セリエAもウィンターブレイクに入ったので、その間は冬休み読み物特集:-)として、もう引退してしまった選手たちについてのテキストをアップして行こうと思います。第一弾はガットゥーゾ。最終的にCL優勝を勝ち取ることになる02-03シーズン秋のインタビューです。これがきっかけになって、この後足かけ6年間、『ワールドサッカーダイジェスト』の連載コラム「闘犬の処世訓」を一緒にやることになったのでした。
綺羅星のごときスターたちが華麗なパスワークを展開するACミランの中盤でただひとり、ユニフォームを汗まみれにしてひたすら走り回っている泥臭い男がいる。背番号8、イヴァン・ジェンナーロ・ガットゥーゾ。
“リーノ”という愛称は「小さいジェンナーロ」を表す“ジェンナリーノ”の短縮形だ。その可愛らしい呼び名とは裏腹に、一旦ピッチに立つと、誰もがもう勘弁してくれと言いたくなるほどの執拗さで敵を追い、剥ぎ取るようにボールを奪う。そんな猛犬さながらの激しいプレーを見せるこの男を、人は“リンギオ”(うなり声)と呼ぶ。
果たして、その素顔やいかに?
——まだ24歳だというのに、あなたのここまでのキャリアは波乱万丈ですよね。13歳の時にペルージャにスカウトされ、単身親元を離れて5年間の寄宿生活。トップチームに抜擢されてセリエAにデビューしたと思ったら、18歳の時にグラスゴー・レンジャーズとプロ契約を交わして、スコットランドに渡りました。すごく勇気のいる決断だったと思いますが。
「間違いなくあれが、サッカーを始めてから一番難しい決断だったね。ガウッチ家(ペルージャのオーナー)は俺に13歳から18歳までの間、ペルージャという一流のチームでプレーする機会を与え、セリエAにデビューするところまで育ててくれた。それにはすごく感謝している。でも、18歳になってもプロ契約をしてもらえないままだったところに、スコットランドからちゃんとしたオファーが来た。このチャンスを逃すことはできなかったんだよ。いずれにしても18歳でイギリスに渡るという決断を下すのは辛かったよ。金銭的な条件はさておき…」
——英語はしゃべれたんですか?
「全然。問題はそれだよ。でも、ペルージャで5年もひとりで暮らしてきていたし、新しい環境に馴染めないんじゃないか、という不安はもうほとんどなかった。言葉なんてものは行けば何とかなると考えることにしたんだよ」
——基本的に冒険心が強いんですね。
「いや、そういうわけじゃない。レンジャーズのオファーは、金銭的にもすごく条件が良かった(年俸約3000万円の4年契約)から、正直いってそれで行く気になった部分も大きかった。金に釣られたんだよ」
——最初はいろんな困難に直面したと思いますが…。
「困難といっても、まあ18歳のガキが直面する程度のものだよ。一番の問題はやっぱり言葉だった。最初の何ヶ月かは、ほとんど住んでいるホテルから外に出なかった。レストランに食事に行っても何を頼めばいいかわからないから、毎日ホテルの食堂でスパゲッティばかり食べてたよ。“スパゲッティ”だけはイギリスでもそのまま通じたからね。チームメイトと出かけることもあまりなかった。一緒にいても、連中が何を話しているか全然わからないし、向こうもこっちの言葉が理解できないし…」
——にもかかわらず、数ヶ月後にはもうアイブロックス・パーク(レンジャーズのホーム・スタジアム)のアイドルになっていた。
「それは、俺のプレースタイルがやつらの好みに合っていたからだと思う。まったく無名の18歳のガキが——あっちじゃ俺のことなんて誰も知らなかったからね——闘争心むき出しでがんがんプレーしている。それを見てみんな俺のことを好きになったんだ。この性格が大きな助けになったってことだね」
——その激しい闘争心は、生まれつき持っていたものですか?
「ああ。これは親父のDNAから受け継いだものだと思う。俺達はすごく性格が似ているんだ。親父も昔から、たとえ居心地が悪くなっても、思ったことは何でも口にする芯の強さを持っていた。実は親父も元サッカー選手で、セリエCでプレーしていたことがあるんだ。フォワードだったから、俺とはポジションは全然違うんだけど、その当時のビデオを見ても、俺達には共通するところがすごく多い。スピリットが同じなんだ」
——グラスゴーでの1年目は7ゴール決めてますよね。
「リーグ戦で4点、欧州カップで3点取ったよ。まあ、今とは役割が全然違っていたからな」
——どんな風に?
「中盤は中盤なんだけど、好きなように攻め上がっても誰にも文句は言われないんだ。でもイタリアじゃそうは行かない。俺みたいなインコントリスタ(ボール奪取専業の守備的MF)に要求される仕事は、とにかく1個でも多くのボールを相手から奪う、それだけだからね。攻撃のことはすっぱり忘れて、守備だけを考えていなければならないんだ。ハードだよ。見下すつもりは全くないけれど、それと比べたらスコットランド・リーグはずっとイージーだったね。これは間違いない」
——当時と今を比べると、プレースタイルがだいぶ変わった印象も受けるんですが。昔は守備専業じゃなかったですよね。
「グラスゴーだけじゃなくその前、ペルージャのユース時代も、けっこうよくゴールを決めてたよ。でも今の役割はその頃とは全然違う。実際、ハーフウェイラインを越えることなんて滅多にないからね。まあ、実質的には5人目のディフェンダーってわけだ。でもそれはそれで全然問題ない。そういう仕事を求められてるんだから」
——自分のプレースタイルを言葉で表現すると?
「すごくアグレッシヴだけど、決してダーティなプレーはしない、激しくてフェアなインコントリスタ。実際、相手に怪我をさせるようなタックルは一度もしたことがない。これは誇りに思っているよ。ハードなプレーはするけれど、戦いの相手に対する敬意は決して欠かないことがモットーだからね」
——アグレッシヴでフェア。
「そう。相手に対してはね。審判に対してはちょっと文句が過ぎるかもしれない(笑)」
——目の前の相手がすごく嫌な野郎の時にはどうするんですか?
「運動量と当たりでとことん圧倒してやろうと思うね」
——大概はその通りになるでしょう?
「まあね。日々の暮らしでもそうだけど、ピッチの上でもやけに感じの悪い野郎に当たることはあるし、それは避けようと思っても避けられない。そういうときは、とにかく相手が嫌になってもまだしつこく追い回してぶち当たってやるよ」
——こっそりつついたり蹴ったりはしないんだ?
「それは絶対にやらない。何の役にも立たないし、そもそも最近はビデオでチェックされて後から4試合、5試合の出場停止を食らうから、むしろやらないよう肝に銘じておかないと、チームに迷惑をかけるだろ」
——ピッチに足を踏み入れる前にどんな準備をしますか?
「俺は闘争心でプレーする選手だからね。ピッチに入る前は自分と外界をつなぐバルブを全部閉じる。自分の中に閉じこもって、アドレナリンを一杯にため込むんだ。試合前のロッカールームではいつも黙って集中力を高めてる」
——自分に何か言い聞かせていることは?
「『リーノ、期待を裏切るな』。俺は、プロとしてピッチに立つことは、俺たちを待ってるサポーターの期待と声援に報いること、できるなら何かしらの感動を与えることだと思っている。もちろん俺が与えることが出来る感動は、ゴールを決めるフォワードが与えるそれとは違う。俺にはゴールの感動は与えることはできない。でも俺には俺にしか与えることができない感動がある。少なくとも俺はそれを知っているし、それを与えることが仕事のひとつだとも思っている」
——誰よりも多く走り、しつこく敵を追い回し、最後の最後まで力を振り絞ってプレーする。そのエネルギーはどこから出てくるんでしょう?
「たぶん、13歳でサッカーのために自分の生まれ故郷を離れることを強いられて、すべてを賭けてこのチャンスを生かそうと戦ってきた、そういう経験があるからだと思う。南には子供がプレーするサッカー場さえ満足にないし、プロのクラブも育成部門には投資しようとしないから、いい選手が育つ環境がない。だから本当に可能性のある子供は、中部や北部のクラブに拾われて行くしかないんだ。地元に残っていても未来が開けるわけじゃないんだよ。でも、子供のうちから親元を離れて生活して、みんながみんな俺みたいにうまく行くわけじゃない。北の子供にとってよりも南の子供にとっての方が、プロへの道はずっと険しいんだ。それと戦って生き残ってきた経験が、俺のプレースタイルにも反映しているんじゃないかと思うよ」
——最近、その生まれ故郷のサッカークラブを私費を投じて再建したそうですね。名前がリーノ・ガットゥーゾ・スキアヴォネア。そういう南の厳しい現状に一石を投じようということですか?
「ああ。スキアヴォネアというのは俺が生まれ育った町の名前で、俺が初めてプレーしたチームだった。でも、その後いろいろあってつぶれてしまったんだ。まあ、俺もたくさん給料をもらっているから、国にたくさん税金を払わなきゃならない。親父や幼なじみの友達と話しているうちに、払っても消えてしまう税金を払うくらいなら、その金で故郷にチームを作って、ストリートの子供たちにサッカーを楽しむ環境を与えた方がずっといい、あのクラブを甦らせようということになったんだ。そしたらみんなが、俺の名前をクラブにつけてくれた」
——どのカテゴリーで戦っているんですか?
「大人のチームはセコンダ・カテゴリア(10部リーグ)でやってる。昼間働いている地元の若いやつらが、仕事の後に集まって楽しむためのチームだからね。むしろユースセクションの方に力を入れていくつもりだよ。これから充実させて行って、プロの世界に巣立って行く選手が出るようになればと思ってるんだ」
——第二のガットゥーゾを育てよう、と。
「まあそういうことかな。でもそれよりもっと大事なのは、子供たちを悪の道への誘惑から引き離すこと。カラーブリアの片田舎の人口5万人の町だよ。知っての通り、南では子供たちがやばい世界に足を踏み込むのは、本当に簡単なんだ」
——今でも故郷とのつながりが強いんですね。
「ものすごくね。生まれ育った町だし、家族は今でもみんなあっちにいる。俺はたった13歳で、サッカー選手になるために故郷を去らなければならなかった。最初はペルージャ、その後はグラスゴー。今はこうやってミラノにいるわけだけど、時間が経つほどに、自分が生まれた土地へのノスタルジーが強くなって来てるんだ。俺はいま24歳で、サッカー選手としてのキャリアを終えても、あそこに帰って暮らすことはないと思うけど、故郷のために何かができるというのは素晴らしいことだからね」
——サッカーに話を戻しましょう。イタリアサッカーは守備的だとよく言われますが。
「忘れちゃ困るのは、例えばスペインやイングランドは、イタリアと比べるとボールを持った時のスペースと時間にずっと余裕があるってことだよ。ボールを持ったディフェンダーに2人も3人も襲いかかることはまずないし、トップ下でだってボールを受けた後にひと呼吸置く余裕がある。イタリアじゃそうはいかない。フィジカルの要素がすごく強いからね。ボールを持ったらあっという間に囲まれる。90分間ずっと走り回り、がんがん当たってボールを奪い続ける、金槌みたいな選手がたくさんいる」
——あなたみたいにね。
「ああ。でも俺だけじゃなくてそういう選手はたくさんいるだろ。これだけプレッシャーがきついサッカーをしている国は他にないよ」
——中盤の真ん中でそうやってアグレッシヴにがんがんプレーしていると、どうしてもある種のレッテルを貼られがちですよね。“リンギオ”とか呼ばれちゃうし。腹が立ったりしませんか?
「いや全然。サッカーの世界には、俺たちみたいなタイプもいれば、テクニックが売り物のプレーヤーがいる。強いチームを作るためには、どっちのタイプも必要だし欠かせない」
——最近のその長髪とヒゲは、あなたのワイルドなイメージをますます助長しているような気がするんですが。もしかしてわざとやってたりします?
「別に怖そうに見せたくてやってるわけじゃないよ。ついこの間までは髪も短かったし。今はたまたま伸ばしたいから伸ばしているだけで、飽きたらまた切るさ。別にスタイリストがついてるわけじゃないからね」
——チームのために犠牲になってプレーしているという感覚はないですか?
「犠牲なんかじゃないよ。これが俺の仕事なんだ。監督が俺に求めているのは走り回ってボールを奪い、相手の攻撃を食い止めることだし、俺はそれに優れているからこそ、ここまでの選手になった。そのために毎日練習に励んでいるんだ。
俺は、プロとしてサッカーを続けられるというのは、すごい特権だといつも思ってるんだ。犠牲を払うというのは、毎朝5時に起きて炭鉱に降りて行く人たちや、10万円の給料をもらうために1日12時間も働いている人たちに当てはまる言葉であって、俺なんかにあてはまる言葉じゃない」
——今シーズンのミランは、イタリア代表とは全然違うタイプのサッカーをやっていますが、どっちでプレーするのがより楽しいですか?
「もちろんミランだよ。でもそれはミランの方が攻撃的なサッカーをしているからとか、そういう理由じゃない。俺たちは夏のヴァカンスが明けてからずっと一緒にいて、ひとつのチームを作り上げてきた。今では周りが考えていることが手に取るようにわかるし、あうんの呼吸でプレーできる。でも代表は3ヶ月に1回集まって、たった1週間足らずの準備で戦わなきゃならない。しかも、昔と違って毎回のようにメンバーが入れ替わる。そういう環境でいいプレーをするのは難しい。本当に難しいんだ。
まあでも、ミランでも代表でも、俺の仕事は変わらない。俺にはトッティやルイ・コスタの代わりは務まらないけれど、彼らにだって俺の代わりは絶対に務まらない。ガットゥーゾにはガットゥーゾの仕事がある。俺が相手から10回ボールを奪うことは、1ゴール決めるのと同じかそれ以上の価値があるんだよ。だから俺は誰に何を言われようと、自分のプレーに誇りを持っているんだ」□
(2002年11月8日/初出:『Number PLUS』)