WSD誌に連載していた09-10シーズンのモウリーニョ、第6回は佳境に入ってきたCL、そしてこちらもエスカレートしてきたバロテッリ問題について。

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「CLでの戦いがどういう結果に終わるかにかかわらず、今シーズンのインテルはすでにひとつ、とても重要なものを勝ち取った。ヨーロッパの舞台に立つと萎縮してしまい、恐怖に駆られて本来の力を出すことができないという精神的な壁を、ついに乗り越えたからだ。今のインテルは、チェルシー戦のように巨大なプレッシャーやストレスのかかる試合でも本来の力を出し切り、ホームでもアウェーでも変わらずに戦って勝利を持ち帰るチームになった。チャンピオンズリーグで結果を出せるタイプのチームになった」

サン・シーロで行われたCSKAモスクワとのCL準々決勝第1レグ(3月31日)の翌日、モウリーニョはインテルが経験した最も重要な変化についてこう語った。1-0という僅差の勝利で終わったこの第1レグだが、内容的には3-0、4-0で終わってもまったく不思議はない、一方的な試合だった。

自陣深くにコンパクトな守備陣形を敷き、堅固な守備からの鋭いカウンターを最大の武器とするCSKAに対し、インテルはもはや基本システムとなった攻撃的な4-2-1-3で臨み、90分を通して主導権を握って戦った。

前半は相手のローライン・プレッシングにポゼッションを分断されてペースを掴めず、ほぼ互角の均衡した展開で終えることになった。しかし、後半に入り相手の運動量が落ち始めると、それを見計らったかのようにチームの重心を上げて敵陣でのプレッシングを敢行、中盤センターのスタンコヴィッチ、カンビアッソが何度も高い位置でボールを奪って、素早い攻守の切り替えから逆襲に転じる場面を何度も作り出す。

後半だけで14本(うち枠内8本)のシュートを放ちながら、ミリートの1得点だけに終わったのは確かに誤算だが、チームとしての振る舞いはかつての「CLコンプレックス」から完全に解放された、自信あふれるものだった。

「最も重要だったのは、チームが試合中一度も『このまま0-0でモスクワに行くわけにはいかない』という不安に駆られてパニックに陥らなかったことだ。ハーフタイムが終わってロッカールームから出て行くとき、選手たちはこれからの45分に様々なことが起こり得るとわかっていた。1-0、2-0、3-0で勝つかもしれないし、前半の困難が続いて0-0のまま終わるかもしれない。しかし少なくとも『絶対にゴールを決めなければ大変なことになる』という焦りとは無縁だった。チャンピオンズリーグの試合を0-0で終えることは、悲劇でも何でもないと知っていたからだ。彼らは何のプレッシャーも怖れもなく、素晴らしいスピードとインテンシティで後半を戦った。最も必要だったのはまさにそれだ」

今になって振り返れば、インテルが「CLコンプレックス」を乗り越える契機となったのが、2-1でチェルシーを下したサン・シーロでの戦い(決勝T1回戦第1レグ)だったことは疑いない。続く敵地スタンフォード・ブリッジでの第2レグでも、インテルは一度も受けに回ることなく積極的な姿勢を保ち、52%と相手を上回るボール支配率を記録しただけでなく、プレーのインテンシティにおいてもフィジカルで優るチェルシーと互角かそれ以上に渡り合った。

チームとしての成熟度がはっきりと表れていたのは、後半33分にエトーのゴールで先制した後も、「勝利への怖れ」に駆られて足がすくむこともなく、最後まで落ち着いて試合をコントロールしたこと。そこには、受けに回って相手の猛攻を歯を食いしばって耐え抜き勝利をもぎ取るという、イタリアのチームに典型的な終盤の逃げ切りパターンすら入り込む余地がなかった。

事実インテルは、イタリア勢で唯一「ヨーロッパ戦線」でベスト8に勝ち残ったとはいえ、イタリア的なカラーが非常に薄いチームになりつつある。クラブの「国籍」こそイタリアだが、監督はポルトガル人、選手も主力のほとんどは「南米選抜」であり、ベストメンバー11人にイタリア人はひとりもいない。そして何よりも、サッカーのスタイルにおいて「脱イタリア化」を進めつつある。

現在のインテルが完成させつつあるサッカーのスタイルを簡潔に描写するならば、「インテンシティとハードワークを土台にして、攻守両局面に多くの人数をかけることを志向しつつ、組織の中で個人能力を活かそうとするダイナミックでコレクティブなサッカー」ということになるだろう。これは、攻守分業、堅守速攻、組織よりも個人のファンタジアに重きを置くイタリアサッカーのスタイルとは、明らかに方向性を異にしている。

ファンタジスタ礼賛の伝統が示すように、イタリアサッカーには、単独で違いを作り出すことができる特別な個人を最も高い位置に置くメンタリティがある。チーム作りにおいても、そうした個人を中核に据えて、その能力を最大に引き出すべくチームを組織するやり方が一般的だ。マンチーニ前監督からのスタイルを引き継いだ昨シーズンのインテルもまた、イブラヒモヴィッチのために作られたチームだった。

しかし、モウリーニョが今シーズン築き上げたサッカーにおいて、最も高い位置に置かれているのは組織であって個人ではない。エトー、ミリート、パンデフ、スナイデルという攻撃のタレントたちにも守備の局面でハードワークを要求し、攻撃の局面では組織的なコンビネーションの中で彼らの個人能力を引き出してゴールを狙おうとする。

これは、70年代のアヤックスとオランダ代表を嚆矢として、80年代末の「サッキのミラン」、90年代のバルセロナ「ドリームチーム」などを経て、現在のバルセロナ、アーセナルなどに引き継がれる「トータルフットボールの系譜」の中に位置づけることができるスタイルだ。

「個人よりも組織を上位に置く」というモウリーニョの原則は、サッカーのスタイルや戦術だけでなく、チームマネジメントにおいても徹底されている。それが象徴的に表れたのが、3月を通してマスコミを騒がせた「バロテッリ問題」である。

マリオ・バロテッリが、3月7日のジェノア戦(0-0)に先発してフル出場したのを最後に、その後の6試合(セリエA4試合、CL2試合)で、規律上の理由により招集メンバーから外されたことで、その理由と背景に関して、マスコミではあらゆる憶測が飛び交った。

ちょうどこの間、前回の本欄でお伝えした審判の判定を巡る出場停止処分もあって、モウリーニョがマスコミとの接触を全面的に断ったこともあり(出席が義務づけられているCLの前日会見と試合後インタビューが唯一の例外)、当事者の口から事情が説明される機会がなかったことも、マスコミでの騒ぎを大きくする一因となった。

断片的な情報を元にした各紙の憶測記事を総合すると、事の発端となったのは、ジェノア戦のプレーに不満だったモウリーニョが、翌日バロテッリを監督室に呼んで話をした時に起こった口論。モウリーニョの注意に反発したバロテッリがその場を去ろうとしたことで、掴み合いに近い激しいやり取りが起こったと伝えられる。

続くカターニア戦で招集メンバーから外されたバロテッリは、チェルシーとの第2レグ(3月14日)を2日後に控えた練習でも、コーチングスタッフ、さらにはチームメイトとまで諍いを起こし、監督だけでなくチームメイト全員を敵に回して孤立する結果となった。

チェルシー戦の招集リストにまたもバロテッリの名前がないことを確認したマスコミ各紙は、あたかもその日一番のビッグニュースであるかのようにそれを取り上げて「モウリーニョとバロテッリの対立」という構図を煽り立てる。

独力で決定的な違いを作り出す力を備えたバロテッリのようなタレントは、特別扱いされても当然――というのが、イタリアの一般的なメンタリティである。マスコミの報道が「貴重な戦力を招集しないのはおかしい」という、バロテッリ寄りの論調に傾くのも、また必然的な流れだった。

しかし、スタンフォード・ブリッジでの前日会見で、バロテッリについて質問されたモウリーニョの答えは、毅然としたものだった。
 
「バロテッリについて話すつもりはない。招集していない選手についてはコメントしないのが私の原則だ。あなた方が、バロテッリの話で誌面を埋めるために明日の試合で我々が負けるのを期待していることはよくわかっている。だがそれはあなた方の仕事であって、私には関係ない」

バロテッリが招集されなかったのは、モウリーニョとスタッフに対して、そしてそれ以上にチームメイトに対して、自らの非を認め謝罪することを拒否したからだった。しかもチームメイトとの諍いは、自分が欠場したカターニア戦の敗北(1-3)で2位ミランとの勝ち点差が1ポイントまで縮まったのをネタに、ロッカールームでミランの応援歌を歌って仲間をからかって怒らせたのが原因(バロテッリは子供の頃ミラニスタだったことを公言している)というのだから、マスコミが何を書こうと情状酌量の余地はない。監督、コーチ、チームメイトに対してリスペクトを欠いた行為を繰り返しながら、自らの非を認めず謝罪も拒否している以上、チームから外されても当然と言うしかないだろう。

チェルシー戦後の会見でも、モウリーニョの姿勢は明確だった。
 
「最も重要なのは、チームが私の側に立っていることだ。彼らはなぜ私がそういう(=バロテッリを外すという)決断を下したかよく知っている。そしてその決断を全面的に支持している。態度を変えなければならないのは我々ではない。誤った行いから抜け出して、正しい道を歩んでいる我々の側に戻ってくるべき人間の方だ」

バロテッリに対するチームの立場は、ロッカールームのリーダーのひとりであるマルコ・マテラッツィの次のようなコメントが端的に物語っている。

「バロテッリを憎んでいる奴はチームには1人もいない。むしろみんな奴を愛し過ぎているくらいだ。マリオは、俺たちこそがインテルというグループだと理解しなければならない。すごく結束の強いグループだ。その一員として共に勝利を勝ち取りたいならOKだ。そうでないのならいつでも出て行けばいい。誰も止めないから」

しかしバロテッリはその後も態度を変えず、翌週に行われたパレルモ、リヴォルノ、ローマとの3試合、さらにCLのCSKA戦でも招集メンバーから外れることになる。その間も、TVの突撃レポーターにミランのユニフォームをプレゼントされてそれを身に付けて見せたり、トーク番組に電話でゲスト出演して「もし謝罪しなければならないようなことをしたのなら、とっくに謝罪している。でも俺はそんなことは何もしていない。だから謝罪するつもりはない」とコメントしたりと、むしろ状況を悪化させるような振る舞いを繰り返した。

もはや解決の余地がないようにすら見えたこの状況が終結したのは、インテルがサン・シーロでCSKAを下した翌日の4月1日。折れたのはもちろんバロテッリの方である。インテルの公式サイトに掲載された謝罪文は、次のようなものだった。

「最近起こった状況について、ここで謝罪します。一番辛かったのは自分自身でした。僕はサッカーを愛しているしピッチに立ってプレーしたいからです。今は黙って、チームのために役立てる機会を待つだけです。過去のことはこれ以上考えたくありません。それよりも未来について、次の試合でピッチに立つ準備をすることに集中したいと思っています」

この、誰に謝罪しているのかすら明確でない曖昧な謝罪文で、監督、チームとバロテッリの対立が一応の解決を見たのは、この状況にたまりかねたマッシモ・モラッティ会長が、クラブとチームの橋渡し役でありマルコ・ブランカSDとガブリエレ・オリアーリに仲裁を指示したからだった。この仲裁をモウリーニョとチームが受け入れ、バロテッリが謝罪文を通じて公に謝罪することで、両者の対立は少なくとも形の上では解消されたことになる。

続く4月3日のボローニャ戦、バロテッリは早速スタメンで戦列に復帰し、ゴールを決めてチームの勝利に貢献した。今後新たな軋轢が起こらない限り、バロテッリはグループの一員としてチームに受け入れられ、戦力として扱われることになるだろう。

この一件に関して特筆すべきは、これまでインテルの内部で選手と監督の間に軋轢が起こるたび、監督を支持するよりもむしろ選手の我が儘に理解を示すことで、チーム内の規律維持にしばしばネガティブな影響を与えてきたモラッティ会長が、一貫してモウリーニョを支持する立場を崩さず、最終的にバロテッリに謝罪を強いたことだ。

ロナウド、ヴィエーリ、レコーバ、アドリアーノと、モラッティの偏愛によって甘やかされ、規律を乱して監督の威信やチームの結束を失わせてきた大物選手は少なくない。かつてのインテルは、組織よりも特別な個人を最も高い位置に置くというイタリア的なメンタリティを最もわかりやすく体現するチームであり、クラブだった。

今回の「バロテッリ問題」を通じて、モラッティがそうした振る舞いを取らなかったとすれば、それはモウリーニョの影響力が、モラッティ、そしてインテルというクラブのカルチャーにまで及び、変化をもたらし始めていることを意味すると言っていい。就任から2年で、インテルはますますモウリーニョの色に染まりつつある。□

(2010年4月5日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。