視してるね。クラブと選手との関係、そして選手のパフォーマンスをより長続きさせる上で、そういう側面はすごく重要だと思う。そうじゃないと、関係もパフォーマンスも長続きしないものなんだ」

――今のチャンピオンズリーグを見ていると、アーセナル、マンU、レアル・マドリーといったクラブは、平均年齢がすごく下がってきています。25歳前後、アーセナルなんかは24歳を切ることすらある。一方、ミランとインテルはほとんど30歳の大台です。この状況についてはどう思いますか?

「重要なのは、ミランは平均年齢30歳のチームで大きな結果を残しているということだよね。つい半年前にチャンピオンズリーグに優勝したばかりだし、過去5年間で3回も決勝を戦っている。スクデットもスーパーカップも勝った。つまりたくさんのタイトルを勝ち取ったんだ。オーバー30の選手が何人かいることは事実だけど、まだトップレベルのパフォーマンスを見せ続けている。

もちろん今後、その時期が来れば世代交代が進むだろうけれど、今はまだその時期じゃない。マンUやマドリーは、残念ながら結果がついてこなかったことで、世代交代を一気に進めざるを得なくなったところも大きいと思う。ミランは結果を残してきたから、少しずつ若返りを図って行く余裕があるというわけ」

――でもその若返りは始まってすらいないようにも見えるのですが。

「結果を出し続けているからね」

――でも今シーズンは……。

「苦しんでる。でも去年だって同じだったよね。リーグ戦では低迷したけれど、最終的には4位に入ったし、チャンピオンズリーグでは優勝した。今もここ日本でクラブワールドカップの決勝を戦おうとしている。結果を出しているグループに手を入れる理由はないよね。時期が来れば世代交代は自然に続くと思うよ。理由はもうひとつある。

それは、ミランは選手やスタッフのロイヤリティを重視するクラブだということ。今のミランには、5年以上このクラブでプレーしている選手が11人もいる。これはすごく大切なことだよ」

――3年後、5年後のミランはどうなっているんでしょう?

「徐々に変わって行くだろうね。ミランは長い歴史の中で、困難な時代も経験している。常に勝ち続けることはできないかもしれない。でも小さな波はあっても強いミランであり続けると信じているよ」

――レオがプレーしていた時期のミランは、ある種の端境期でしたよね。

「すごく困難な時代だった。ひとつの黄金時代が終わって、アンチェロッティの時代が始まるまでの狭間の時期だったからね」

――このままだとああいう時代がまたやってくるような予感が……。

「いやいやそんなことはないよ。やってこないやってこない。大丈夫だって」

――そう祈りましょう。ひとつのクラブとチームが、安定して結果を出し続けるためには、何が重要だと思いますか?

「少しずつ、着実に変化して行くことだね。今はマルディーニやカフーの時代から、ピルロ、ガットゥーゾ、アンブロジーニの時代になろうとしている。その後にはカカ、ジラルディーノ、グルキュフ、パトの時代が続くだろう。そうやってミランの伝統は受け継がれて行くと思う。僕もそれに少しでも貢献できればいいと思っているよ」

――フラメンゴに帰るまではね。

「ははは。それはまだ先の話だよ」■

(2007年12月20日/初出:『footballista』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。