トルシエ時代の日本代表について、アリーゴ・サッキ師匠にお話を伺うという、貴重な経験の記録です。2000年11月ですから、かなり旧聞に属するネタですが、日本のサッカースタイルについて言われていることは、7年経った今もまったく変わっていないような……。

しかし、ニュートラルな外国人の目から見ると、この10数年間で、オランダ人、日本人、フランス人、ブラジル人、ボスニア人と代表監督を取っ換え引っ換えして、この国は一体どんなサッカーがしたいんだろうか、という疑問が浮かび上がって来たとしても、まったく不思議じゃないような気がします。初出は、新潮社から出た『サッカーウィナーズ』というムック。

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2002年ワールドカップのホスト国として世界の強豪を迎え撃つことになる日本代表。その現在の実力は「世界基準」に照らしたときに、どのくらいのレベルにあるのだろうか。

それを知る最良の方法は、ワールドカップで優勝を争う世界の一流国に、真剣勝負に近い形でお手合わせ願うことだ。もちろん、これはそう簡単に実現することではない。

だが、かれら世界のサッカー大国の視点から、日本代表のサッカーを客観的に評価してもらうことなら不可能ではない。それがワールドカップ優勝3回、先頃のヨーロッパ選手権でも準優勝したイタリアなら、まったく申し分ないだろう。そこで、そのイタリアを代表するふたりのエキスパートに、日本代表が戦った2試合(シドニーオリンピック・スロヴァキア戦、アジアカップ2000・サウジ戦)をビデオを通して観戦し、コメントしてもらった。

ひとりは、ACミラン、イタリア代表の元監督、アリーゴ・サッキ。80年代後半のミランに、高度に組織化されたアグレッシヴなプレッシング・サッカーを初めて導入し欧州サッカー界を文字通り席巻、94年アメリカW杯では“アズーリ”を準優勝に導いた名監督である。その後アトレティコ・マドリー(スペイン)を経て、現在は舌鋒鋭い評論家としてTV、新聞などで広く活躍している。

もうひとりは、イタリアを代表するスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のアンドレア・スキアンキ記者。戦術に詳しく、その精緻な試合分析が高く評価されている敏腕ジャーナリストだ。

現代サッカーにプレッシング革命を起こした名監督と、世界トップレベルのサッカーを見続けてきたジャーナリスト。立場こそ違え、ふたりのエキスパートの目に映った日本代表の姿、そしてそれに対する評価は、驚くほど似通ったものだった。

まず、サッキ元監督の第一印象から聞いてみよう。
「ひとことでいうと、このチームはかなり攻撃的な指向を持っているといえるだろう。2トップに加えて、中盤にも、スロヴァキア戦では中田、中村、三浦、サウジ戦では名波、中村、森島と、攻撃的な選手が揃っていた。

左サイドにいた中村は、プレーを見る限りおそらく本来はトップ下の選手だろうから、サウジ戦では3人の攻撃的MFを並べて戦ったことになる。その下でボールを拾いまくっていた稲本をはじめ、どのプレーヤーも、技術的に見てそれなりのレベルにあると思う。

ただ、チームとして見ると気になるところはある。2試合ともに共通していたのは、攻撃の局面で前がかりになる傾向があったということだ。スロヴァキア戦では、前線から最終ラインまでの距離が開きすぎ、横方向にも広がりすぎていた。

そのため、守備の局面に転じたときにプレスをかけようとしても、2人目が当たりに行くことができず、高い位置で相手をつぶすことができなかった。ボールを奪われるたびにカウンターを喰らっていたのはそのためだ。それと比べると、サウジ戦では明らかな進歩が見られた。しかし、世界の強豪と戦うことを考えれば、攻守のバランスをさらに高めていく必要があるだろう」(サッキ)

最初に戦術的な問題点、というよりも完成度の低さを指摘したのは、スキアンキ記者も同様だった。
「日本代表を2試合見て最初に受けた印象は、ヨーロッパの代表チームと比較すると、戦術的にまだ未熟さが残っているということだ。組織的なサッカーを志向していることはひと目見ればわかる。しかし、安定性、継続性がまだ伴っていない。

最初の45分、60分は、非常にきっちりとポジション保ちながらプレーしているのだが、後半になると、おそらく疲労や集中力の欠如からだろう、ラインの間の距離が開いてくる。相手により多くのスペースを与えることになるわけだが、これはそれだけで致命傷にもなりかねない。

このスペースを、例えばジダン(フランス)、トッティ(イタリア)、リバウド(ブラジル)、ルイ・コスタ(ポルトガル)といった、たったひとつのプレーで試合を決定づける能力を持ったワールドクラスのプレーヤーに与えたら、それだけで試合に負けたも同然なのだから」(スキアンキ)

この問題点を解決するには何が必要なのか。サッキは、具体的な“処方箋”に踏み込んで熱っぽく話し続ける。なにしろ、高度に組織化されたプレッシング・サッカーの“元祖”は、ほかでもない彼自身なのだ。

「攻守のバランスを高めるためには何が必要か。まず、守備の局面から考えていこう。大事なのは、3ラインの距離を常に短く保ち、チーム全体がコンパクトになっていること、ひとりひとりの選手が正しいポジションを保つことだ。日本が採っている、高い位置から積極的にプレスをかけ、2人目が当たりに行ってボールを奪うという守備戦術は、選手同士の距離を常に短く保つことによって初めて可能になるものだ。

しかし、私が見た試合、特にスロヴァキア戦では、攻撃に人数をかけて前線に4-5人が上がった時に、最終ラインがそれをフォローして上がらないため、前後に広いスペースを残してしまうケースがしばしば見られた。その結果、ボールを奪われカウンターを喰らったときに、数的優位にない最終ラインはずるずる下がらざるを得ず、前線に上がった中盤の選手は後ろからボールを追いかけて長い距離を走らなければならなくなっていた。

最終ラインが前線、中盤をフォローして高い位置に上がり、攻撃している間もチーム全体をコンパクトに保っていれば、ボールを奪われてもすぐに当たりに行けるから、相手にスピードのあるカウンターを許すことはない。それに、ラインの間が長くなれば、選手はそれだけ長い距離を走らなければならないが、常にチームをコンパクトに保っていれば、走る距離も少なくて済む。

一方、攻撃の局面では、スピードを生かし、テンポの速いサッカーをすることだろう。頻繁なサイドチェンジ、トライアングルによるパス交換、後方からの走り込みといったプレーを組織的な動きの中で組み合わせていく攻撃だ。チームをコンパクトに保つことは、その点でも重要になる。広いスペースでスピードを生かすことは難しい。選手同士の距離が近ければ近いほど、スピードあるプレーが生きてくる。

その基本になるのはもちろん、ボールのないところでの動きだ。ボールを持たない選手が2人、3人と組織的に動くことで、新たなスペースとそれを使うチャンスが生まれる。私が見た試合でも、多くのチャンスはこうしたプレーから生まれたものだったが、それでもまだ十分とはいえない。全体として足下にボールをもらうことを好む傾向がある。もっとスペースを作り、使う動きが必要だ」
 
ここで挙げられたような戦術上の課題は、時間をかけてチームの完成度を高めていくことで解決できるものだ。だが、それ以前に、トルシエ監督が目指しているサッカーの方向性そのものは、彼らの目からみて妥当なものなのだろうか?トルシエ・ジャパンがこのまま進歩を続ければ、2年後のワールドカップで世界と堂々と渡り合うことができるのだろうか?サッキの答えは明快だった。

「日本の選手の個人能力はそれなりに高いレベルにあるが、そうはいっても、フランス、イタリア、ブラジル、アルゼンチンといった世界の一流国と戦うとなると、1対1の状況では相手に太刀打ちできないだろう。したがって、ディフェンスにおいては、いかに1対1を避けるかが最大のテーマになる。そうなると、狭いスペースで複数の選手がボールを奪いに行く組織的でアグレッシヴな守備を目指す以外にない。

日本人は総じて体格的に大きくはないし、パワーでは勝てない。個人技術でも一流国のレベルには達していない。だが、スピードと組織力ではまったくひけを取らないだろう。その長所を生かしたサッカー、つまり個人に頼るのではなく、攻守とも組織の力で戦うスピードあるサッカーを目指すべきだろう。イメージとしては、11人があたかもひとりの選手であるように調和的にプレーするサッカーだ。その点で、今の日本代表の方向性は間違っていないと思う」(サッキ)

スキアンキ記者は、さらにはっきりと次のように断言する。
「日本には、ひとりで試合を決められるワールドクラスはひとりもいない。誰か注目すべき選手がいないかと注意して見ていたのだが、目についたのは中田だけだった。しかしその中田も、例えばフランス、イタリア、ポルトガルといったチームに持っていけば、レギュラーを取れるかどうかはわからない。好選手ではあるがワールドクラスとはいえない。イタリアにも、彼を上回る選手はトッティ、フィオーレなど、複数いる。

個々の選手のレベルでは世界の一流国には太刀打ちできないとなると、日本が選びうる道は、組織的なサッカーを追求し、その完成度を上げていくこと以外にはない。“組織”こそが日本にとって唯一最大の武器であることは間違いないだろう。目指すべきは、全員がエゴイズムを捨て、働きバチとなってチームに貢献する高度な組織サッカーだ。“働きバチサッカー”とでも呼べばいいだろうか」(スキアンキ)

サッキ元監督も、スキアンキ記者も、トルシエ監督について詳しく知っているわけではない。しかし2人がともに、日本代表のサッカーに刻まれた彼の“仕事”を肯定的に評価していることは明らかだ。

「監督はいい仕事をしていると思う。選手たちが、プレーする喜びを持ってサッカーをしていたことが、その明らかな証拠だ。しかし、世界の一流国と渡り合うためには、これからさらに、組織的な動きを精緻化していくことが必要だ。

ヨーロッパや南米の代表チームは、個人能力のレベルでは卓越しているが、組織的なサッカーを煮詰めていくだけの時間がない。チームとして集まるのが数ヶ月に1回という状況ではそれも仕方ないことだ。結果として、こうしたチームのサッカーは、個人能力への依存度が高い、大雑把なものにならざるを得ない。

ホスト国であり、準備に十分な時間を取れる日本が優位に立てるとすれば、まさにその点だ。繰り返すが、日本は現時点でもすでに評価できるチームだ。現在の方向性を保ちつつ、更にチームとしての組織力を高め、攻守のバランスがとれたチームを作り上げることができれば、強豪国ともいい戦いができるだろう。

そのために何よりも必要なのは、監督にチームを作り上げるための十分な時間を与え、サポートすることだ。時間をかければかけるほど、組織的な動きを精緻化することができる。それこそが、日本がヨーロッパや南米の強豪国と戦う上で最大の武器になるだろう」(サッキ)

「日本代表のサッカーの完成度は、60%というところだろうか。本番まであと2年あること、また日本がサッカーの伝統を持たないまったくの新興国であることを考えれば、これはかなり評価できるレベルだと思う。ただし、ワールドカップでは間違いなく100%に達していなければならない。世界のトップレベルにあるチームは、ほんの少しの隙も見逃してはくれないからだ。

しかし、100%の組織サッカーを90分間続けることができれば、例えばメキシコ、コロンビア、チリ、パラグアイといった国々と肩を並べる水準には間違いなく達するだろう。ワールドカップで一次リーグを勝ち抜くことは十分可能だと思う」(スキアンキ)

まったく「お世辞抜き」といっていい2人のコメントは、受け取りようによってはやや厳しい内容かもしれない。しかし、見逃してはならないのは、彼らの要求水準が非常に高いレベルにあるということだ。

日本代表が「世界の一流国に太刀打ちするためには何が欠けているか」という真剣な議論の対象になるなど、わずか2年前、フランスW杯当時には、まず考えられないことではなかったか。そして、2002年6月まで、時間はまだ残されている。もしそれまでにトルシエ・ジャパンが、その「欠けているもの」を手に入れることができれば…。□

(2000年11月16日/初出:『サッカーウィナーズ』2000年12月号)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。