先日、西村編集長から「中田の件について書いてみたら…」というご提案をいただいた。そのとき最初に思ったのは、はて、最近中田に関して何か話題になるような「件」があっただろうか、最近は試合にもほとんど出ていないし…、ということだったのだが、ふと、日本では試合に出ていないこと自体がすでに大きな話題なのだということに思い至った。

ここイタリアでも、中田のプレーヤーとしてのクオリティに疑問を差し挟む声はない。守備の局面での負担が大きいセントラルMFとしてはともかく、トレクァルティスタ(トップ下の攻撃的MF)としてならば、セリエAで十分通用する有能なプレーヤーだと誰もが認めている。

しかし、それだけの評価を受けている選手が出場機会を得られないことだって、世界中のトッププレーヤーが集まるセリエA、とりわけビッグクラブでは、ごく普通に起こることだ。

そして通常は、試合に出て活躍しない限り、マスコミに取り上げられることもない。例外は、試合に出られないことをゴネたり移籍志願をしたりしたときくらい。そういう場合はここぞとばかりにマスコミが群がってくるものだが、そうでもない限りは、1-2ヶ月の間まったく動向が報道されないのは珍しいことではない(例えば、レオナルドの近況を詳しく知っているのは、イタリアでも、ミランの情報を詳しく追いかけているファンだけだろう)。

そういうわけでイタリアでは、開幕からこの1ヶ月半ほど、中田が話題に上ることは非常に少なかった。おそらくこの間日本での主な話題だったに違いない移籍関連の情報にしても、よくある憶測絡みの噂話の域を出るものはなかったし、大きく取り上げられることもほとんどなかった。

だがこれらは、セリエAでそれなりの評価を受けている多くの選手に普通に起こることだ。それ以上でもそれ以下でもない。

さて、控えに回った選手が、ポジションを取り返すためにできることはそう多くない。毎日の練習の中で成果を積み重ね監督にアピールする。累積警告による出場停止か、あるいは故障か、いずれにしてもライバルの欠場によって巡ってきた数少ない出場機会に期待を上回るパフォーマンスを見せつけ、力ずくでレギュラーの座をもぎ取る。ほとんどこれだけといっていい。実力主義の世界というのはそういうものである。

代理人や良好な関係にあるクラブ役員(時には会長)を利用して監督に間接的なプレッシャーをかけるとか、マスコミの前でゴネて見せるとかいう「搦め手」もないわけではないが、大概の場合は上手く行かないし、これが上手く行くようなクラブは、はっきりいってろくなものではない。

中田も、シドニーから戻ってきてからの1ヶ月あまり、自らが置かれた状況を直視してそれを受け入れ、次に訪れるチャンスに万全の大勢で備えるために、黙々とトレーニングに励んできたように見える。そのプロフェッショナリティは、数試合出場機会がないと、後先考えずに移籍したいとゴネ出す、イタリアの多くの選手が見習うべきものだろう。
 
開幕以来初めて出場機会を得た5日のブレシア戦(セリエA)、そしてUEFAカップのボアヴィスタ戦(9日)でのプレーには、その「成果」がはっきりと現れているように見えた。なかなかボールをつけてもらえない辛さは常にあるが、もらったボールはシンプルかつ効果的に動かしていたし、フィジカル的にもかなりフィットしているように見えた。

先週の金曜日に発売された週刊のサッカー・オピニオン紙『リゴーレ』には、「トッティ抜きのローマの方がいいサッカーをする」という、ある著名人ローマサポーターからの投書が掲載されたほどだ。その一部を引用しよう。

「ローマの問題は、一見すると3-4-1-2のシステムでプレーしているように見えるところにある。ところが実際のピッチ上のシステムは5-2-3なのだ。なぜなら、いくら能力が高くても、カフーとカンデラは根源的にやはりサイドバックであり、ウイングでもアウトサイドMFでもないからだ。

そしてマジカルなトッティも、いくらトップ下に位置していても、結局は第3のフォワードでしかない。事実、ローマの最大の問題点は中盤にある。エメルソンを欠いているからだけではなく、単に人数的にみて不十分なのだ。

中田が入ったことで、ローマの中盤にはだいぶ厚みが出た。デルヴェッキオはより前線でプレーできるようになり、バティストゥータを効果的にサポートできるようになった。カフーとカンデラもより安心して前に出られるようになり、チーム全体として見ても明らかにバランスがよくなった」

しかしこれだけの評価を受けてもなおかつ、中田がローマで毎週たっぷりとプレーする時間を得るのは、簡単なことではないように見える。もはや言い尽くされていることだが、中田が周囲よりも抜きんでた力を発揮できるポジションはトップ下以外にはなく(セントラルMFとしてはスペシャリストにかなわない、という評価は昨シーズン終盤以降完全に定着している)、そしてローマのトップ下にはトッティという「神聖不可侵の」存在が控えているからだ。

ローマ生まれのロマニスタでありローマのキャプテン、おまけにイタリア代表の10番。トッティはローマという町にとって生けるモニュメントのようなものだ。チームを去るとなったら暴動が起こりかねない、セリエA最後の「バンディエーラ」(旗印=クラブのシンボル)である。中田でなくとも太刀打ちできる相手ではない。

そうである以上、外国人(EU外)枠は、ベンチに入れるかどうかには関係しても、レギュラーとして試合に出られるかどうかとは、まったく関係ないと言っていい。「我々は中田を決して手放してはならない。彼以外にトッティの穴をこれほどよく埋める選手は存在しないのだから」(パオロ・リグオーリ/イル・メッサッジェーロ紙)というのが、中田がローマで得られる最大級の評価なのかもしれない。
 
現実的に考えて、残された選択肢は2つだけだろう。ローマで「トッティの控え」として残るシーズンを過ごすか、1月の移籍マーケットで新天地を見出すか。今の状況が続く限り、中田は2つ目の選択肢についても真剣に検討せざるを得ないのではないか。

イタリアではよく「正しい時間に、正しい場所にいることが大事」という言い方をする。中田にとっては、ベルマーレからペルージャへの移籍は、「時間」も「場所」もどんぴしゃりだったが、ローマ移籍に関しては、「時間」はともかく「場所」は正しくなかった、ということになるだろうか。次の選択が「正しい時間に、正しい場所に」向けて行われる、幸福なものになることを祈りたい。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。