「クラブとの契約とかどのポジションでプレーするかとか、そういうことは大した問題じゃない。最大の問題は、ぼくの私生活に無理矢理土足で踏み込んだり、サッカーとは何の関係もない個人的なことについてあれこれ詮索して、憶測だけで一方的に決めつけたりする連中が後を絶たないことだ。

ぼくだってたまにはひとりで放っておいてほしいことがある。でも、そんな小さな望みを実現するためにすら、大変な苦労をしなければならないのが実情なんだ」

この発言の主は中田英寿、ではなく、彼が移籍したローマのキャプテン、フランチェスコ・トッティである。
  
先週から今週初めにかけてイタリア・スポーツマスコミを席巻した中田のローマ移籍とデビューの報道も、ここに来てやっと一段落したようだ。事実、この1週間、イタリアの新聞(スポーツ紙だけでなく一般紙も)の見出しに”Nakata”の6文字が踊らない日はなかったし、TVのスポーツニュースがこの話題に触れない日もなかった。

もちろん移籍という特殊な状況だったから扱いが特に大きかったということはある。しかし、ローマのようなビッグクラブとなると、マスコミが日常的に割くスペースもペルージャのような弱小クラブとは段違いに多い。

スポーツ紙は毎日1チームにつき最低でも2-3本の記事を載せるし、ペルージャのことなど(試合結果を除けば)月に一度も書かない大手の一般紙も、ビッグクラブの話題はほぼ毎日のように大きく取り上げる。地元で最も広く読まれている新聞 “Il Messaggero” になると、毎日スポーツ欄の大半がローマとラツィオの記事で占められているほど。同じことはTVのスポーツニュースについてもいえる。

これだけのスペースが割かれているということは、マスコミが常にそれだけの「ネタ」を必要としているということでもある。実際、ビッグクラブの選手に対するマスコミの「攻勢」は、弱小クラブのそれとは比較にならないほど激しいものだ。そしてスター選手になればなるほど、その度合いはエスカレートする。

取材を受けるか受けないかは本人の判断だが(プロである以上マスコミにつきあうのはある意味で「義務」だが、もちろん選手には取材を断る「権利」もある)、断れば断ったでまたそれをネタに記事を書かれるから同じこと。イタリアの記者は(「は」ではなく「も」か?)、断片的な材料から「ファンタジー」を駆使してでっち上げに近い憶測記事を書いたりすることも少なくないから厄介である。
 
ミラノやトリノと比べてローマが特殊なのは、ローカルのTV、ラジオの存在感が際だって大きい点だろう。ローマの人々にとって、毎日の生活におけるカルチョの重みは、「北」の大都市とは比較にならないほど大きい。

しかもほとんどの人は「自分のチーム」(ローマかラツィオ)とそのライバル(ラツィオかローマ)以外のことにはほとんど興味がないから、セリエAのビッグクラブをまんべんなく扱い、しかも「北」のチームの話題が中心になる全国版のメディアよりも、むしろローマとラツィオの話題しか取り上げない地元メディアのほうが、注目度も影響力も大きいのだ。

テレローマ56(地元最大のローカル局)が毎週放映する討論番組は、常に破格の高視聴率を保っているし、ラジオに至っては、1日中ローマとラツィオの情報を流し続けているところがいくつもあり、多くの人々がラジオをつけっぱなしにしてそれを聞いている。

こうした番組では、それこそどんな些細なことでも「ネタ」になる。もちろんその中には興味本位の憶測や根も葉もない噂も少なくはないが、そういう胡散臭い話の方がむしろ人々の関心を集めたりするというのはどこの世界でも同じ。結果として、ローマでは毎日、ローマとラツィオに関するありとあらゆる噂話が電波に乗って飛び交い、巷に広がっていくわけである。

冒頭のトッティの発言も、年末の「中田はぼくと同じポジション。それが問題ならローマを出ていってもいい」という発言に端を発した、中田とのライバル関係を巡る憶測と邪推、中傷の渦に対する苛立ちを表明したものだった。中田にとっても、こうしたマスコミからの直接、間接のプレッシャーとそこから来るストレスの大きさは、ペルージャ時代とは比較にならないほど大きくなることだろう。

日曜日の試合後、国営放送局RAIの「ドメニカ・スポルティーヴァ」に出演した中田は、日本のマスコミとの関係について質問され、「たくさんの嘘が書かれていて、真実を書くことが本当に少ないので…」と(日本語で)答えていたが、もしかすると、ローマのマスコミの厄介さは、日本のマスコミ以上かもしれない。ご注意あれ。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。