ファビオ・カペッロさんがイングランド代表監督に就任して、初戦のスイス戦を勝利で飾りました。マスコミの評判はあまり良くないようですが、イングランドのマスコミが外国人に、しかもイタリア人に甘い顔を見せるわけがないので、まあ当然でしょう。とりあえず本格的な仕事は次のワールドカップ予選からなので、当面は英会話の練習でもしていただいて。

というわけで引き続き宣伝です。全日空の機内誌『翼の王国』2月号、メインの第1特集に、イタリアを代表する蒸留酒グラッパの故郷であるバッサーノ・デル・グラッパを取り上げた記事を寄稿しました。全20ページ。

題材は、227年の歴史を誇るグラッパの「本舗」ナルディーニ社、そして現在セリエC2で戦っている地元のクラブ、バッサーノ・ヴィルトゥスです。結局ネタはカルチョだったりするわけですね。ローマ在住のカメラマン高橋在さんの写真も非常に素晴らしいので、2月中に全日空にご搭乗の機会がある方は、是非ご一読を。

bar

10年ぶりにレアル・マドリード監督に復帰したファビオ・カペッロは、これまで彼に数々の勝利をもたらしてきた“非情の哲学”を一切の妥協なく貫いて、崩壊しかけていた“銀河系帝国”に容赦のない大鉈を振るっている。

ベッカムの冷遇ぶりや、カッサーノ、ロナウドとの確執、いまマドリードで起こっている“事件”は、カペッロの過去の“実績”を知る者から見れば、まさしく“いつもの手口”である。

徹底した結果至上主義、すなわち、“勝利”という唯一最大の利害だけに焦点を絞り、それを手に入れるために最も効率的かつ効果的な手段に徹する――、それがカペッロのやり方だ。“美しいサッカー”や“華麗なスペクタクル”といった美的価値観はもちろん、“マスコミの評価”、“ファンの人気”、さらには“選手の心情”すらも、そこでは配慮されることはない。なぜならそれは、結果を勝ち取るという目的にとっては無駄な、あるいは邪魔なファクターでしかないからだ。

マスコミやサポーターから見れば特別な存在であるスター選手も、カペッロにとっては、勝利という唯一最大の目的を達成するための、一つの駒でしかない。巷の多くの(いやほとんどの)監督たちは、マスコミやサポーター、時にはクラブ上層部からの圧力に負けて、あるいはそれが最も“現実的な”解決策だと信じて、スター選手を特別扱いする。

ところがカペッロは、この種の妥協に訴えることを決してしない。どんなスター選手であっても、他の選手と同様に厳しい規律を課して、何の躊躇もなく単なる一つの駒として扱い、平然と使い捨ててきた。イタリア代表監督に転出したサッキの後を継ぎミランの指揮官となった1991-92シーズン以来、カペッロの“犠牲者”となったスター選手は枚挙にいとまがない。

最初の標的となったのは、世をときめく“オランダトリオ”の一角、グーリットだった。サッキ時代にはファン・バステンと2トップを組み、奔放なプレーで人々を魅了したが、カペッロはそのアナーキーな振る舞いを好まず、しばしばスタメンから外してベンチに置くようになる。プライドの高いグーリットは続く92-93シーズン半ばにカペッロと衝突し決裂、翌年サンプドリアへの移籍を強いられることになった。

だがカペッロは、グーリットが去った93-94シーズンにも、当たり前のように3年連続となるスクデットを勝ち取って周囲を黙らせた。ファン・バステンも故障で欠いたこのシーズンのミランは、34試合を戦ってわずか36得点しか挙げられなかったが、失点もわずか15。

良くて1-0、悪ければ0-0、虚無的といえるほどのリアリズムを貫いた、スペクタクルのかけらもないチームだった(それがCL決勝ではクライフ率いるバルサの“ドリームチーム”を4-0と一蹴するのだから、サッカーの神様は本当に気まぐれである)。

次の標的は、天下のロベルト・バッジョだった。95-96シーズン、28歳というキャリアのピークにユヴェントスから移籍してきた“イタリアの至宝”は、自伝の中で「リードした途端にぼくを交代させる―しかも必ず―というカペッロのやり方はすごく嫌だった」と述懐している。

このシーズン、ジョージ・ウェアを攻撃の中心に据えたカペッロは、そのパートナーにバッジョよりもむしろ、献身的なプレーを特徴とするシモーネの方を好んで起用した。当然ながら、バッジョ贔屓のファンとマスコミからは散々叩かれたものだ。しかしカペッロはこの年にも、5年間で通算4度目となるスクデットをミランにもたらして、世間の非難を昂然とはね返した。

“途中交代の洗礼”を受けた選手は、バッジョだけではない。モンテッラ(ローマ)やデル・ピエーロ(ユヴェントス)も、カペッロの下では90分を通してプレーした試合はほとんどない。もちろん、ローマ時代のカッサーノも同じである。マスコミが騒ごうが、サポーターに抗議を受けようが、そして本人が反発しようが、その采配はまったく変わることがなかった。

ユヴェントス時代、途中交代と途中出場を繰り返すデル・ピエーロに世論の同情が集まった時に、カペッロは平然とこう言い放ったものだ。「シーズンが終わった時には、きっと私に感謝するだろう」。

しかしデル・ピエーロは、04-05シーズンのスクデットを獲った翌日の記者会見で憤然とこう語った。「どうして僕がカペッロに感謝しなければならないのか、その理由がわからない」。しかし、カペッロがユーヴェに2年続けてスクデットをもたらしたことは、厳然たる事実である。

カペッロは、その選手から最大のパフォーマンスを引き出すためならば、あえて冷遇することによってストレスをかけ、反発を引き出すことすら厭わない。彼は選手に好かれようとも思っていないし、長期的な成長を考えた起用をしているわけでもない。すべては目の前の勝利を勝ち取るためである。

こうしたやり方に反発心を抱く選手は少なくないはずだが、厳しい規律を課することで抑え込み、爆発した不満分子は容赦なく排斥する。謝罪するまでは決して許さない。少なくともチームが結果を出し続けている限り、すべての理は監督の側にあるのだ。そしてカペッロは、ほとんどいつも結果を出し続けることで、内外のすべてを黙らせてきた。

デル・ピエーロが、カペッロが去った後に「今ユーヴェにカペッロのことを惜しんでいる人間は1人もいない」とまで口走ったのは、だから選手の立場からすれば当然である。同じように、キャプテン(かつチームのシンボル)としてカペッロの下でスクデットを勝ち取ったローマのトッティも、「カペッロ?勝つためならと思って従ったけれど、いい思い出はひとつもない」と言い放っている。

カペッロは通算14シーズンで4つのクラブを渡り歩き、そのすべてに計8回ものリーグ優勝をもたらした。結果のためなら手段を選ばない究極のマキアヴェリスト。行く先々で偉大な記録を残し、しかし美しい記憶は何ひとつ残さないというのは、それはそれで潔いことかもしれないが。■

(2006年11月14日/初出:『footballista』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。