ミラノダービーを前に電撃的な監督交代に踏み切ったインテル。新指揮官は、04-05から07-08まで4シーズンに渡って指揮を執り、「勝てないインテル」の時代に終止符を打ったロベルト・マンチーニです。今回は、そのマンチーニにとって最後となった07-08シーズン、3月のCL準々決勝でリヴァプールに敗退した直後の「辞任宣言」事件、そしてシーズン終了後に(辞任ではなく)解任されるに至った顛末をたどってみましょう。
マンチーニ監督とは、ラツィオ時代の02-03からこの07-08まで、足かけ6年に渡って某WSD誌で「ロベルト・マンチーニのカルチョ実況検分」という連載企画をやっていました。今回は何かできるかな。
08年3月:マンチーニ辞任発言の裏側
「最後にひとつだけ。まだ契約は4年残っているが、私がインテルの、そしてイタリアのチームの指揮を取るのはこれからの2ヶ月半が最後ということになるだろう。選手たちにはすでに伝えたことなので、今ここで話しても何の問題もない。いずれにせよどこかから漏れることだろうから。この2ヶ月半はインテルにとって最も重要な時になる。カンピオナートとコッパ・イタリアを勝ち取らなければならないから。今日の敗北が決断の理由ではない。もし勝っていても気持ちは変わらなかっただろう。これが私の気持ちだ。以上」
インテルのロベルト・マンチーニ監督は、これだけ言い終わると、質問も受け付けずに席を立った。3月11日のCL決勝T1回戦第2レグでリヴァプールに敗退した直後の記者会見でのことだ。
時計はもうとっくに23時を回っている。新聞各紙は校了ぎりぎりという時間帯である。おまけに直前まで受けていたTV局とのインタビューでは、そんな気配はおくびにも出さなかった。サン・シーロのプレスルームがパニックに陥ったことは想像に難くない。もちろん、試合後のロッカールームで突然それを切り出されたチーム、そしてクラブ首脳陣も同様である。
当然ながら、翌日からのマスコミは、リヴァプール戦の敗北そっちのけでマンチーニ去就問題一色になった。そして、マンチーニの「爆弾発言」の狙いは、まさにそこにあったように見える。
このリヴァプール戦の敗北によって、インテルは4シーズン続けて、CL決勝トーナメントで最初にぶつかった難敵の前にあっけなく敗れ去ったことになる。ここからが勝負、というところで、まったく説得力を欠いた戦いしか見せることができず、本来の力の半分も出せずに敗退するというのが、すっかりお決まりのパターンになった。
そしてこれまでの3シーズンは、敗退と同時にその責任者であるマンチーニに批判の雨が降り注ぐのが通例だった。選手起用や交代などの采配ミス、一部選手との不和、統率力不足、重要な試合でチームの力を引き出せないパーソナリティの弱さ……。「マンチーニでは永遠にCLには勝てない」というのが、マスコミ内の反マンチーニ勢力がたどり着くいつもの落とし所である。
問題は、そうしたマスコミレベルでの議論にモラッティ会長を初めとするクラブ首脳が過剰なまでに振り回されることだ。マスコミに叩かれると途端に不安になって、水面下であれこれと動き出す。しかもそれがまたどこかから漏れて、事態はどんどんひとり歩きして行く、というのが典型的な展開である。
その典型が2年前の05-06シーズンに起こった出来事。CL準々決勝でヴィジャレアルに敗れ、スクデットもユヴェントスに奪われて無冠に終わった後、モラッティは当時ユヴェントスを率いていたファビオ・カペッロに接触し、翌シーズンからの監督就任の内諾を取り付けた。それが実現しなかったのは、カルチョスキャンダルが勃発して、とてもカペッロを起用できるような空気ではなくなったからに過ぎない。
もしマンチーニの「爆弾発言」がなければ、今回も事態は似たような流れを辿った可能性は高い。それは、モラッティが試合の数日前、マスコミの誘導尋問に乗せられて、2年前にカペッロと接触したことを認めたばかりか、「モウリーニョ?とても高く評価している。遠い将来インテルの監督に招聘できれば素晴らしい」と思わず口を滑らせたことからも明らかだ。
しかし、この「爆弾発言」によって、マンチーニは逆に自らの立場をめぐる主導権を手に入れることになった。今度はモラッティが「マンチーニを解任するのか、それとも引き留めるのか」というマスコミの問いに攻め立てられることになったからである。
果たして試合の翌日、マンチーニを自分のオフィスに呼び、膝を詰めて話し合ったモラッティは、こうコメントすることになった。
「マンチーニとじっくり話し合った。彼は来シーズンはもちろん、契約を満了するまでインテルで指揮を執りたい、そして来シーズンこそチャンピオンズリーグ優勝を目指したいと言ってくれた。あの発言は、敗戦の失望に動かされた誤った振る舞いだった。しかし彼はチームと話し合って状況を立て直し、シーズンを成功裡に終わらせなければならない」
マンチーニが、明らかに不適当な場所とタイミングで辞任を口走り、クラブとチームの中に緊張を持ち込んだことは事実であり、そのやり口はほとんどルール違反と言ってもいい。だが、敗戦の失望に突き動かされたとはいえ、あえてそこまでのリスクを冒してマスコミやクラブ首脳陣に揺さぶりをかけた背景には、インテル内部での立場や権限を巡る様々な綱引きが存在しているように見える。
2週間前の本誌連載『新・カルチョの小窓』(拙訳)で、ドミニク・アントニョーニが「マンチーニはマスコミに何を書かれようが気にかけない」と書いている。これは一面の事実だが、同時にマンチーニは、マスコミの好意的とは言えない論調が結果的にもたらす実害については非常に敏感である。
その実害というのは、すでに前回見た通り、インテルの首脳陣がマスコミの論調に過剰なまでに振り回され、動揺することによって、マンチーニの監督としての立場や権限が脅かされるということ。
インテルの監督に就任してから現在までの足かけ4年間、マンチーニは、チームを思い通りに動かせる権力と権限を手に入れるために、クラブ内部での権力闘争にかなりのエネルギーを割くことを強いられてきたように見える。
実際、極度に移り気であるにもかかわらず決断力が決定的に欠如しているという、厄介極まりない性格の持ち主であるモラッティ会長は、2年前のカペッロ招聘事件が示す通り、マンチーニを全面的に信頼しているようには見えない。そしてモラッティが盲目的に信頼している側近の中には、エルネスト・パオリッロ(ゼネラルディレクター)、マルコ・ブランカ(テクニカルディレクター)、パオロ・コンビ(チームドクター)など、マンチーニと不仲に近い関係にある幹部が少なくない。聞くところによれば、マスコミがマンチーニにとってネガティブな記事を書く時の情報源は、しばしば彼らであるらしい。
監督としてのマンチーニは、自らの意向を汲み取って動いたり、構想の実現を助けてくれるどころか、それを妨げたり歪めたりしかねないクラブ内部の環境と、直接、間接にその片棒を担いでいる一部のマスコミに、苛立ちを隠せないようだ。
だが、「監督はクラブが用意したチームを勝たせるのが仕事」というカルチャーが当然のごとく浸透しているイタリアでは、監督がこういう環境に置かれるのは珍しいことではない。ミランのアンチェロッティだって、ガッリアーニとの関係は(表向きの良好さとは裏腹に)マンチーニとモラッティのそれと似たようなものだという話を耳にしたことがある。
問題は、マンチーニは、すべてを黙って飲み込みつつしっかり結果を出す懐の深さを持ったアンチェロッティとは違って、すべてが自分の思い通りにならないという状況を我慢できず、公然と駄々をこねがちなところにある。これもドミニク・アントニョーニが書いていたことだが、マンチーニは常に「特別な存在」であり続けてきた。おそらくそれゆえに、周囲が自分を特別扱いすることを当然と考え、またそれを要求するようなところがあるのだ。
今回の突然の辞任発言も、間違いなく飛び出してモラッティを動揺させるであろう「マンチーニではCLに勝てない」という論調の先手を打って、モラッティに自分を支持するのかどうか(=特別扱いして権限を与えてくれるのかどうか)の意思表示を迫ったという側面が強いように見える。
実際マンチーニは、リヴァプール戦の2日後に、サンプ時代の盟友ジャンルカ・ヴィアッリ(とパオロ・ロッシ)がホストを務める番組にゲスト出演して、こう語っている。
「監督というのは、ある程度時間が経ったら、トップから以前と同じように信頼されているかどうか、ちゃんと確かめたいという気持ちを持つものだ」
マンチーニにごく近く、いわばスポークスマン的な役割を買って出ることもあるベテランジャーナリスト(ほぼ日のあの人です)は、来季以降の続投を確認する形で決着した、リヴァプール戦翌日の話し合いで、マンチーニは監督としてより大きな権限を持つことをモラッティに認めさせた——と伝えている。フィーゴ、ヴィエイラなど不満分子の放出、補強に関する発言権の強化(ブランカの発言権の低減)、メディカルスタッフの権限の制限などがその内容だという。
果たしてこれが本当かどうかは、もちろんシーズンが終わってみないことにはわからない。今わかっているのは、今シーズンのスクデット獲得がすべての前提だということだけだ。もしスクデットまで落としたら、さしものマンチーニも特別扱いを要求する資格を失うことは確かである。□
(2008年3月15日・21日/初出:『footballista』)
08年6月:打ちのめされた男
6月5日付『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙の1面トップには、ロベルト・マンチーニ(インテル前監督)がジョギングをしている姿が、こんな見出しとともに大写しになっていた。「マンチーニは打ちのめされている」。
インテルがマンチーニを解任したのは、シーズン最後の試合となったコッパ・イタリア決勝(2-1でローマが優勝)からわずか3日後のことだった。5月27日の夕方、「今後について話し合うため」ミラノで行われたマッシモ・モラッティ会長との会談は、会長の口から発された解任通告によって、わずか20分足らずで終わった。マスコミの伝えるところによれば、「残念ですが、あなたを解任しなければなりません」というモラッティの言葉に対し、苛立ちを隠せないマンチーニは「『しなければならない』じゃなく『したい』じゃないんですか?」と返し、ほどなくして席を立ったという。
この解任劇の発端が、3月12日、CLでリヴァプールに敗退を喫した直後にマンチーニが突然口にした「私がインテルの指揮を執るのは今シーズン限り」という発言だったことは明らかだ。マンチーニは翌日すぐに発言を撤回して謝罪したが、この発言をきっかけに監督とクラブ、監督とチームの信頼関係にひびが入り、それが終盤戦の苦戦につながったというのは、衆目の一致するところである。
にもかかわずマンチーニ自身は、来シーズンも続投できるものと確信していたという。冒頭で取り上げた『ガゼッタ』紙の見出しに続く記事は、マンチーニ自身ではなく、インテルの中でマンチーニと最も密接な関係にあったチームマネジャー兼移籍担当コンサルタントのガブリエレ・オリアーリ(82年W杯の優勝メンバーでもある)へのインタビューである。オリアーリはこう語っている。
「ロベルトは打ちのめされている。インテルに残れることを確信していたから。彼のような偉大な監督にとって、ああいう形での解任を受け入れるのは簡単ではない」。
ジョギング中の写真は、オリアーリがモンテカルロでヴァカンス中のマンチーニを訪ねた時に2人が一緒に走ったのを、パパラッツィがスクープしたものだ。不思議なのは、解任後にもかかわらず、マンチーニがインテルの練習着を着てモナコの海岸通りを走っていること。明らかに人目に付く場所であえてそうしているのは、インテルへの愛着や未練を表現しているのか、それともあと4年残っている契約の解除を求めるインテルに対して、その気がないことを示す意思表示なのか。
マンチーニの確信とは裏腹に、インテルの方ではかなり早い時期から解任の意思を固めていたようだ。モラッティ会長以下、インテルの首脳陣がマンチーニに対してどのような感情を抱いていたかは、解任通告の2日後、5月29日に発表されたニュースリリースに、露骨といっていいほどはっきりと表現されている。
「FCインテルナツィオナーレは、ロベルト・マンチーニ氏にトップチーム監督の職を解くことを通告しました。2008年3月11日のインテル対リヴァプール戦についての発言とその後の影響、そして最近の一連の事件報道がその理由です」
これで全部である。通常、監督解任のニュースリリースには、形式的な表現とはいえ、これまでの仕事に対する感謝の言葉が含まれているものだが、それすら一切見当たらない。大人げないほどに冷淡な文面だ。
ここから伝わってくるのは、マンチーニがインテルの内部に、いかに多くの敵を作ってきたかということだ。パオリッロ(ゼネラルディレクター)、ブランカ(テクニカルディレクター)、コンビ(チームドクター)など、モラッティが盲目的に信頼している側近との対立は、以前からしばしば伝えられていた。日頃からマンチーニの存在を苦々しく思っていた彼ら幹部(おそらくモラッティ会長自身も含む)が、モウリーニョという格好の後継者を招聘できるメドが立つや否や、これまでの意趣返しとばかりにマンチーニを切り捨てた——。今回の解任劇から浮かび上がってくるのは、そんな構図である。
いずれにせよインテルにとって、マンチーニがこの4年間築いてきたチームをリセットし、モウリーニョの下でゼロからスタートを切るというのが、大きなギャンブルであることは間違いない。マンチーニがクラブの幹部たちと対立したのは、チーム強化上自らが必要とする権限を手に入れるためだった。モウリーニョが遅かれ早かれ同じ状況に陥る可能性は、決して小さくない。監督を替えてもインテルが変わらなければ、行き着くところはいつも同じではないかという気がするのだが。□
(2008年6月6日/初出:『footballista』)
追記:この翌シーズン、モウリーニョを迎えたインテルがどんな風に変わったかについては、拙著『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)に詳しくまとめてあります。ご興味のある方はぜひご一読を:-)