10月17日にローマのスタディオ・オリンピコで行われたチャンピオンズ・リーグのラツィオvsアーセナル戦。TV中継を観た方は気づいたかもしれないが、アーセナルの黒人選手(ヴィエイラ、カヌー、アンリ)がボールを持つたびに、クルヴァ・ノルド(北側ゴール裏)に陣取るラツィオのウルトラスから激しいブーイングが浴びせられた。

その理由はただひとつ。彼らの肌の色が黒いからである。ただのブーイングではない、明らかな人種差別行為なのだ。

イタリアの多くのゴール裏では、民族主義、移民排斥、反ユダヤ、黒人差別などを掲げる極右系のサポーターグループが台頭している。中でも、ラツィオ・ウルトラスの最大勢力「イッリドゥチービリ」は、ネオ・ファシズムを公然と標榜する、最も過激かつ暴力的なグループのひとつ。

以前この連載でも取り上げた、セルビアの民族浄化テロリスト・アルカンを礼賛する横断幕を掲げた事件に続いて、またも許し難い反人道的行為の主役となったわけだ。
 
しかしこの試合、ピッチの上では、もっと許し難く醜い出来事が起こっていた。アーセナルのパトリック・ヴィエイラが試合後BBCに語ったコメントがそのすべてを伝えている。

「ローマでは90分間を通して、ありとあらゆる種類の侮辱を受けた。それもたったひとりの相手選手、シニーサ・ミハイロヴィッチからだ。サッカーを始めて以来最低の出来事だった」

「ロンドンでの第1戦の時から、ミハイロヴィッチはぼくにひどい言葉を投げつけていた。でもあの時はこちらが勝っていたから、そのせいで相手もイライラしているのだろうし、その場限りのことだろうと思って我慢していた。

ところがミハイロヴィッチは今日もまた、試合開始前からぼくを侮辱し始めて、試合中ずっとやめなかった。ぼくのことをnegro bastardo(黒ん坊の私生児)、negro di merda(黒ん坊の糞野郎)、fottuta scimmia nera(汚らしい黒猿)などと呼び続けた」

「観客から人種差別的なコールを浴びることには慣れている。もちろん嫌な気分だが、サポーターがどれだけ愚かになり得るかということはよくわかっている。信じられないのは、1人のプロとして同じ立場にいる相手選手からこの種の侮辱を受けるということだ」

「あまりにひどいので、試合中ラツィオの他の選手に文句を言った。その選手はぼくに謝ったが、同時に、ミハイロヴィッチのことはどうしようもないとも言われた。チームメイトは彼が何者かを、つまり手に負えないほど愚かな人間だということを知っていたというわけだ。(…)イタリアでこういう目に遭うのはぼくが初めてというわけじゃない。ポール・インスやリリアン・トゥラムに訊いてみればいい」

「ぼくを侮辱し続けるミハイロヴィッチの顔を見ていて、これは自分が心から信じていることを口に出しているだけだということがはっきりとわかった。信じられない。だって彼は、ぼくと同じ情熱を持って同じ仕事をしているんだから…」

以上はLa Repubblica紙が記事中で取り上げたイタリア語訳からの“孫訳”であることをお断りしておく。

しかし、試合後、イタリアのTV局「イタリア1」のインタビューに応じたアーセナルのティエリー・アンリが「ミハイロヴィッチは彼が相手にしていた選手の名前はパトリック・ヴィエイラであって、scimmia di merda(猿の糞野郎)などではないことを知るべきだ」と怒りを込めて語っていたことは、筆者も確認している。
 
ヴィエイラのこの「告発」に対してミハイロヴィッチは、試合の翌日、ローマ郊外のフォルメッロにある練習場で次のように反論した。

「これまで15年間プロとしてプレーしてきて、相手に唾を吐いたり吐かれたり、肘打ちを見舞ったり喰らったりしてきた。1ヶ月前にも肘打ちで頬骨を割られたばかりだが、その時も何も言わなかった。ピッチの上で起こることはピッチの上だけにとどめておくべきだ。私はそうしてきた」

「でもその、何と言ったっけ、ああヴィエイラか、そいつが喋ったのなら、私も喋ろう。そいつのことをnero di merda(黒い糞野郎)と呼んだことは確かだ。でもそれは奴が先に私をzingaro di merda(ジプシーの糞野郎)と呼んだ仕返しだ。

私はジプシーと呼ばれたからといって傷ついたりしないのに、どうして奴は“黒”と言われて傷つかなきゃならないのか?奴が黒いのは私のせいじゃない。私は奴の肌の色を侮辱したかったわけではない。奴も私を侮辱したかったわけじゃないだろう。奴を睨んだら奴が黒かったから、それを素直に口に出しただけだ」

「だいたい私はnero(黒)と言っただけであってnegro(黒ん坊)とは言っていない。それにscimmia(猿)とも呼んでいない。奴は猿には似ていなかったから。もし私に何か言われて傷つくのなら、私にあんなことを言うべきではなかった。誰かを挑発したら仕返しされるのは当たり前だ。

私はストリートで育ったから、やられたらやり返すものだと思っている。もし私が人種差別主義者なら、奴だってそうだ。大体、ピッチの上で他人を挑発しておいて、仕返しを喰らったからといってお母ちゃんに泣きついたりTVの前で嘆いて見せたりするもんじゃない」

「後悔してるかって?全然。私は挑発されたから応じた。それだけのことだ。やましいことは何もない。もし何かの処分が下るのなら従う用意はあるが…」

ミハイロヴィッチはセルビア人だが、スラヴ系というよりはジプシーの血が濃いらしい。そのジプシーは、ヨーロッパではユダヤ人と並んで、常に差別・迫害の対象となってきた民族だ(ナチも第二次大戦中に収容所で50万人以上を虐殺している)。彼の言う通り、「ジプシー呼ばわり」もまた、人種差別行為には違いない。

しかし、その仕返しであろうと何であろうと、ピッチの上であろうと外だろうと、相手を人種差別的な発言で侮辱し続けるというのは、決して許されるべきことではない。しかも重大なのは、どう見ても開き直りとしか思えないこの反論から見ても、単に一時的に感情を爆発させてしまったといった類の話ではなく、明らかに「確信犯」だったということ。

ヴィエイラがアーセナルの中盤を支えるキープレーヤーであり、最も「潰す」べき存在だったことは間違いない。しかし、そのために使った「手口」はあまりにも反スポーツ的、いや反人道的で醜く汚い。

そして、ピッチの上でこの種の行為がまかり通っているという事実は、ゴール裏から黒人選手に汚いブーイングを浴びせ続けるウルトラスの行為を正当化することにもつながっているのである。
 
しかし、この「正当化」にそれ以上に貢献しているのは、実は以前から何度となくこの種の人種差別問題が起こっているにもかかわらず、正面から解決に取り組もうとしないサッカー界、もっといえばイタリアサッカー協会かもしれない。ルチャーノ・ニッツォーラ会長の次のコメントが、事態の深刻さを如実に表している。

「私もスタジアムにいたが、ミハイロヴィッチとヴィエイラのことにはまったく気がつかなかった。ハードな試合だったことは確かだ。ブーイング?試合開始直後に少しあったような気もするが、問題にするほどではなかった」

この絶望的な事なかれ主義の前には絶句するしかない。残念ながら今シーズンも、蒙昧で非人道的な光景がヨーロッパで最も多く見られるのはイタリアのスタジアム、ということになりそうである。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。