しかしちょっと気を抜くとすぐ1週間経っちゃいますね。

4年前のドイツワールドカップ期間中に書いた原稿の棚卸しその5は、グループリーグで日本を一蹴した後、決勝トーナメントに入ったR16で、ガーナ相手に苦戦したブラジルについて。今回は、国民受けする「カルテット・マジコ」みたいなことは一切切り捨てて、ディシプリンとチームスピリット優先で結果だけ狙うチームになってますが、グループリーグで躓いてR16で早くもスペインと決戦、という匂いが……。

つか、もしそうなるとイタリアが準々決勝でブラジルともスペインとも当たらずに済む可能性が出てくるので、ぜひそうなってほしいという密かな願望だったりするわけですが。

bar

しかし、このブラジルは一体何なのか。

背番号が1から11まで綺麗に揃ったメンバーがここまで見せてくれたサッカーは、セレソンが潜在的に持っているポテンシャルを冒涜していると言っても過言ではないほどに、魅力に欠ける退屈で凡庸な内容でしかない。

「カルテット・マジコ」と呼ばれる4人衆、すなわちロナウド、アドリアーノ、ロナウジーニョ、カカを擁する攻撃陣は、これ以上何も望みようがないほどの超豪華版である。だが、彼らがピッチ上で、本来持っているとてつもない能力を存分に発揮しているかといえば、答えは間違いなくノーだ。それどころか、お互いの長所を相殺し合っている。

4人の中で最も割を食っているのは、ロナウジーニョだろう。やや開いた位置から1対1やワンツーで突破をはかり、創造性溢れるラストパスをFWに供給するのが最大の持ち味。だがこのセレソンの前線には、バルセロナにおけるエトーやジュリなどのように、前線で動いてスペースを作り、あるいはスペースに走り込んでくれる「対話」の相手がいない。

ロナウド、アドリアーノの2トップは、棒立ちのままおいしいラストパスが届くのをひたすら待ち続けるばかり。対話どころか、エリアの中に入って行こうとするロナウジーニョをはね返す壁の役割しか果たしていない。

おかげで気の毒なガウショは、ペナルティエリアから遠く離れた地域でフェイントやヒールキックといった得意の小技を披露する以外、ほとんど出番がない状態である。

逆サイドを基点とするカカも、似たような境遇に置かれている。得意のスピードに乗ったドリブルでピッチを縦に切り裂いても、前線にスペースがまったく見出せずに減速を強いられる場面が少なくない。

チームの中で最も創造性に溢れる2人のタレントを犠牲にして、ブラジルは何を得ているのか、と考えてみるのだが、少なくとも戦術的な観点からは、何ひとつ得ていないという結論以外は出てこない。

ベンチにも豊富なタレントを擁するセレソンを、チームとしてより有機的に機能させようとすれば、もっと有効なメンバーと布陣はいくつもあることは、日本戦が証明した通りだ。

にもかかわらず、パレイラ監督がこのメンバーにこだわる理由があるとすれば、「カルテット・マジコで優勝したという伝説を作りたい」という一点に尽きるのではないか。

ブラジルという国は、自分たちが「フットボール世界一」だということにひとかけらの疑いも抱いていないに違いない。だから、ワールドカップでも単に優勝するというだけではもう満足できず、より難易度の高い勝ち方を追求せずにはいられないのだろう。

でも、いくらスターをずらっと揃えても肝心のサッカーがこれじゃあ、本末転倒もいいところである。ここまでは格下ばかりが相手だったから良かったけれど、フランスのような強豪を相手にどんな戦いを見せるのか、楽しみに待つことにしよう。■

(2006年6月27日/初出:『El Golazo』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。