前回95-96のユヴェントスを取り上げたあの人は今シリーズ、今回はあの「雨のペルージャ事件」でアンチェロッティのユヴェントスが滑ったのを尻目に逆転優勝した99-00のラツィオです。これを書いてから4年半が過ぎて立場が変わっている人もいますが、いずれにしても監督転身組が多いのが特徴ですかね。しかもマンチーニ、シメオネ、ミハイロヴィッチはメガクラブを率いているという……。

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ラツィオの黄金期といえばやはり90年代の終わり、シーズン最終節に逆転でスクデットを勝ち取った99-00シーズンを頂点として、史上最後のカップウィナーズカップ(98-99)、そして2度のコッパ・イタリア(97-98、99-00)を勝ち取った時代ということになる。

当時のオーナーは、企業売買を専門とする投資家のセルジョ・クラニョッティ。1992年にラツィオの経営権を買い取り、ディノ・ゾフ、ズデネク・ゼーマンを監督に迎えて、セリエAで安定して5位以内に入るところまで戦力を整えると、97-98シーズンにはサンプドリアからエリクソン監督とロベルト・マンチーニの師弟コンビを引き抜き、本格的にスクデットに照準を合わせたチーム作りに取り組んだ。今回取り上げる99-00シーズン優勝メンバーの多くも、この時期の大型補強によって加入した選手たちだ。

あの劇的なスクデットから11年、当時のメンバーで今も現役のフットボーラーとしてピッチに立っているのは4人だけになった。

その中で最も輝いているのは、椎間板ヘルニアの手術から復活を果たし、ミランの最終ラインを率いてスクデットを勝ち取ろうとしている35歳のアレッサンドロ・ネスタだろう。ラツィオ生え抜きの「バンディエーラ」としてローマのトッティと張り合う存在だったネスタだが、経営が悪化したクラブを破産から救うため02-03シーズンにミランへの移籍を受け入れ、その後度重なる故障に見舞われながらも、今もコンディションさえ許せば、世界指折りのセンターバックであり続けている。

トッププレーヤーとして現役を続けるもう1人が、当時は若き控えのMFだったデヤン・スタンコヴィッチ。03-04シーズンに移籍したインテルの中心選手として、昨シーズンの三冠達成に大きな貢献を果たした。

チーム内で一大勢力だったアルゼンチン組の中では、ファン・セバスチャン・ヴェロンマティアス・アルメイダが、母国でプレーを続けている。ヴェロンは心のクラブであるエストゥディアンテスで2009年のコパ・リベルタドーレスを勝ち取り、アルメイダは自らが育ったリーベル・プレートで今も中盤の要だ。

引退後、監督の道に進んだ選手は少なくない。その中でも「出世頭」は当時のキャプテン、ロベルト・マンチーニ。2000年のスクデットを区切りに引退した後、フィオレンティーナ、ラツィオ、インテルの監督を歴任し、インテルでは05-06シーズン以来スクデット3連覇(ピッチ上では2連覇)を果たした。

19年12月からは、活躍の場をプレミアリーグに移し、マンチェスター・シティを率いて「ビッグ4」と互角に渡り合っている。そのマンチーニのスタッフを務めているのが、サンプドリア、ラツィオで長年共にプレーしたアッティリオ・ロンバルドだ。

一方、同じ「サンプドリア組」でマンチーニにとっては盟友と言うべき存在であるシニーサ・ミハイロヴィッチは、インテルで最初は選手、その後は助監督としてマンチーニを支えた後、監督として独り立ちして新たなキャリアをスタートした。08-09シーズンはボローニャを率いて途中就任・途中解任に終わったが、昨シーズンは降格の危機に瀕していたカターニアを途中就任で余裕の残留に導き、その手腕が評価されて今季はフィオレンティーナの監督に抜擢された。

そのミハイロヴィッチの後、今シーズン半ばからカターニアを率いて、チームを残留に導こうとしているのが、ヴェロン、アルメイダと共にラツィオの中盤を支えたアルゼンチンカルテットの3人目、ディエゴ・シメオネだ。2006年を最後に母国で現役を引退した後すぐに監督に転身、エストゥディアンテスとリーベル・プレートでリーグ優勝を勝ち取るなど、すでに監督としてのキャリアは十分だ。

アルゼンチンカルテットの4人目は、現役時代からすでに「ピッチ上の監督」と呼ばれていたネストール・センシーニ。ラツィオの後パルマを経てウディネーゼに移籍、39歳までプレーを続けたが、05-06シーズン途中、監督に途中就任を要請されたためという珍しい理由で現役を退いた。この時はわずか3ヶ月で辞任することになったが、その後母国に戻ってエストゥディアンテス、そして2008年後期からはニューウェルス・オールドボーイズを率いている。

当時のメンバーで唯一今もラツィオに留まっているのが、シモーネ・インザーギ。一時的なレンタル移籍はあったものの、09-10シーズン限りで(兄フィリッポよりも先に)引退するまで、通算11年間にわたってビアンコチェレステのシャツを着続けた。今シーズンからは育成コーチになり、アッリエーヴィ・ナツィオナーリ(U-17)を率いる。

監督に転身した最後の1人は、CB、SBとして長年ラツィオの最終ラインを支えたパオロ・ネグロ。シエナでプレーした06-07シーズンを最後に引退したが、昨夏、プリマ・カテゴリア(8部リーグ相当)のアマチュアクラブ・チェルヴェテーリで一時的に現役に復帰、12月からは監督に就任した。

ロンバルドと同様、アシスタントコーチという立場でサッカーの世界に残っているのが、その突破力で攻撃にアクセントをつける貴重な存在だった右ウイングのセルジョ・コンセイソン。ラツィオの後パルマ、インテルでプレーして2004年にイタリアを去り、その後はポルトガル、ベルギー、クウェートを経て、昨シーズン半ばにギリシャのパオク・サロニコで現役を引退。今シーズンから、キャリアの終盤を送ったスタンダール・リエージュの助監督を務めている。

優勝メンバーの中で唯一、クラブ役員としてのキャリアを歩み始めたのが、左サイドで攻守に獅子奮迅の働きを見せたパヴェル・ネドヴェド。2001年夏にユヴェントスに移籍し、08-09シーズンを最後に引退して悠々自適の生活を送っていたが、昨年10月、アンドレア・アニエッリ会長の要請を受けてユヴェントスの役員に就任。クラブとチームの橋渡し役を務めている。

ここまで挙げた13人は、いずれも今なおサッカーの世界の「内側」で仕事を続けている。それに対して、TV解説者という立場で「外側」からサッカーにかかわっているのが、ルカ・マルケジャーニファブリツィオ・ラヴァネッリアレン・ボクシッチの3人。

マルケジャーニはスカイ・イタリアのメイン解説者の1人で、監督や選手をあまり批判しない甘口のコメントが、辛口揃いのイタリアでは逆に新鮮で人気を博している。ラヴァネッリはメディアセット、ボクシッチは母国クロアチアの民放局の解説者だ。

サッカーの世界から完全に足を洗って、静かに引退生活を送っているのは、ジュゼッペ・ファヴァッリジュゼッペ・パンカロ、そしてマルセロ・サラスの3人。いずれも、第2の人生に向けて充電中ということのようだ。

ちなみに、チームを率いたスヴェン・ゴラン・エリクソン監督も今なお現役。イングランド代表、マンチェスター・シティ、メキシコ代表、コートジヴォワール代表を経て、昨年10月からはイングランド2部(チャンピオンシップ)のレスター・シティを指揮、終盤の追い上げで昇格争いに参入中である。■

(2011年4月17日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。