先週までで、シーズンのほぼ1/4にあたる8節までを終えたセリエA。このところ、あまりピッチの上の出来事を取り上げてこなかったので、今回から少々、ここまでの動向を総括的に取り上げていくことにしたい。まずは順位表からご覧いただこう。

セリエA順位表(第8節まで)

例年、シーズンも1/4を過ぎたこの時期になると、一、二の例外を除き、それぞれのチームが収まるべきところに収まるのが常なのだが、今シーズンはどうも様子が違う。

首位のローマに関しては、数年前までなら大異変のたぐいだったかもしれないが、リーグ屈指の戦力を誇る今となっては、特に驚くべきことではない。しかし、そこから下の状況は、おそらく誰1人予想しなかったものだろう。

2位につけているのは、セリエBからの昇格組・アタランタ。ここまで唯一無敗を保ち、しかもリーグ最少失点を誇るという大健闘ぶりだ。続く3位には、ここ数年、着実に「新・中堅クラブ」としての足場を固めつつあるウディネーゼとボローニャが肩を並べている。

一方、いわゆる「ビッグクラブ」の面々は、補強に莫大な資金を投入して2チーム分以上の代表クラスを抱え込み、スクデット獲得を目標にスタートしたにもかかわらず、あちらで躓き、こちらでよろけながら、何とか順位表の左側(上位9チーム)にしがみついているのが現状だ。

首位ローマとの差は、早くも無視できないところまで開いてきた。ユヴェントスが6ポイント、パルマが7ポイント、ミラン、ラツィオが9ポイント、インテルに至っては10ポイントである。まだシーズンは序盤、あと26試合も残っているとはいえ、このもたつきは尋常ではない。
 
しかし、実際にピッチの上で起こっていること、つまりゲームの内容を見れば、この一見尋常ではない結果にも、かなり納得できる説明がつくように思われる。あえて一般論にして言い切ってしまえば、要するに大半のビッグクラブよりも中小クラブの方が、組織的なメカニズムを持った質の高いサッカーを展開しているのだ。

その代表といえるのがアタランタ。オーソドックスな4-4-2システムを採用し、守備の局面ではセンターラインより高い位置からのプレッシングと組織的な囲い込みでボールを奪い、攻撃の局面ではトライアングルを基本にしたショート・ミドルのパス交換と積極的な縦への走り込みで数的優位を作りだしていくという、システマティックかつダイナミックなサッカーを展開している。

小気味いいのは、どんな状況でも決してボールを蹴り出したりせず、最終ラインからていねいにつないでいく姿勢が徹底していること。そうやって中盤で誰かが前を向いてボールを持った瞬間に、2~3人の選手が連携して動き出し、サイドを有効に使いながらポンポンとボールがつながって、4~5本のパスでフィニッシュの局面が出来上がっている。

これが、同格の中小クラブ相手ではもちろん、格上のビッグクラブと戦ってもそうなのだ。組織的なオートマティズムの完成度では、セリエAでも群を抜いている。そしてそれには理由がある。

ミラノの北東60kmほどに位置する美しい小都市ベルガモを本拠地とするこのクラブは、セリエAとBを往復する地方の「エレベーター・クラブ」のひとつだが、イタリアでも有数の充実度を誇るユースセクションを持っている。今シーズンのチームは、レギュラー11人のうち実に6人(ロッシーニ、双子のゼノーニ兄弟、ドナーティ、ザウリ、ペリッツォーリ)がプリマヴェーラ上がりだ。

監督のヴァヴァッソーリも、昨シーズン、トップチームの監督に昇格するまではプリマヴェーラを指揮していた。つまり、このチームは、監督と大半の選手が、もう5~6年一緒に戦い続けているのである。ツーカーもいいところなのだ。
 
これを例外的なケースだと言い切ってしまうことはたやすい。そして確かにそれは一面の真実でもある。ユースセクションから一度に何人も、セリエAで通用するプレーヤーが育ってくることなど、幸福な偶然以外にはありえないからだ。

しかし、アタランタ以外にも、もちろん3位の2チーム、さらにはヴェローナ、レッチェ、バーリなど、明快なコンセプトを持ったいいサッカーを見せる中小クラブは少なくない。その一方で、ほとんどのビッグクラブが、チームとしての組織的な戦術を確立できないまま、中盤や前線に配した数人のスーパープレーヤーの個人能力に頼って戦い続けているのも、否定できない事実である。

ユヴェントス、ラツィオ、ローマ、インテルといったビッグクラブのサッカーに共通しているのは、プレッシングや組織的な囲い込みをあまりせず、守備の局面ではかなり自陣に引いて守ること、そして、「組み立てる」ことよりも、いかに最短距離で中盤・前線のスーパープレーヤー(ジダン、トッティ、バティストゥータ、レコーバ…)にボールを「委ねる」かが攻撃のテーマになっていることだ。

ボールを持たない選手が組織的に動いて、システマティックに攻撃が展開していく美しい場面など、ほとんど見ることはできない。

確かに、前線に「ひとりで試合を解決できる」プレーヤーを擁していれば、チームとしてのサッカーの質がどうだろうと、最終的に試合に勝つことは可能だ。しかし、個人に依存するサッカーをしている限り、チーム全体がその個人の状態に左右されることは避けられない。

試合を解決してくれるはずのプレーヤーがたまたま不調だったり、そこまでボールを運ぶ段階で相手の組織的な(あるいはタイトなマンマークの)ディフェンスに潰されたりすると、それが即、取りこぼしにつながるというわけである。

事実、ラツィオがここに来て急に失速したのは(セリエAではミラン、ユーヴェと引き分けパルマに敗戦、チャンピオンズ・リーグでもアンデルレヒトに0-2)、中盤を支えていたヴェロンが故障してからのことだ。ユヴェントスの試合結果は、ジダンの出来不出来とほとんどシンクロしているし、インテルに欠けているのは決してヴィエーリとロナウドだけではない。
 
28日のミラン対アタランタ(コッパ・イタリア準々決勝)では、押されっぱなし(1-2)で前半を終えたミランが、レオナルドとシェフチェンコのたった2つのスーパープレーで試合を決めた(4-2)。ローマが、がちがちに守りを固めたフィオレンティーナを下したのは、試合終了5分前に偶然、バティストゥータの足下にこぼれ球が落ちたからだった…。

これは戦術的に見れば明らかに後退ではないのか。にもかかわらず、ビッグクラブのほとんどは、まさにそういう個人依存型のサッカー、何というか、当時あれほど叩かれたシモーニ監督のインテルのようなサッカー(!)を指向しているように見える。その背景には何があるのだろうか―という話は回を改めて、ということでとりとめなく次回へ続く。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。