――今シーズンのプレーは、ここ数年でベストといっていいと思います。

「うん」

――その秘密はどこにあるのでしょう?

「秘密なんてないよ。コンディションがいいシーズンもあれば、良くないシーズンもある。それだけのことだよ。でも今年の場合、しっかりトレーニングできる環境があるのは大きいかな。代表でプレーしている時には難しかったけど、代表を引退してからは、じっくり調整してコンディションを維持する時間があるからね。

それに、今年のミランがいいサッカーをしていることも、大きな助けになっていると思う」

――ということは、フィジカル的な要素に負う部分が大きいということですか?

「うーん。そうだね。確かにフィジカル的な要素は大きいよ。でも、昨シーズンはちょっと特殊な事情もあったんだ。大きな故障をして5ヶ月も戦列を離れていたし、その後たった2試合だけプレーして、十分な準備もできないままワールドカップに臨まなければならなかった。30歳を過ぎると、きちんとトレーニングしてコンディションを保つことがより重要になってくるんだ。20歳の頃よりもね。

だから、フィジカル・コンディションの面からいうと、昨シーズンは特殊な1年だった。その前の年は調子もよかったし、いいプレーができたからね」

――ネスタとは最初から呼吸がぴったり合っていましたが。

「そうだね。彼はミランに来たばかりだけど、代表ではたくさんの試合で一緒にプレーしていたからね。なかなか呼吸が合わないとか、そういう問題は起こりえなかった。ぼくは彼のプレースタイルを知っているし、それは向こうも同じ。いいコンビだと思うよ」

――ええ、それは間違いない。ところで、今シーズンは早くも2ゴール決めてますよね。ここ7年間なかった出来事ですが。

「(笑)。うん。でもそれは単なる偶然だよ。この偶然が続いてくれればいいとは思うけど。ゴールを決めるのは大好きだからね。でも、センターバックをやっていると、ゴールに絡むのはすごく難しい。前線に上がって行くのはセットプレーの時だけだからね。でも、ピルロやルイ・コスタやリヴァウドのように、プレースキックがうまい選手がたくさんいると、こっちもゴールを決めやすい。それは確かだよ。」

――でも、センターバックでプレーしていて、自分も攻め上がりたいという気持ちが湧いてくることはないですか?

「時々ね。ぼくが一番好きなのは攻めることだし、そういう気持ちはいつも心の中にあるから。

でも、今の自分は、センターバックとして後ろでプレーする方がずっと高いパフォーマンスを発揮できるということも、よくわかっているよ。疲労の少ないポジションだからね。だから攻撃に上がるのはセットプレーの時だけ。少なくとも監督からはそう言われているんだ」

――ミランの話をしましょう。今年のミランは、以前と比べて非常に攻撃的ですよね。

「うん」

――この変化がどんなふうに生まれたのか、教えてくれませんか?

「今年のチームには、テクニカルな選手がすごく多くて、インコントリスタ(守備的MF)が少ない。そういうチームをもらった監督が、いい選手をひとりでも多くプレーさせようと考えた結果、システムを変えざるを得なかったということかな。

夏のキャンプでいくつもの解決策をテストしたけれど、最初はなかなかうまく行かなかった。テクニカルな選手を多く、運動量で勝負する選手を少なく起用するいまのシステムを見出すまではね。それで結果が出たから、その後もこのシステムでプレーしているということだよ」

――実際、リヴァウド、ルイ・コスタ、セードルフ、ピルロと、テクニカルな選手が多いですが、最初から、彼らを同時に起用できると思っていましたか?

「(ため息)。最初は、難しいかもしれないと思った。最後にしわ寄せが来るのはディフェンスだしね。でも、ネスタを獲得して、シミッチがうまくあのポジションに馴染んで、カラーゼも伸びたことで、ディフェンスが大きなリスクを負うことなく、攻撃的な中盤と前線を支えることができるようになったんだ。

監督は高いレベルで攻守のバランスを保つことをを求めていたんだけれど、ディフェンダーの攻撃参加を抑える代わり、常にコンパクトな陣形を保つことで、それが可能になった。実際、ぼくたちは今リーグ最少失点だからね」

――このミランの鍵のひとつは、ピルロをレジスタ(下がり目のゲームメーカー)のポジヨンに置いたことにあると思います。このアイディアは、プレシーズンキャンプの最中に出てきたものですよね。

「うん。テクニカルでクオリティの高い選手たちにどうポジションを割り振るか、試行錯誤していた。その中で、ピルロはこれまでずっとトレクァルティスタ(トップ下)、「10番」だと見られてきたんだけれど、実はもっと別の適性、もしかしたら本人も気づいていなかった能力を持っていることがわかってきたんだ。アンティシペーションで敵のパスをカットする能力とか、ワンタッチプレーでボールを動かす能力とかね。

それを、ベルルスコーニ杯という重要な試合で、ユヴェントスのような強いチームを相手に試してみて、非常に上手く行った。それからこの新しいポジションが生まれたというわけ」

――ピルロ自身がこの新しいポジションをやりたいと申し出たというのは本当ですか?

「それはわからない。アンチェロッティは間違いなく知っているだろうけどね」

――さっきあなたが言ったように、こういうふうに攻撃的なサッカーをすると、ディフェンスには負担がかかりますよね。

「うん。より注意深くプレーする必要がある。ディフェンダーの攻撃参加は少ないんだけど、ぼくたち4人が、中盤のフィルターなしで敵の攻撃を受け止めなければならない状況は、しょっちゅう出てくるからね。

でも、このチームにとって大切なのは、ボールポゼッションを維持するということなんだ。レアル・マドリーなんかも同じような考え方でプレーして、素晴らしい結果を残している。こっちがボールポゼッションを保っていれば、敵が攻撃するのも難しくなるということだよ」

Q:あなたたちディフェンダーも、こういう攻撃的なサッカーを喜んで受け入れたんでしょうか?

「ぼくたちはひとつのチームだからね。そしてチームの目標は勝つことにある。このサッカーが勝利への正しい道だとすれば、ぼくたちももちろん大満足だよ」

――これだけ攻撃的なサッカーをしながら、ミランはここまで10失点しかしていません。この高い攻守のバランスの秘密はどこにあるのでしょう?

「まずは、チームが常にボールポゼッションを保ち、また保とうと務めることだね。そして、ディフェンスは常に4人が一体となって動くこと。

それに、これだけ質の高いプレーヤーを前に揃えていると、敵が攻撃的なサッカーで応戦してくることはそう多くないんだ。これまでそれをやったのは唯一、レアル・マドリーだけだったよ。普通は引いて受け身に回り、カウンターを狙ってくる。それだと、こっちもあまり心配しなくていい」

――キャプテンとして、いまのチームの雰囲気、空気をどう見ていますか?

「物事がうまく行って、チームも勝っている時には、何もかも素晴らしく思えるものだよ。練習も楽しくなるし、チームの雰囲気もよくなるし、ミラネッロももっと美しく見えてくるし(笑)。

今は、みんながこのプロジェクトに夢中になっている。なにしろ、チャンピオンズ・リーグのグループでも、カンピオナートでもトップに立って、しかも回りからすごく評価されるサッカーを見せているわけだから、2倍の喜びだよね。それが、チームにもその周囲にも、いい効果をもたらしていると思う」

――ここまですべてが上手く行くと思っていましたか?

「そんなことはないよ。最初はいろいろ不安もあった。プレシーズンマッチで厳しい批判を受けたこともよく憶えてるよ。レンジャーズ、リヴァプール、バイエルン、ユヴェントス、インテルと、きつい相手ばかりだったけどね。

まだプレシーズンだったし、チームもテストの段階だった。どんなシステムでどんなサッカーをするか、まだ固まっていなかった。でも、ぼくたちは最初からずっと、このプロジェクトを信じてやってきた。それが我々の強さだったと思う」

Q:いままでの経験からいって、今年は偉大なシーズンになり得ると思いますか?

「その前提条件はすべて整っていると思うよ。このチームはここまでずっと、安定した戦いを見せてきた。いくつかの試合を落としもしたけれど、だからといってぼくたちの確信はまったく揺るがなかった。

だから、ひとつひとつの試合でいいサッカーをして勝つという目標を、これからもずっと保ち続けて行けば、最後には大きな結果を手に入れることができると思うよ」

――11月に、ちょっとチームの調子が落ちましたよね。危機というほどではないけれど、パフォーマンスが下がったことは確かです。どうやってそれを乗り越えたのでしょう?

「このプロジェクトを信じ続けることによって、だよ。ぼくたちが忘れてはならないのは、このチームが7月1日にもうスタートを切っていたということ。チャンピオンズ・リーグの予備予選に備えなければならなかったからね。だから、プレシーズンの合宿もすごく長かった。

そもそも、トップレベルのコンディションを10~12ヶ月維持するなんてことは不可能なんだ。大事なのは、自然に逆らって無理をしないことだった。それができたから、チームの調子も戻ったんだと思う」

――ということは、一時期調子が落ちたのは、ある意味で自然なことだった。そしてそれをうまく乗り越えることができた。そういうことですか?

「もちろんそうだよ。誰にでも調子の波はあるんだから。確かに、結果が残せなかった試合もいくつかあった。

でも、ユヴェントス戦は本当にひどい出来だったけれど、それを除くと――、チャンピオンズ・リーグではもう勝ち抜けが決まっていたし、キエーヴォ戦は負けたけれど、互角に戦ったいい試合だったと思う」

◆ ◆ ◆

――じゃあ、話題をちょっと変えましょう。今年はセリエAでふたりの日本人がプレーしています。中田はこれがセリエA5シーズン目。もうひとりの中村は、今年が初めてのシーズンです。まず中田について。どんな印象を持っていますか?

「ふたりともいい選手だと思う。中田はもちろん中村よりもずっと経験を積んでいる。今とてもいいサッカーをしているパルマでプレーしているけれど、彼にとってあそこは理想的な環境だと思う。

中村については、ぼくは素晴らしい能力の持ち主だと思う。フィジカル的にも、もちろんテクニック的にも。すごく気に入っているよ。もちろん、レッジーナのようなチームでプレーするのは簡単じゃない。彼のようにテクニックのある選手にとってはね。でも、あまり攻撃に出る機会のないチームでプレーしているにもかかわらず、彼は素晴らしいプレーを見せていると思う」

――よく知っていますね。

「いや、彼の試合はいくつか見たからね。実は他のチームの試合も結構見てるんだよ。インテル戦や、他にも強いチームと当たった試合を見たよ。たぶんレッジーナで唯一、質の高いプレーをチームに提供できる選手だと思う。それに、フィジカル的にも優れているしね。プレーヤーとしてはすごく好みだよ」

――じゃあ、今シーズンの中田についてはどうでしょう?

「選手の評価は、チームの調子に左右される部分が大きいからね。パルマは、コッパ・イタリアでもUEFAカップでも敗退するなど、出足は今一つだったけれど、でも彼らもひとつのプロジェクトを進めている。そのプロジェクトは、中田という選手によく合っていると思う。

若くてダイナミックなチームだし、かなり攻撃的なサッカーを展開している。だから中田のキャラクターにはすごく良く合っているし、あのチームの中でさらに成長できるだろうと思う」

――ところで日本といえば、あなたは以前、一番好きな都市はニューヨーク、嫌いな都市は東京だと言っていましたが……。

「(笑)」

――それ、憶えてますか?

「いや全然。ニューヨークって言ったのは憶えてるけど、東京は憶えてないなあ」

――インターコンチネンタル・カップで負けたからという話でした。

「でも、勝ってもいるよ」

――はいはい。でも当時はそう言っていましたよ。今は考えが変わりました?

「そんなこと言ったなんて憶えてないけどなあ。でも、東京はカオティックな街だとは思うよ。渋滞がすごいしね。とはいえ、いままで計4回、4~5日づついただけで判断を下すことなんてできないよ。

ぼくたちの文化は日本のそれとかなり距離があるし、ライフスタイルにも大きな違いがある。それは確かだけどね。でも、ぼくは東京よりもずっとひどい都市をいくつも知っているよ」

――今回のワールドカップで、3週間以上日本で過ごしましたよね。この経験で、日本に対する印象は変わりましたか?

「日本に対して悪い印象は元々持ってないよ。ヨーロッパ人にとっては適応するのが難しい、異なる文化を持っていると思っているだけで。東京に限れば、確かに渋滞はひどいけれど、魅力的な街であることに変わりはないしね。だから、日本に対して悪い印象はないって。

今年合宿した仙台は、また全然違うところだったしね。要するに、どんな国にもいろんな場所があるということだよ」

――実は仙台はぼくの街なんです。

「そう?いいところだよね。緑が多いし、落ち着いていて」

◆ ◆ ◆

――話をミランに戻しましょう。今シーズンのミランは、メンバーも大きく変わりました。いわゆる「古参組」もバラバラになった。ロッシとアルベルティーニはもういないし、コスタクルタも契約を延長できないところだった。そのことについて、何を感じていますか?

「残念には思ったけれど、ぼくたちは現実を見つめなければならないから。ロッシはもう38歳だし、コスタクルタは36歳、ぼくも34歳。デメトリオ・アルベルティーニだけはもうちょっと若いけれど、でも、年をとるのは物理的なことだからね。

バレージ、タソッティ、コロンボ、エヴァーニ、グーリット、ファン・バステンが、年をとって引退して行ったように、ページをめくらなければならない日はいつか来るんだ。確かに今年は、長い間チームの核だったメンバーがバラバラになったけれど、それはそういう時期が来たというだけのことだと思うよ」

――これがあなたにとってミランでの19年目のシーズンです。セリエA出場試合も500に近づいている。

あなたはこれまでたくさんのミランを生きてきた。リードホルムのミランから始まって、サッキのミラン、無敵のミランMilan degli invincibili(カペッロ時代のミランをこう呼ぶ)、ザッケローニのミラン……。その中で一番愛着を感じるのはどのミランでしょう?

「うーん。今までの経験すべてに愛着があるからね。一番最初の、リードホルム監督のミランもそう。その後のチームのように結果は残さなかったけれど、いいサッカーをすることを目指していた。今のような大きな投資をする余裕はなかったし、最大限、UEFAカップ出場権を狙う程度のレベルにしかなかったけれど、ぼくが選手として育つ上ではすごく大切な経験だった。

もちろん、一番思い出に残るのは勝利の記憶だから、87年から96年まで、大きな成功を収めた10年間は、やはり素晴らしかったよ。その後は浮き沈みがあったけれど、浮き沈みがあるというのは当たり前のことだし、沈んでばかりで浮かぶこともないままキャリアを送る選手だって少なくないんだから、ぼくたちは幸運だったと思わなければならないよ。

確かなのは、このクラブはこれからもずっと、競争力のあるチームを作り上げようと努力し続けるということ。勝つこともあるし勝てないこともあるだろうけれど、それはずっと変わらないと思う」

――あなたは長い間、世界最高のサイドバックでした。でも今はセンターバックとしてプレーしている。少なくとももう攻撃的なサイドバックとしてはプレーしていない。自分としては、どちらのポジションが好きなんでしょう?

「人間というのは、あることが好きだったりより自分に合っていると思う時期もあれば、違うことをそうだと思う時期もある。今は、自分の能力を100%引き出すためには、センターバックとしてプレーするべき時期だと思っているよ。

サイドバックとしてもプレーを楽しんだし、そこから大きな満足を得てきたけれど、今、それと同じような喜びと満足を得るためには、センターバックとしてプレーする必要があると感じているんだ。だから、今はセンターバックとしてプレーする方が好きだね。でもサイドバックとしての経験も、もちろん素晴らしいものだったよ」

――じゃあ、もし選べるとしたら、今年のこのミランで、実はセンターバックじゃなくサイドバックとしてプレーしたいなんてことはないですか?

「いや、もうそんなことはないよ。34歳を迎えて、今の自分にとってベストの解決を、センターバックというポジションに見出したと思っているからね」

――いまのあなたは、誰にとっても模範、目標となる存在だと思います。あなたが若かった頃の目標は誰でしたか?

「うーん。ぼくは子供の頃はユヴェンティーノだったんだ。78年のアルゼンチン・ワールドカップを戦ったイタリア代表が大好きで、そのチームは大部分がユーヴェの選手だったから。ポジション的にいえば、やはり(アントニオ・)カブリーニだね。

まだ若手で、まさにあの大会でブレイクしたんだ。すごく攻撃的なサイドバックでね。その意味では彼がぼくの模範だったといえるかもしれない」

――実はいくつか、日本の視聴者からもらった質問があります。
サッカー選手にはジンクスをかつぐ人が多いですが、あなたには何かありますか?

「いいや。ぼくはそんなに縁起を担ぐほうじゃないよ。縁起を担いでも担がなくとも、勝ったり負けたりするのは一緒だからね。で、縁起を担ぐのを忘れても、同じように勝ったりして、それでただの迷信だったって気づくってわけ」

――じゃああなたは、勝敗を分けるのは運じゃないと思っていますか?

「運がいい時期というのもあるとは思うよ。でも、それは時期としてはほんの短い時間だと思う。最後のところでは、能力があって、しっかりトレーニングをしている者が、運のいい、悪いを超えたところで勝利を手にするものだよ」

――以前、引退しても監督になる気はないと言っていましたが、それは今でも変わりませんか?

「変わらないね」

――どうしてやりたくないんでしょう?

「仕事として好きじゃないんだ。試合に出たくてしょうがないたくさんの選手を率いて行くというのは、すごく難しいことだし、選手と違って、ピッチの上でそれを発散することもできないから、ストレスはたまるばかりだろうし、正直言って、将来やってみたい仕事じゃないね」

――でも、アンチェロッティを初めとして、昔のチームメイトがたくさん監督になっていますよね。ドナドーニ、グーリット、ライカールト、タソッティ。バレージも今ライセンスを取りに通っている。彼らを見ていてどう思いますか?

「みんな、若い選手たちに伝えるための、すごく豊かな経験を持っていると思うよ。キャリアの中で、有能な監督を何人も見てきた。特にリードホルム、サッキ、カペッロ。彼らの下で勝利と敗北を経験してきた。だから、あのチームからたくさんの監督が生まれているのは、ある意味で必然だと思うよ」

――監督にならないとすると、引退した後にはなにをしたいと思っていますか?

「まだわからないね。もちろん、ぼくの人生経験はほとんどすべてカルチョの世界で積み重ねてきたものだから、引退しても何らかの形でそれを生かしたいとは思っているよ。だから、クラブの役員なのか何なのか、どんな提案を受けるかにもよるし、その時になったら考えるよ」

――サッカー以外の分野で、あなたはブティックやレストランを経営しているそうですが、こちらに関して何かプランはありますか?

「今の時点では、ぼくの時間と労力の90%以上はサッカーに費やされているし、他のことを考える余裕はまだないんだ。実際に引退したら、その時に落ち着いてゆっくり考えて、本当に何をやりたいか決めるつもりだよ」

――最後の2問です。あなたが代表を引退してから、アズーリは不調です。代表復帰を求める声も少なくありません。復帰の可能性は全くないのでしょうか?

「馬鹿げているのは、今ぼくの代表復帰を求めているのが、その何ヶ月か前には代表を引退すべきだと言っていたのと同じ連中だということだよ。

ぼくは、一度決めたことは変えるべきじゃないと思うし、引退の決意自体、ワールドカップの出来が悪かったから決めたわけじゃなく、そのずっと前から決めていたことだからね。だから、復帰の可能性はもうまったくないよ。代表ではもう15年もプレーしたんだし」

――代表では誰があなたの後継者だと思いますか?

「代表のディフェンスには、強力な選手が残っているよ。ネスタとカンナヴァーロは、しっかりした個性を備えているし、彼らがイタリア代表の伝統を引き継いで行く選手だと思う」

――まだ代表でプレーしていない若手の中に、あなたが高く評価しているディフェンダーはいますか?

「この何年か、イタリアだけじゃなく世界全体でも、優秀なディフェンダーはそれほど多くない。その中で、カンナヴァーロとネスタ、大黒柱をふたりも抱えているというのは、それだけで大したものだと思うよ。これからの若手も、彼らのレベルを目指して努力しないとね」

――まだふたりのレベルに達している選手はいない、と。まあそれは当然ですが、その可能性を持った若手もいませんか?

「わからないな。現時点では正直いって、誰も思い浮かばないね」

――じゃあ最後に、日本のファンに向けてなにかメッセージを。

「どんなメッセージがいい?(笑)日本のファンのみなさん、ごきげんよう。ぼくが東京を嫌いだというのは嘘です(笑)。そんなことは言ってませんからね。じゃあ、またお会いしましょう。チャオ」

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。