5年ほど前に某WSD誌にイタリアビッグ3の育成部門の状況について寄稿したことがあります。この機会に3つ順番にアップしたいと思います。まずはユヴェントスから。5年も経つと状況も多少は変わってきますが、育成にとっての5年はトップチームにとっての5年と比べれば、ほんの短い時間にしか過ぎません。取り組みを始めてから成果が出るまで10年かかるのがこの世界。育成にとっての5年はトップチームにとっての5年と比べれば、ほんの短い時間にしか過ぎないのでした。ちなみに、出てくる人々の所属はすべて2010年当時のものです。

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ユヴェントスは、イタリアのビッグクラブの中で育成部門に最も力を入れ、また育成年代のコンペティションで大きな結果を残してきたクラブだった。その最大の功労者と言えるのは、2006年のカルチョスキャンダルでサッカー界から放逐されたルチャーノ・モッジである。

最初はスカウト、その後はナポリ、ローマ、トリノのスポーツディレクターとしてキャリアを築いてきたモッジは、1994年にユヴェントスのゼネラルディレクターに就任すると、それまで軽視されてきた下部組織の再構築に取り組んだ。

自らのスカウト網の一員だったジョルジョ・ペリネッティ(現バーリSD)を育成部門の責任者に据え、そのネットワークを活かしてイタリア各地から有望なタレントを発掘してジョヴァニッシミ(U-15)やアッリエーヴィ(U-17)、プリマヴェーラ(U-19)に組み込み、数年のうちにこれらのカテゴリーは全国でも指折りの強豪として結果を出すようになって行った。その一方では、地元(トリノ県内)の子供だけが対象となる12歳以下は、各年齢ごとに2チームを登録するなど、足下を固めることも忘れなかった。

ペリネッティの後にも、ピエトロ・レオナルディ(現パルマSD)、フランコ・チェラーヴォロ(現アレッツォSD)と、その後セリエA、BのSDとしてキャリアを築くことになる有能なディレクターが育成部門責任者を務めてきた。

指導者も、プリマヴェーラ監督をジャンピエロ・ガスペリーニ(現ジェノア監督)が6年間(1997-2003)、その後を継いだヴィンチェンツォ・キアレンツァ(現アスコリ監督)が5年間(2003-2008)務めるなど、継続性と一貫性のある指導体制が敷かれていた。

この間に下部組織のトップカテゴリーであるプリマヴェーラが勝ち取ったタイトルは、スクデット2回、コッパ・イタリア3回、ヴィアレッジョ・トーナメント4回。育成に力を入れてきた他のクラブ(インテル、ローマ、アタランタなど)と比べても傑出した結果と言える。

その間に輩出し、現在セリエAでプレーしている選手も、現在トップチームでプレーするマルキジオ、デ・チェリエ、ジョヴィンコ、パオルッチに加えて、パッラディーノ、クリーシト、スクッリ、ミラネット(いずれもジェノア)、ノチェリーノ、カッサーニ(いずれもパレルモ)、ランザファーメ、ミランテ(いずれもパルマ)、ベンティヴォリオ(キエーヴォ)、ガスタルデッロ(サンプドリア)など、10人以上に上る。

さらに国外でもコンコ(セビージャ)、オリヴェラ(ペニャロール)、モリナーロ(シュツットガルト)がプレーしている。彼らはすべて、モッジ時代にユヴェントスが発掘し育成した選手である。

これだけ充実した育成部門を持ちながら、モッジ時代のユヴェントスは、トップチームの強化に生え抜きの選手をほとんど活かしてこなかった。これは、ヨーロッパの頂点を目指すレベルのチームである以上、即戦力を補強して目先の勝利を追求し続けなければならないというビッグクラブの宿命ゆえ。ユーヴェの下部組織で育った選手の多くは、移籍マーケットにおいて即戦力を獲得するための交換要員として放出されていくのが常だった。

そうしたクラブの戦略が大きく変わったのは、2006年夏のカルチョポリによって、経営陣の顔ぶれが一掃されたことがきっかけだった。

コボッリ・ジリ会長(当時)、ジャンクロード・ブラン代表取締役をトップとする新経営陣は、モッジの息が掛かったチェラーヴォロを解任し、育成部門責任者にチロ・フェラーラを据えると同時に、実際のオペレーションを担当するディレクターにはパスクアーレ・センシービレ(現ノヴァーラSD)がヴェローナのスカウトから就任する。

新首脳陣は新生ユヴェントスの基本戦略として「育成重視」をはっきりと打ち出し、「アヤックスやアーセナルに倣って育成部門から育った若いタレントを積極的に登用したチーム作りを目指す」というアドバルーンを上げた。

しかし、それから4シーズンを経た現在、その新路線はあまり進んでいるようには見えない。確かにマルキジオ、デ・チェリエ、ジョヴィンコはトップチームでプレーしている。しかし例えば、ポウルセンを獲得する一方でノチェリーノをアマウリの交換要員として放出したり、CBとして通用しないと判断してジェノアに売却したクリーシトが、SBとして代表入りしたりと、クラブが育成してきた人材を最大限に活かしているとは言い難い。その一方で、87年生まれのジョヴィンコを最後に、新たなタレントは育ってきていない。

モッジ時代のユヴェントスが輩出した人材を最もよく活用しているのは、当時プリマヴェーラの監督だったガスペリーニが率いるジェノアである。すでに見た通り今季のジェノアはパッラディーノ、スクッリ、クリーシト、ミラネットとユーヴェ育ちが4人もおり、過去にもコンコ、パーロ、オリヴェラが在籍していた。

新体制となった06-07シーズン以降、ユヴェントスの下部組織はプリマヴェーラ、アッリエーヴィ、ジョヴァニッシミとも、かつてのような強さを見せなくなっている。これは、選手獲得網の弱体化によって、サンプドリア、インテル、アタランタ、フィオレンティーナ、ウディネーゼといった、近年育成に力を入れ始めたクラブとの発掘競争に遅れを取り始めていることが原因と言われる。センシービレはその責任を問われてか、07-08シーズン終了後に解任され、後任の育成部門ディレクターには、ピアチェンツァなどでSDを務めてきたレンツォ・カスタニーニが就任している。

カスタニーニは、フェラーラがトップチーム監督に就任した昨夏に育成部門責任者に就任、新たなディレクターにはジャンルカ・ペッソットがチームマネジャーから転身する形で就任した。スカウティングの責任者は、かつてパドヴァなどで監督を務めた経歴を持つマウロ・サンドレアーニ。

ユヴェントスの育成部門は、首脳陣が掲げた方針とは裏腹に、モッジ時代と比べてむしろ弱体化しており、今のところ過去の遺産で食いつないでいるだけという危険な状況にあるように見える。昨年、今年とヴィアレッジョ・トーナメントで2連勝しているが、これはいずれも、レンタルに出していた選手の一時的な呼び戻しも含め、年齢制限ギリギリのメンバーを補強して勝ちに行った結果。この2月の勝利も、レンタル先のバーリから呼び戻したスペイン人ファンタジスタ、ヤーゴ・ファルケ(バルセロナのカンテラから2年前に引き抜いた)の活躍で手にしたもので、現育成スタッフの手柄とは言い辛い。

カスタニーニとペッソットの新体制が、「アーセナルやアヤックスに倣った」育成強化モデルの確立に向けた土台を築くことができるのかどうか、今後の動向を見守る必要がある。□

(2010年3月10日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。