近年のイタリアサッカー衰退の背景にスタジアム整備の遅れがあることは、様々なところで指摘されている通り。その大きな原因のひとつが、補助金を活用して一気に施設の更新と近代化を図るチャンスだったEURO2012の開催権を逃したことでした。その顛末をまとめたテキスト。
先週の水曜日(2007年4月4日)にウェールズのカーディフで行われたUEFA理事会で、5年後の2012年に行われる欧州選手権の開催地が、ポーランドとウクライナ(共催)に決まった。
12人の理事による最終投票の結果は、ポーランド/ウクライナが8票、イタリアが4票、クロアチア/ハンガリーが0票。イタリアに票を入れたのは、ミシェル・プラティニ会長のほかドイツ、スペイン、トルコの理事で、残るイングランド、オランダ、ポルトガル、マルタ、ノルウェー、キプロス、ロシア、ルーマニアの理事が、ポーランドとウクライナを支持した。
本命を自認し、周囲からもそう見られていたイタリアにとっては、ショッキングな落選である。翌日の各紙には「何という恥辱」、「イタリアに平手打ち」、「歴史的敗北」といった大仰な見出しが並んだ。
イタリアの「敗因」として挙げられている要素は、ひとつではない。
代表団の一員としてカーディフに赴いていたスポーツ大臣ジョヴァンナ・メランドリ女史(落選が決まった時には思わず涙をこぼした)は、「UEFAの決定は政治的な背景を持つもの。近年になってヨーロッパ世界に新たに加わった国に発展のチャンスを与えようという判断があったと思う」と語っている。
ポーランドのEU加盟は2004年、旧ソ連のウクライナは未加盟である。すでに社会インフラが整った先進国の部類に入るイタリアとは異なり、こうした大きな国際的スポーツイベントの開催が、国の発展そのものの推進力となり得る余地を残している。なにしろ、会場となるスタジアムはもちろん、開催都市間の移動手段から宿泊施設まで、すべてをこれからの5年間で整備しなければならないのである。
それだけに、招致活動の最終局面である今回の理事会にも、レフ・カチンスキ(ポーランド)、ヴィクトル・ユシチェンコ(ウクライナ)という国家元首2人がカーディフに乗り込んで来るなど、国としての力の入れ方が違うことは一目瞭然だった。一方、イタリアのロマーノ・プロディ首相はアジア訪問中(日比谷公園でジョギングしていた)で、政府代表はスポーツ大臣。プラティニ会長は開催国決定後、「イタリアは、ユーロ開催をスタジアムを作り直すための機会くらいにしか考えていないように見えた。少なくともそう受け取った理事がいたことは否定できない」とコメントしている。
代表団に同行した記者たちの多くが主たる敗因として指摘しているのは、ロビー活動の失敗である。ウクライナ/ポーランドのロビー活動を担ったのは、UEFA理事(今回は投票権なし)でディナモ・キエフ会長のグレゴリー・スルキス。現地では、投票前夜に、まだ旗色を決していない何人かの理事に猛烈なアプローチ(その内容は想像するしかないが)をかけ、少なくともマルタ、ルーマニア、ロシアの3人の理事を丸め込んだという噂が飛び交ったようだ。2016年大会への立候補を予定しているロシアは、それが微妙になるにもかかわらずウクライナに票を投じている。
イタリアがUEFAに理事として送り込んでいるフランコ・カッラーロは、IOC理事も務めるスポーツ界の大物とはいえ、昨年のカルチョスキャンダルに関与してイタリアサッカー協会会長を辞任しており、いわば梯子を外された立場。落選決定後「この7ヶ月間まともなロビー活動ができなかった」とこぼしたが、UEFA内でも影響力を失っていることは明らかだった。メランドリ大臣やジャンカルロ・アベーテFIGC会長は、それを承知の上でなお、インフラ面やビッグイベントの組織力といったイタリアのアドバンテージを信じ、ロビー活動に力を入れなかったわけだが、結果としてはそれが裏目に出たことになる。
しかし、傍観者として言わせてもらえば、落選の一番大きな要因は、イタリアがサッカー大国としての威信を失いつつあるところにあるように思われる。
確かに、イタリア代表はワールドカップ優勝という偉大な結果を残した。だが、昨年起こったカルチョスキャンダルは、サッカー界を取り仕切る協会首脳やクラブオーナーたちの腐敗を白日の下に晒した。2月に起こったカターニアの暴動事件は、イタリアのスタジアムが安全面で大きく遅れていること、ウルトラスの暴力問題が解決していないことを明らかにした。つい先日のCL準々決勝ローマ対マンUでは、マンUのサポーターが6人もナイフで襲われて怪我をしている(犯人は捕まっていない)。そればかりか、観客席を警備する警官隊が、子供じみた挑発に乗ってマンUサポに警棒で襲いかかり、数十人の負傷者を出す事件まで起こしている。
ピッチ上で戦う選手や監督は一流だが、サッカー界の上層部もスタジアムもサポーターもおまわりも二流。全部トータルで見れば、サッカー大国として信頼と尊敬に値するとは言い切れない。残念ながらこれが、今回の落選劇が突きつけたカルチョの世界の現実である。
救いがあるとすれば、これら一連のネガティブな側面が、この1年ほどの間に一気に表面化したおかげで、それを直視して改革に取り組まざるを得なくなっているところか。イタリアではよく、逆境に追い込まれて初めて本来の力を見せるのがイタリア人、と言う。ワールドカップでのアズーリの戦いぶりなどは、確かにその典型だった。カルチョの世界全体もまたそうであることを、心から祈りたいものである。□
(2007年4月13日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」)