ピッチ上の出来事だけでなく、その背後にある様々な現象にまで視野を広げてイタリアサッカーの世界を伝えていきたい、というのが、この仕事を始めて以来のポリシーです。クラブの運営・経営というのもその重要なテーマのひとつ。かつてWSD誌で連載した「イタリアクラブ探訪」(2000-2003)の原稿も、追い追い公開していくつもりですが、まずはこれです。
フィオレンティーナがセリエAに戻ってきてもう4年目、破産・消滅&C2降格というあの出来事も、過去の話になりつつあります。でも当時は本当に大事件でした。
いまイタリアサッカー界では、「フロレンティア」という聞き慣れない名前のチームが大きな話題を集めている。
所属リーグは、セリエAから数えて4部、プロリーグの最下層にあたるセリエC2。そんなレベルで戦うチームなのに、この2週間ほど、オーナーの発言から監督人事や選手獲得情報まで、このチームのニュースがスポーツ新聞の紙面を賑わせない日はない。なぜそれほどの注目を浴びているのだろうか。
実をいうと、このフロレンティア、昨シーズンまでセリエAで戦っていたフィオレンティーナが、新たに生まれ変わった姿なのである。
中部イタリアの芸術都市フィレンツェを本拠地とするACフィオレンティーナは、スクデット2回、コッパ・イタリア6回の優勝歴を誇る、1926年創立の名門クラブだった。「だった」と過去形で書かなければならないのは、昨シーズンのセリエAで最下位に終わり降格を喫したこのクラブが、今シーズンのリーグ登録費用さえも捻出できず、7月31日をもって破産・消滅してしまったからだ。原因は、オーナー会長だったV. チェッキ・ゴーリが経営する企業グループの財政破綻。所属選手との契約は無効となり、全員がフリーエージェントとなった。
だいぶ前から財政危機説がささやかれていたとはいえ、つい2年前まではセリエA優勝候補として“ビッグ7”の一角を占め、チャンピオンズ・リーグを戦っていたクラブである。それが一夜にして消滅してしまうのだから、カルチョの世界は厳しい。
しかし、その後の展開は素早かった。翌8月1日には、地元フィレンツェ市のドメニチ市長が、市の予算約1億円を投じて新運営会社「フィオレンティーナ1926フロレンティア(株)」を設立。その3日後には、高級靴メーカー「JPトッズ」を経営するD. デッラ・ヴァッレ氏がその全株式を買い取ってオーナーとなった(もちろん、市長とは事前に話がついていた)。
こうして、わずか数日で、破産・消滅した旧フィオレンティーナの“跡目”を継ぎ、プロ最下層の4部リーグから再出発を図るクラブがフィレンツェに誕生したのである。
ちなみに、「フロレンティア」というのは、破産した旧クラブ(ACフィオレンティーナ)の債権者との間に生じるかもしれない商標権問題をクリアする苦肉の策として、ここ当面使用することになった名称。もともとは、紀元前3世紀(日本は弥生時代!)に開かれフィレンツェの起源となった古代都市のラテン語名である。
さて、イタリアのプロサッカークラブというと、ミランのベルルスコーニ、インテルのモラッティ、ペルージャのガウッチというように、ひとりの大金持ちがオーナーとして独裁的に権力を振るっている印象が強い。
実際、旧フィオレンティーナも、チェッキ・ゴーリというひとりのオーナー会長が、サポーターや市民のたび重なる抗議と退陣要求にもかかわらず、クラブを自分の所有物だと勘違いして好き放題に振る舞い続けたせいで、破産・消滅に追い込まれたようなものだ。
しかし、フィオレンティーナは彼の「所有物」などではなかった。そのことは、会社が破産してすら、クラブがひとつの継続性をもって存在し続けようとしている今の状況が、はっきりと証明している。
ここで注目したいのは、フィレンツェ市の肝いりでつい昨日発足したこの新運営会社が、長い伝統を誇るかのごとき「フィオレンティーナ1926」という名を堂々と掲げているという事実だ。どうやらフィレンツェの人々は、市長も市民も、この新生「フロレンティア」を、1926年から続く長い伝統をそのまま受け継ぐ正当な存在、要するに「フィオレンティーナ」以外の何者でもないと考えているらしい。
その基盤には「フィレンツェには、フィオレンティーナという名前と紫のチームカラーを持った、この都市を代表するサッカークラブが存在しなければならない」という、ひとつの「社会的合意」があるように見える。
だからこそ、選手や監督はもちろん、オーナー、さらには会社そのものまでが入れ替わってさえ、「フィオレンティーナ」という確かなアイデンティティが、継続性を失うことなく存在し続けることができるのだ。
これはつまるところ、都市を代表するサッカークラブは、それが会社組織であっても実質的には“公器”であり、その本当の持ち主は都市、あえていえば市民でありサポーターである、ということを物語っているのではないか。オーナー会長などと偉そうにいったところで、結局のところはその“公器”を、都市と市民から「預かっている」だけの存在に過ぎないのである。
新生フィオレンティーナ(あえてこう呼ぶことにしよう)は、ピエトロ・ヴィエルコウッド新監督の下、8月21日にスタートするコッパ・イタリア(対ピサ戦)から、新たな第一歩を踏み出す。セリエC2の開幕は9月1日。目標はもちろん、毎年昇格を繰り返して、3年間でセリエA復帰を果たすことである。
この長い戦いの主役は、誰よりもまず都市・フィレンツェとその市民に違いない。□
(2002年8月14日/初出:『週刊サッカーダイジェスト』)