5月7日、トリノのスタディオ・デッレ・アルピで行われたユヴェントス-パルマ戦。ユヴェントスの1点リードで迎えた後半44分、アモローゾの蹴ったCKをエリア内中央にいたカンナヴァーロが頭で合わせる。ユヴェントスのGK、ファン・デル・サールは、ゴール右下隅に向かって飛んで行くボールを茫然と見送るばかりだった。

同点ゴール…誰もがそう思った。この試合が引き分けに終われば、ユヴェントスはラツィオ(この時点でボローニャを3-2でリードしていた)に対する2ポイントのリードを失い、残り1試合を残して同ポイントで首位に並ぶことになる。

しかし、右ポストの内側に当たったボールがそのままゴールに飛び込む直前、ピッチにはホイッスルが響いていた。パルマのファウルを取りユヴェントスにFKを与えたことをジェスチャーで示すデ・サンティス主審。

スクデットの行方を左右するはずだったゴールは幻に終わり、試合はそのまま1-0で終了。ユヴェントスは追いすがるラツィオとのポイント差を2に保ち、首位の座を守った。

残りはあと1試合。両チームの対戦相手(ユーヴェはアウェイでペルージャ、ラツィオはホームでレッジーナ)を見る限り、最終戦での波乱は予想しがたい、これでユヴェントスのスクデットはほぼ確実、というのが、支配的な見方である。

しかし、もしこのまま優勝したとしても、ユヴェントスの26回目のスクデットが、後味の悪いものになることは避けられないだろう。それは、パルマの同点ゴールを帳消しにすることになったデ・サンティス主審のホイッスルが、大きな疑惑の対象になっているからだ。

試合後、この「幻の同点ゴール」の場面はTVで何十回とリプレイされたが、これを見たジャーナリストやコメンテーターは誰もが、ファウルを取るような反則は何も見当たらない、とコメント。デ・サンティス主審は何も起こっていないにも関わらず笛を吹き、プレーを中断して、パルマの同点ゴールを帳消しにした―という論調が、試合後わずかの間にマスコミを完全に支配した。

スクデットを左右する決定的な試合が審判の不可解な判定で左右され、しかもそれがまたもユヴェントスに有利な方向に働いたことで、この「疑惑のホイッスル」事件は、審判の判定を巡る抗議と泣き言と論争が後を絶たなかった今シーズンの「総仕上げ」に相応しい(?)一大スキャンダルを巻き起こしている。
 
議論の焦点はただひとつ、何故デ・サンティス主審があそこで笛を吹いたのか、である。通常、審判の判定に関する論議は、PKやオフサイドに関わるひとつの具体的なプレーの判断をめぐって行われるものだ。ところが今回は、どのプレーに対して笛を吹いたのかがわからない、という前代未聞の話になっている。

確かに、密集の中ではコヴァチェヴィッチが転倒しており、カンナヴァーロが彼を引っかけたように見えなくもない。

しかし、コヴァチェヴィッチはカンナヴァーロの後方から走り込んでおり、倒れたのは自分で蹴躓いたかカンナヴァーロの足に勝手に躓いたか、どちらかの可能性しかない。いずれにしても、これでファウルを取ったとすれば、かなりひどい誤審である。

しかし、いくらひどい誤審であっても、これが単なる「ミス」だったのであれば、騒ぎはここまで大きくなりはしなかっただろう。コヴァチェヴィッチが倒れたのを見て笛を吹いたがそれは間違いだった、という話なら、審判だって人間だからミスはある、という正論で片づけることもできたからだ。

それが単なる「ミス」ではなく、裏に何かあってのことではないか、という「疑惑」がさらに深まったのは、試合終了後3時間ほどして、イタリア最大の通信社ANSAが、デ・サンティス主審のコメントを打電してからのことである。

スタジアムを出てトリノの空港に向かう途中、ANSAの記者から携帯電話で取材を受けたデ・サンティスは「私が笛を吹いたのはカンナヴァーロがヘディングするよりも前だ。コーナーが蹴られたときに、複数のパルマの選手がユヴェントスの選手に対するファウルを犯していた。

私にとっては、シュートよりも前の時点であのプレーは終了していた。その後ボールがゴールに入ったかどうかは問題ではない」とコメントしたのだ。

このコメントは、二重の意味で火に油を注ぐ結果になった。
まず、この記事が打電された直後、ちょうど放映中だったサッカー番組「ゴレアーダ」が問題の場面をリプレイし、デ・サンティス主審のコメントに反して、ホイッスルが吹かれたのは、ヘディングの後、ボールがゴールに向かっているその時だったことを明らかにする。

パルマの「複数の選手」がユーヴェの選手にファウルを犯しているという事実ももちろん認められなかった。

判定を下した本人が、単なるミスだったことを認めず、明らかに事実に反する言い逃れでボロを出したことで、多くの人々が抱いていた、予めプレーを中断する意図があってホイッスルを吹いたのではないのかという疑惑の信憑性が、逆に深まる結果になってしまった。

さらに、マスコミの取材に応じてコメントを出したこと自体も大きな問題だった。主審・副審が、審判委員会の許可を得ずに試合の判定に関わるコメントを出すことは、規則で厳しく禁じられている。当然それを承知しているはずのデ・サンティス主審が、あえてこのコメントを出したのは、「誰か」と口裏を合わせたと同時に、その「誰か」から指示されてのことではないのか、という新たな疑惑をも生みだしてしまったのだ。
 
何故あそこで笛を吹いたのか、という疑問に対する答えは、もちろん今も謎のままだ。しかし、マスコミはいくつかの可能性を「憶測」として持ち出している。それらを、「性善説」から「性悪説」に向けて、順番に並べてみることにしよう。

1) 単なるミス説:コヴァチェヴィッチの転倒をファウルと見て反射的に笛を吹いた

2) CKの帳尻説:直前のCKの判定が実は間違いだった(ボールに最後に触ったのはザンブロッタではなくヴァノーリ。ユーヴェの選手はCKの判定に抗議している)。その帳尻を合わせるために、密集内のファウルを想定して笛を吹いた(通常、CKの密集の中ではひとつやふたつの不正行為は必ずあるもので、笛を吹くかどうかは事実上審判のさじ加減次第。ただし今回はそのファウルがなかったのに笛を吹いてしまったところが問題)。

3) 心理的隷属説:カンピオナートに波風を立てないために、ユヴェントスが勝っている試合をこのまま無難に終わらせようと思った。

4) 謀略説:最初からユヴェントスに有利な判定をしようと思っていた。あるいはそう指示されていた。フゼールに対するタッキナルディのファウルをPKにせず流したのも、これで説明がつく。

1) は完全な性善説だが、これを信じる人はほとんどいない。何よりも、デ・サンティス主審自身が、藪蛇のコメントでそれを実質的に否定している。2) は、実際には良くある話、という声も現場方面からは聞こえてくるが、もちろん、もしそうだとしたら大きな問題になることは間違いない。

3) はさらに問題だが、実際には最もありそうな話だと思われているのがこれ。4) は、ここまではさすがにないだろう、と思いたいところだが、これを支持する向きも少なくない。

いずれにしても、「疑惑のホイッスル」の背景に、CKからのプレーを中断しようという意図(意識的か無意識的かは別として)が最初からあった可能性は非常に高い、というのが、事実上すべて(というのは、ユーヴェの御用新聞であるTuttosportを除いて、ということ)のマスコミを支配している論調である。

そして、さらにその背景にあるのが、かねてから言われている「審判のユヴェントス(とミラン)に対する心理的隷属」説にあることは間違いない。

一昨年(97/98シーズン)、やはりスクデット争いの焦点となっていたユヴェントス-インテルで、チェッカリーニ主審がロナウドに対するファウルを流し、その直後のカウンターでデル・ピエーロが受けたファウルに笛を吹いてPKを与えた「事件」は、2年経った今でも多くの人々が覚えている。

しかし、これらが、単にひとりひとりの審判が心理的にユヴェントスに不利な判定を避ける傾向にある、というだけの話でないことは、上の4) のような憶測が出ていることからもわかるだろう。

実のところ、この「疑惑」をめぐって、そして今シーズンを通して繰り返された審判の判定に対する抗議と泣き言を通して、本当に問われているのは、審判委員会、さらにはサッカー協会そのものの中立性と公平性なのだ。―と、ここからさらに話を続けると長くなってしまうので、今回は「疑惑」の概要をお伝えするだけにとどめておくことにしたい。

さて、疑惑は疑惑として、泣いても笑ってもセリエAは残り90分。ラツィオは昨シーズンに続いて、ホームのオリンピコで戦いながら、ペルージャからのニュースを待つことになる。

ラツィオが勝ってユーヴェが引き分ければ63/64シーズン以来のプレーオフ。ペルージャのガウッチ会長は「ユヴェントスに負けたら6月30日まで強制合宿」とチームを脅しているが…。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。