2月24日、フィレンツェで行われたフィオレンティーナ対ブレシアは、今シーズンここまで無得点だったロベルト・バッジョ(ブレシア)の2ゴールで、2-2の引き分けに終わった。フィレンツェを愛し、フィレンツェから愛されたバッジョが、アウェイのフィレンツェで復活ののろしを上げるという、嘘のように予定調和的なドラマ。

しかしその影では、そのフィレンツェを大混乱に陥れかねない騒動の種が撒かれようとしていた。いや、種はもう随分前に撒かれていたから、それが芽をふこうとしていた、と言った方がいいだろうか。

そもそもテリムは、チェッキ・ゴーリの片腕、ルチャーノ・ルーナ(12月にクラブの代表取締役を辞任)と、ゼネラル・ディレクターのジャンカルロ・アントニョーニが、渋る会長を押し切って招聘した監督。チェッキ・ゴーリははじめからこのトルコ人監督に好感情を抱いていなかった。

それを象徴するのが、開幕直後のUEFAカップで、明らかに格下の無名チーム(オーストリアのチロル・インスブルック)に1回戦敗退を喫したときに「トラパットーニならあんなチームには負けなかった」と口走ってテリムの不興を買ったエピソード。

しかし、序盤戦の試行錯誤を終えたテリムが、内容・結果ともに文句のつけようのないサッカーを展開し始めたこともあり、まったく手が出せないどころか、逆に自らの影が薄くなるばかりの状態だった。

わずか40日前の1月14日、4-0というスコアでミランを一蹴し、ラツィオと並んで首位ローマと9ポイント差の3位に躍進したフィオレンティーナは、イタリアで最もダイナミックでスペクタクルなサッカーを見せるチームだった(そのサッカーの詳細な分析は、3/1発売の某WSD誌の連載「カルチョ解体新書」にてどうぞ)。

しかし、その翌週、来シーズンに向けた契約延長の交渉が不調に終わり、テリム監督が今シーズン限りでフィレンツェを去る可能性が濃厚になった時から、突然の急降下が始まる。

それからの6試合は3分3敗。降格ゾーンにいるチーム(ナポリ、レッジーナ)にまで不覚をとる始末で、わずか3ポイントしか上乗せできず、20節を終えた現時点では18チーム中10位。首位に21ポイント差をつけられ、降格ラインがあと7ポイントまで迫ってきた。

チェッキ・ゴーリのさらなる癪の種は、フィオレンティーナ・サポーター、というよりもフィレンツェが、プレシーズンの段階から、全面的なテリム支持を貫いてきたこと。それどころか、昨シーズン終了後、「ついに」バティストゥータを手放して以来、最もコアなサポーターが陣取るクルヴァ・フィエーゾレは、反チェッキ・ゴーリの旗色を明らかにし続けているのだ。その構図は、成績が急降下した現在も変わってはいない。

4-0で圧勝した1月14日のミラン戦を、たまたまぼくも観戦したのだが、試合中何度か、フィエーゾレから「♪もしテリムが(契約更新に)サインしなかったら、♪お前のケツをこんな風にしてやる」(Se non firma Terim, ti facciamo un culo cosi’!)というコールがチェッキ・ゴーリに投げつけられ、スタジアム中の爆笑と喝采を誘っていた。

引き分けに終わったブレシア戦終了後、スタンドで観戦していたヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ会長は、チームの不甲斐ない戦いぶりに激昂して、会長といえども不可侵の“聖域”であるロッカールームに怒鳴り込み、ファティフ・テリム監督に詰め寄った。

どうしてレアンドロをもっと早く投入しなかったんだ、という、これも“禁じ手”の采配批判を振りかざしてなじる会長に、「皇帝」と呼ばれ、チームに対するクラブの介入を極端に嫌うテリムは当然のことながら強く抵抗。事態は掴み合い寸前の大口論にまで発展したと伝えられている。

これで完全に頭に血が上ったチェッキ・ゴーリは、当日深夜、アルノ川沿いの自宅にフィオレンティーナの役員を召集し、テリム解任の意向を明らかにする。積極的に賛成の意を表明したのは、1月に執行副会長に就任したばかりのマリオ・スコンチェルティ。一方、強硬に反対し、大勢が覆らないと見るや辞任を表明して席を蹴ったのが、ゼネラル・ディレクターのジャンカルロ・アントニョーニだった。

スコンチェルティは、今年1月までローマのスポーツ紙「コリエーレ・デッロ・スポルト」の編集長だった元敏腕ジャーナリスト。権力におもねないラディカルな編集方針と切れ味鋭い論評で業界では高い評価を受けていた(ぼくも彼の記事はいつも楽しみだった)。出身はもちろんフィレンツェで、当時からフィオレンティーナ・サポーターであることは知られていた。

テリム招聘の立役者のひとりであるルーナが12月に代表取締役を辞任し、その事実上の後任というべき執行副会長に、テリムとは何のつながりもないスコンチェルティが就任した時点で、首脳陣の中で唯一の「テリム派」となったアントニョーニ(選手としても役員としてもフィオレンティーナ一筋を貫き、サポーターからは今も無条件の愛情を注がれているかつての10番。82年W杯チャンピオンでもある)の立場は、監督のそれと同様、すでに微妙なものになっていた。

チェッキ・ゴーリとスコンチェルティは、テリムの後任として、12月までラツィオのアシスタント・コーチを務め、その後イングランドのレスターで現役に復帰していたロベルト・マンチーニを呼び寄せることを画策する。

しかし、その前に解決すべき問題があった。テリムとの間に交わした契約書には、クラブがシーズン途中で監督を解任した場合には、巨額の違約金を支払うという条項が入っていたのだ。財政的な余裕がほとんどないどころか、負債に苦しめられているフィオレンティーナには、違約金を支払う余裕はないに等しい。

翌25日を、駆けつけたスタッフやアントニョーニと共に、一日中自宅で過ごしたテリムは、週明けの26日、フィレンツェ市内のホテルに自らマスコミを召集して記者会見を開き、辞任を表明する。

この会見でのテリムのコメントは、大筋、以下のようなものだった。

「チームが好調だったときから、クラブにとって私はトラブルの種だった。彼らが望まないことを私が求めたからだ。だとすれば、今どんな状況になっているかは皆さんもすぐに想像できるだろう」

「今朝、新聞で、彼らはもう私を必要としていないが、解任すると違約金を払わなければならないので躊躇している、という記事を読んだ。それなら私が辞任すれば問題は解決する。その金で、私の愛するフィオレンティーナのために選手の1人も買ってくれることを望みたい」

「土曜日の出来事はだめ押しのようなものだった。会長と掴み合いになったわけではない。そのことはみんなが証言してくれるだろう。しかし、テリムにはどうしても曲げることのできないいくつかの原則がある。

皆さんなら、私が就任記者会見で『ロッカールームには誰も入ってきてはならない』と言ったのを覚えているだろう。私はどのクラブでも会長に敬意を払ってきた。同じように、会長もテリムの仕事に敬意を払うべきだ。それがないところでは仕事ができない」

テリムのこの決断に従って、ヘッドコーチ、フィジカルコーチなど6人のテクニカルスタッフ、さらにアントニョーニGMとそのアシスタント、計8人が一斉に辞任を表明。フィオレンティーナはチームが練習を再開しようにも指導者がまったくいないという異常事態に陥った。

ここまでの話はまだ、この茶番劇の導入部に過ぎない、のだが、残念ながら紙幅がつきてしまったので、続きは次回ということでご勘弁を。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。