冬のカルチョメルカート終了まであと数時間。メルカート最終日といえば、4年前には長友のインテル移籍成立、3年前には本田のラツィオが流れるというスリリングな出来事がありました。今年もいろいろばたばたしています。これは3年前、本田の時に書いたテキスト。

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1月31日午後7時、冬の移籍ウインドウが幕を閉じた。

昨年は、最終日のタイムリミットまであと10分あまりというギリギリのタイミングで長友祐都のインテル移籍が決まるという「イベント」のおかげで大いに盛り上がることができたが、今年は、やはり最終日にもつれ込んだ本田圭祐のラツィオ移籍話が、残念ながら残り数時間となったところで破談に終わるという、ちょっと残念な結末だった。

これは冬に限らないことだが、イタリアの移籍マーケットで特徴的なのは、期限ギリギリになっての「駆け込み移籍」の多さだ。夏は2ヶ月、冬は1ヶ月もウインドウが開いているというのに、ディールが集中するのは最後の1週間。とりわけ最終日には、タイムリミットである午後7時までの数時間にバタバタと交渉がまとまり、レーガ・カルチョの登録オフィスはてんやわんやの大混雑となる。

われわれ日本人の感覚からすると、最後の最後で焦ってドタバタするくらいならもっと余裕を持って交渉に当たればいいのに、という気持ちにもなるのだが、イタリアの皆さんはそういう風には考えないらしい。衛星TV局「スカイ・イタリア」などは、最終日の午後6時からカウントダウンの特別番組を放映して、時間切れ目前となった移籍交渉の動向をドラマチックに伝え、雰囲気を盛り上げる。もはや年に2回の風物詩と言ってもいいくらいだ。

いったいどうして毎回そういうことになってしまうのかと考えてみて思うのは、イタリアのクラブがカルチョメルカートに臨む心理は、私たちがバーゲンセールに向かう時のそれとよく似ている、というということだ。イタリアでは今、秋冬物バーゲンの真っ最中なのだが、限られた予算でなるべくいいものをゲットしたい、少しでも得な買い物をしたいという強い願望が湧き上がってくるところはまったく同じである。

一度味を占めてしまうと、今度は定価で買うと損をしたような気分になって、安く買い叩かないと気が済まなくなったり、得をしたという満足感のためだけにすぐ必要でもないものに思わず手が出たりするところも似ている。

もちろん、すべての移籍がそうだというわけではない。そもそも、必要な商品、買うべき商品がはっきりと決まっていて、しかも予算を潤沢に持っている場合には、わざわざバーゲンセールを待つ必要はない。きちんと定価で購入すればそれで話は済むことだ。

今回のカルチョメルカートで言えば、ウィンドウが正式に開く以前の12月にすでに話が決まっていたような案件がそれに当たる。具体的には、ジラルディーノ(フィオレンティーナ→ジェノア)、ボリエッロ(ローマ→ユヴェントス)、エドゥ・ヴァルガス(ウニベルシタード・デ・チリ→ナポリ)などがそうだ。

しかし、我々の多くにとってもそうであるように、ほしい商品があってもプロパーの値段では予算的に手が届かないことは少なくない。中堅以下のクラブにとって、チームの戦力強化に直接つながるクオリティの高い選手は、限られた補強予算をオーバーする値札がついているケースが大半と言っていい。そうなると、とりあえずはバーゲンが始まるまで様子見で待とうか、ということになる。

冬のメルカートの場合、選手の値段が下がり始めるのは、期限まで残り2週間となる1月半ばあたりから。メルカートに出されて値札がついている選手は、所属クラブにとっては余剰戦力だったり、出場機会が得られず移籍を志願する不満分子(チームの結束にとってマイナス)だったりすることが多い。

売り手の側にとっても、手放せるならその方がいいという存在なので、このタイミングでオファーがない(買い手にとって割高感が強い)ということになると、そろそろ値を下げ始めることになる。それに買い手の側も反応する形で、交渉が本格的に動き出すのがこの時期からだ。 

昨シーズン得失点差で逃したCL出場権を本気で狙おうと、1000万ユーロを超える予算を用意して中盤の即戦力補強に乗り出した好調ラツィオが、本田圭祐に狙いを定めてCSKAモスクワに交渉を持ちかけたのもちょうどこのタイミング、1月16日のことだった。

強化担当のイグリ・ターレSDがモスクワに飛んで、CSKAのエフゲニ・ギネル会長に直接オファーをぶつける。この時点でCSKAがつけた値札は1600万ユーロ(一括払いのみ)、ラツィオのオファーは、100万ユーロで半年レンタル+6月に1000万ユーロで完全移籍(計1100万ユーロ)という「買い取りオプションつきレンタル」。両者の間には500万ユーロもの開きがあり、交渉は平行線をたどった。

とはいえ、移籍交渉というのは本来「狐と狸の騙し合い」である。たとえ売り手の側に売る気があったとしても、相手が最初に出してきたオファーを注文もつけずに受け入れるようなことはしないし、買い手の側も最初から支払い能力ギリギリの数字を提示することはめったにない。最初のアプローチで、値札とオファーの間に大きな開きがあるというのはまったく珍しいことではない。だからラツィオもまったくめげることなく、交渉を継続することになった。

誤算があったとすれば、ロシア人のメンタリティはイタリア人のそれとは違うというのを、十分計算に入れていなかったことだろう。売り手が1600、買い手が1200で交渉が始まれば、落とし所は1400、そこからいくら引かせるかが腕の見せ所、というのがイタリア的な駆け引きの感覚である。

しかしCSKAは、そう簡単に値引きに応じるようなクラブではない。選手が移籍を志願したからといって「ゴネ得」は絶対に許さず、顔色1つ変えずにクラブに縛りつける強面ぶりでも有名。資金的にはまったく困っていないので、値引きしてまで手放す必要性を感じていないのだ。

ラツィオはここから、当初のオファーに元アルゼンチン代表GKカリーゾ(戦力外・評価額250万ユーロ)を追加する「抱き合わせオファー」を持ちかけたり、一括払いに応じる代わり金額を1200万ユーロまで下げてほしいと言ってみたりと、あの手この手で揺さぶりをかけた。

もちろん最後は相手も譲歩するだろうという希望的観測にすがっての駆け引きだった。イタリアのいくつかのメディアは28日までに、合意が成立したかのような憶測報道を打って援護射撃をしたが、実のところCSKAはまったく譲歩する気配を見せなかったようだ。29日に日本の『スポーツニッポン』が突然1面トップで打った「本田、決定ラツィオ」「ローマ市内でロティート会長と会食」というスクープも、何の裏付けもない虚報(誤報ですらない)に過ぎなかった。

そうこうしているうちに、メルカートのタイムリミットも近づいてくる。バーゲンでいえば、20-30%オフの期間が終わって50%オフの最終週に突入、という感じである。イタリアでは、FIGCとレーガ・カルチョがミラノ市内のホテルを会場として各クラブに交渉用の部屋を割り当て、選手登録用のオフィスもその一角に出張してくるという、文字通りの「メルカート」(市場)が開設される。今年は1月26-27日(木金)と30-31日(月火)の計4日間がその会期だった。

ここまで期限が迫ってやっと、各クラブも本気で移籍交渉をまとめようと動き出す。すでに時間も限られている中でいい商品を少しでも安く手に入れたいが、かといって手ぶらで帰ることは許されない(買い手)、余剰戦力を少しでも高く売ってそれを補強に回したいが、売れ残っては元も子もない(売り手)という矛盾する思惑が幾重にも錯綜し、どちらも二股、三股かけるのは当たり前という壮絶な駆け引きが展開されるので、最後の数日間はもうカオスもいいところである。

今年も、テヴェスをめぐるミラン、インテル、PSG、マンCが入り乱れての一大メロドラマを筆頭に、ラニエーリの要望に反してティアーゴ・モッタをPSGに売却しグアリンとパロンボを獲得したインテル、テヴェスの代わりにマキシ・ロペス(これがよくわからない)を獲りムンターリをインテルから寝返らせたミラン、そしてスクッリ、シセという2人のFWを放出しながら、本田だけでなくクラシッチ、ニウマールも取り逃した末、カンドレーヴァという格落ちのMF1人しか獲れなかったラツィオと、各クラブの動きは見る者を飽きさせなかった。

ラツィオは、タイムリミット前日の30日にCSKAの幹部がローマまで出向いて来たことに加え、本田との間ではすでに条件面まで含めた合意に達していたという強みもあって、最後には譲歩を勝ち取れるだろうと思っていたようだ。しかしCSKAは30日の深夜まで及んだ交渉でも1500万ユーロの一括払いという最終条件から一歩も動かなかった模様。ラツィオが歩み寄ってくるならば手放す用意はあるが、こちらから折れるつもりは一切ないというスタンスだったのだろう。

この辺りを読み切れず(文化の違いということだろう)、31日の午後まで交渉を引っ張るというチキンレースに出てしまったおかげで、ラツィオは本田獲得に見切りをつけるのが遅れて、レーヤ監督が欲しがっていたクラシッチにアプローチする余裕が見出せず、残り4時間を切った時点で本田の代わりに狙いを定めたニウマールの獲得交渉も時間切れに終わるという、文字通りあぶはち取らずの大失敗。大収穫のショッピングバックを抱えて戻って来るはずが、ほとんど手ぶらに近い状態でバーゲンから帰還する羽目になった。

イタリアでは選手や代理人に対して強面で臨むことで知られ、ハード・ネゴシエイターとして名を馳せるロティート会長だが、今回ばかりはCSKAの方が一枚上手だったようだ。夏には改めて本田獲得に乗り出す意向を持っているとも伝えられるだけに、今度はどんな駆け引きに出るのかが楽しみである。□

(2012年2月3日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」

By Michio Katano

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。