数年前にWSDで不定期連載だった「あの人は今」シリーズ。今回は「ミランのサッキ」のその後を。書いてから5年経つので立場が変わっている人もいますが……。マルディーニは5年経ってもガッリアーニがいなくならないので、とりあえず米NASL(MLSの下の2部リーグ)MLSマイアミFCの共同オーナーになりました。ちなみに監督は現役引退したばかりのアレッサンドロ・ネスタです。ボルゴノーヴォは残念ながら2013年に亡くなりました。RIP……。

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80年代末に登場した「アリーゴ・サッキのミラン」は、あらゆる意味で革命的な存在だった。

プレッシングとオフサイドトラップを武器にしたゾーンディフェンスの4-4-2は、それまでリベロを置いたマンツーマンディフェンスが主流だったヨーロッパサッカー界に大きな衝撃をもたらした。しかもそれを演じていたのが、ファン・バステン、グーリット、ライカールトの「オランダトリオ」を筆頭に、アンチェロッティ、マルディーニ、バレージといったワールドクラスのプレーヤーたちだったのだ。

サッキ就任1年目の87-88シーズンにスクデットを勝ち取ると、翌88-89、そして続く89-90シーズンと欧州チャンピオンズカップ(CLの前身)を2連覇、さらに南米王者とのインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)も連覇して世界の頂点を極めた。それから20年、名将サッキの薫陶を受けた当時の選手たちは今何をしているのか――。

師サッキをして「すでに私を超えた」と言わしめる名監督として、ヨーロッパの第一線で活躍しているのが、当時中盤でチームの頭脳といわれたカルロ・アンチェロッティ。

引退後師の片腕としてイタリア代表コーチを務め、1995年からレッジャーナ、パルマ、ユヴェントスの監督を歴任して、01-02シーズン途中にミランに「帰還」。足かけ8シーズンの間にCL2回、スクデット、クラブW杯、コッパ・イタリア各1回の優勝を勝ち取り、黄金時代を築いた。昨シーズンからチェルシー監督に就任。1年目にプレミアリーグ優勝を飾っている。

監督の道に進んだのはアンチェロッティだけではない。いぶし銀の右ウイングとして攻撃に欠かせない存在だったロベルト・ドナドーニも、リヴォルノ、ジェノアなどを経て2006年から08年までイタリア代表監督を務め、ユーロ2008では準々決勝で優勝したスペインをPK戦まで追いつめた。その後ナポリを経て今シーズン途中からカリアリを率いている。競争の激しいこの世界で今も第一線で指揮官を務める数少ないひとりだ。

「オランダトリオ」もそれぞれ監督としてのキャリアをスタートさせたが、アンチェロッティほどの成功は手にすることができなかった。

3人の中で最も大きな実績を誇るのはフランク・ライカールト。引退後オランダ代表コーチを経て1998年代表監督に就任するも、自国開催のユーロ2000では準決勝でイタリアを圧倒しながらPK負けを喫した直後に引責辞任。01-02シーズンにはスパルタ・ロッテルダムの監督となったが、クラブ史上初の降格を喫するという不名誉な記録を残した。

しかし、03-04シーズンから足かけ5年間率いたバルセロナでは、CL1回、リーガ、コパ・デル・レイ各2回という成績を挙げ、名将の仲間入りを果たした。しかし1年のブランクを経て就任したガラタサライではリーグ3位に終わり1年で辞任。現在は浪人中だ。

オランダ代表監督を務めたのはファン・バステンも同じ。アヤックスのユースコーチを経て、2004年から2008年まで4シーズンの任期だったが、06年W杯ではベスト16でポルトガルに、ユーロ2008でもベスト8でロシアに敗れている。08-09シーズンからは、古巣アヤックスと4年契約を結んで監督に就任したものの、1年目のシーズンで3位に終わってCL出場権を逃し引責辞任。やはり現在浪人中である。

最も早く監督に転身したのがルード・グーリット。1996-97シーズン途中、選手キャリアの最後を送ったチェルシーでプレーイングマネジャーを務め、FAカップを勝ち取ったが、翌シーズン途中で解任される。その後はニューカッスル、フェイエノールト、MLSのロサンゼルス・ギャラクシーで指揮を執ったが目立った結果は残していない。今年1月、ロシアプレミアリーグのテレク・グロズニー(チェチェン共和国)の監督に就任して3月の開幕に臨もうとしている。

一方、引退後もミランに残ってフロントや育成部門のスタッフを務めている人々も少なくない。背番号6が永久欠番となっている偉大なキャプテン、フランコ・バレージは、1997年の引退後クラブの副会長に就任、ボスマンショックに煽られた育成部門の再編に取り組んだ。しかし大きな成果は得られず、2002年には一度ミランを離れてフルアムのテクニカル・ディレクターとなったが、僅か1ヶ月で辞任している。

その後ミランに戻り、02年から06年までプリマヴェーラ(U-19)、その後2年間はベレッティ(U-18)の監督を務めたが、現在はマーケティング部門に異動となっている。そのマーケティング部門では、スーパーサブとして貴重な活躍を見せたダニエレ・マッサーロも管理職を務める。

右サイドバックとしてオーバーラップを繰り返しチャンスを演出したマウロ・タソッティは、97年の引退後すぐにプリマヴェーラの監督となり、2002年からはアンチェロッティの助監督としてコーチングスタッフ入り。その後レオナルド、アッレーグリと監督が変わっても、常に助監督として片腕役を努めている。

育成部門では、中盤の汗かき役として黒子に徹したアンジェロ・コロンボが、1996年から2008年まで12年に渡って責任者を務めていた。コロンボはその後監督に転身、セリエD(5部)、LP2(4部)のチームを指揮したが、現在は浪人中だ。

現在育成部門のトップを務めているのは、バレージとペアを組んで最終ラインを固めたフィリッポ・ガッリ。96年にミランを離れた後も下部リーグで41歳まで現役を続け、引退後アンチェロッティのスタッフとしてミランに復帰、06年から08年までプリマヴェーラの監督を務めた後、現職に就いた。

90年のトヨタカップで決勝ゴールとなるFKを決めたアルベリゴ・エヴァーニも、育成部門で長くコーチを務めたひとり。2000年から08年までアッリエーヴィ(U-17)の指揮を執った後、09-10シーズンはミランを離れてLP2(4部リーグ)のサン・マリノを率い、2010年8月からは恩師サッキの引きもあってイタリアU-18代表監督を務めている。

現在プリマヴェーラの監督を務めるのは、当時若きファンタジスタとして将来を嘱望されていたジョヴァンニ・ストロッパだ。そのストロッパと同い年(1968年生まれ)で期待の若手ウイングだったディエゴ・フゼールは、42歳になった昨シーズンまでセリエD(5部)のアマチュアリーグで現役を続行、今シーズンからセリエDで監督としてのキャリアをスタートしたばかりだ。控えのFWだったマルコ・シモーネは、2006年に引退した後代理人の資格を取り、現在は1999年から2003年までプレーしたモナコとコンサルタント契約を結んでいる。

ここまで見てきた顔ぶれとは違う形でカルチョの世界にかかわっているのが、デメトリオ・アルベルティーニとアレッサンドロ・”ビリー”・コスタクルタ。前者は2005年に引退した後、イタリアサッカー選手協会(AIC)の代表としてイタリアサッカー協会(FIGC)の副会長となり、カルチョの世界の権力中枢を担っている。2012年に予定されている会長選挙では、ジャンカルロ・アベーテに代わって会長就任が濃厚だ。

コスタクルタは、2007年の引退後コーチングスタッフ入りしたが、08-09シーズンにはセリエBのマントヴァの監督に途中就任したが、14試合(4勝4分6敗)で辞任。現在は衛星TV局スカイ・イタリアの人気コメンテーターの1人である。

こうして見ると、ほとんどのメンバーが今なおカルチョの世界の中で生きていることがわかる。数少ない例外のひとりが、不動の守護神だったジョヴァンニ・ガッリ。1996年に引退後TV解説者となり、フォッジャ、フィオレンティーナ、ヴェローナでスポーツディレクターも務めたが、2009年に政治家に転身、中道右派ポポロ・デッラ・リベルタ(ベルルスコーニの党派)からフィレンツェ市長選挙に出馬した。しかし惜しくも次点で落選、現在はTV解説の仕事を続けながら再起を期している。
 最も長くミランで現役を務め、バレージと並び背番号が欠番となっている偉大なキャプテン、パオロ・マルディーニは、08-09シーズンを最後にスパイクを脱いだ後、悠々自適の引退生活を送っている。役員としてミランに戻ることを望んでいるが、ガッリアーニ副会長と反りが合わないだけに、当面はモラトリアム期間が続きそうだ。

89-90シーズンのメンバーで最後の1人が、控えFWとして貴重な戦力だったステファノ・ボルゴノーヴォ。1996年まで現役を続け、引退後は自らが育ったコモで育成コーチを務めていたが、2005年に原因不明の難病である筋側索硬化症(ルー・ゲーリッグ病)に罹患、現在も闘病生活を送っている。

全身の筋肉が弛緩して車椅子生活、しかも人工呼吸装置に頼るという状況にもかかわらず、体調が許す限り公の場に出て、自らが設立したこの難病の原因究明を目的とする「ステーファノ・ボルゴノーヴォ財団」のPR活動を続けてきた。瞳の動きを使って文字を拾うコンピュータにコミュニケーションを頼る病状にあっても、常にポジティブな姿勢を失わず冗談を連発。その明るく希望を捨てない姿勢は多くの人々を勇気づけ、生きる力を与えている。□

(2011年3月20日/初出『ワールドサッカーダイジェスト』)

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。