珍しくサッカーメディア以外のところに寄稿した、北イタリア・ヴェネト州の小都市バッサーノ・デル・グラッパについての読み物です。掲載されたのは全日空の機内誌『翼の王国』。といっても、やっぱりサッカーネタが絡んでいたりはするわけですが。
セリエC2(4部リーグ)で戦うクラブ、バッサーノ・ヴィルトゥスと、この町一番の名物であるナルディーニ社のグラッパというちょっと強引なコンビネーション。でも、そのどちらもが人々の生活にしっかりと根付いているところがイタリアの豊かさです。
1. バッサーノ・ヴィルトゥス
イタリアは、ワールドカップで4回の優勝を誇るサッカー大国だ。これは、ブラジルの5回に次いで世界2位、ヨーロッパでは最多の記録である。昨年12月に日本で行われた世界クラブ選手権で優勝したACミランをはじめ、世界的な名声と人気を誇るクラブも少なくない。
だが、イタリアサッカーの奥の深さは、そんな「頂点の高さ」ではなく、むしろそれを支える「底辺の広さ」の方にある。国内最高峰のセリエAにはじまって、4部リーグにあたるセリエC2まで、全国各地に132ものプロチームがある。人口5万人以上くらいの町なら大体どこでも、地元に根ざした「おらがチーム」を持っているのが普通なのである。
ここ、北イタリアはヴェネト州のバッサーノ・デル・グラッパも、そんな町のひとつだ。
水の都ヴェネツィアから北に車で1時間。中世の面影を残す洒落た街並みを持つ人口4万人ほどのこの小都市は、イタリアを代表する蒸留酒「グラッパ」の故郷として、広くその名を知られている。
しかし、バッサーノの人々が誇りにしているのは、グラッパだけではない。この町を代表して戦う地元のサッカークラブ「バッサーノ・ヴィルトゥス」もまた、立派な誇りの対象だ。
中世から受け継がれてきた市の紋章と同じ赤と黄色をシンボルカラーとするバッサーノ・ヴィルトゥスは、今シーズン、セリエC2(4部リーグ)で首位争いを繰り広げている。もしシーズンを終えてセリエC1(3部リーグ)への昇格を勝ち取ることができれば、100年を超えるクラブの歴史においても初めての快挙となる。
世界のトッププレーヤーが集うセリエAと比較すれば、セリエCのサッカーがずっと見劣りすることは言うまでもない。しかし、バッサーノの人々にとって、そんなことは大したことではない。大事なのは、毎週末、愛する地元のチームが戦うのを見守り、サポートするためにスタジアムに足を運び、そこで小さな祝祭の時間を過ごすことなのだから。
現在バッサーノ・ヴィルトゥスを所有しているのは、地元で最も大きな企業であり、グラッパで知られるこの町のもうひとつの側面である豊かな産業都市という顔を代表する世界的なジーンズメーカー「ディーゼル」のオーナー社長レンツォ・ロッソ。1996年、アマチュアの7部リーグに低迷していたクラブを買い取り、10年かけて少しずつ強化し4部リーグまで引き上げてきた。
「サッカークラブを買い取ったのは、バッサーノの町、そしてディーゼルで働く1000人を超える地元の若者たちに、情熱や喜びをプレゼントしたいと思ったから。僕自身もサッカーが好きだしね。ディーゼルのマーケティングに使うとか、僕自身が名声を求めようとするなら、パドヴァやヴィチェンツァ(いずれも同じヴェネト州にある中都市のクラブ)といったもっと上のカテゴリーにいるチームを買収した方がずっとよかった。でも目的はそんなところにはない。僕なりのやり方で地域に貢献したいと思っただけなんだ」
そう語るロッソ氏は、ぼさぼさの長髪に無精髭、ニットキャップとシルバーアクセサリーという、大企業の社長とは思えないいでたちでメインスタンド中央に陣取り、地元の人々に混じってチームを応援していた。
今イタリアでは、フーリガンの暴力事件で死者が出るなど、サッカーをめぐるネガティブな問題が社会を賑わせており、スタジアムは決して安全な場所とはいえなくなっている。しかし、ここバッサーノに限っては、それはまったく当てはまらない。
それどころか、試合が終わると、スタジアムの一角には飲み物と食べ物を無料で振る舞うコーナーが準備され、そこで出場していた両チームの選手から、応援に来ていた敵味方のサポーターまでが一緒になって交流を楽しむ「テルツォ・テンポ」(第3の時間)と呼ばれるイベントが恒例になっているほどだ。
ラグビーのノーサイド精神に範を取ったこのイベントは、ロッソ氏の発案によるもの。クラブの協力の下、サポーターグループが主催し、スポンサーが飲食物を無料で提供するという二人三脚で運営されている。この日も試合が終わると、チームカラーのマフラーを首に巻いた老若男女が集い、ビールやワインを片手に、地元名産の腸詰めと縮みキャベツのワイン煮込みを肴にして、冬の夕暮れの冷え込みをものともせずにサッカー談議に花を咲かせていた。
マイク片手にイベントの司会を務めていたサポーターグループの幹部、ジュゼッペさんは言う。
「人口4万人の小さな町がプロのチームを持っていること自体、十分に素晴らしいことなんだ。勝ち負けよりも、こうやって子供連れから老夫婦まで、町の人たちが一緒にわいわいがやがや、楽しく過ごせるっていうのが大事なのさ。この間、行く先々で暴れ回ってるっていう噂の敵サポーターがやって来たけど、試合の後はここで俺たちと多いに盛り上がってたよ。気のいい奴らだったね」
ACミランやカカとは無縁だ。でも、この日スタジアムに集まった2000人あまりの人々は、本当に楽しそうに日曜日の午後を過ごしていた。■
2. 都市バッサーノ
ドロミテ・アルプスに源を発しヴェネツィア湾に流れ込むブレンタ川が、山地から平野部へと顔を出したその河畔に位置するバッサーノ・デル・グラッパは、水上交通の要所という地理的条件もあり、中世から商都として栄えてきた。
バッサーノ・ヴィルトゥスやディーゼル・ジーンズが、この町の現代的な側面を代表する顔だとしたら、歴史的側面のシンボルといえるのは、ブレンタ川にかかる木造の橋「ポンテ・デッリ・アルピーニ」(ルネッサンス時代の名建築家パッラーディオの設計)であり、その橋のたもとで200年以上前から変わらぬ佇まいを見せている老舗ボルトロ・ナルディーニ社の「グラッペリア」、すなわちグラッパ蒸留・販売所である。
1779年、初代ボルトロ・ナルディーニがここにあった食堂を買い取り、一家に代々伝わる製法でアクアヴィーテ(命の水。当時蒸留酒は一般的にこう呼ばれていた)を蒸留し売り始めたのが始まり。それから現在まで、このグラッペリアはバッサーノの人たちの社交場として存在し続けてきた。
壁にはグラッパをはじめナルディーニ社の製品がずらっと並ぶ。品揃えも同社のグラッパとリキュール類のみで、その味をしっかり味わってほしいという理由から、つまみの類いすら置かないストイックさだ。
ここに集うのは町の男たち。お昼過ぎと夕方には食前酒をひっかけに、昼食後の時間帯には「消化を促す」といわれるグラッパをきゅっと一杯。寒い冬の日などは、朝からアルコール度数50%のグラッパで身体を温めてから仕事に向かう剛の者も少なくないという。
バッサーノ・ヴィルトゥスの試合の翌日に訪れたら、昨日のスタジアムで顔を合わせたサポーターの何人かが、グラスを片手に世間話に花を咲かせていた。
グラッペリアを後に、中世から変わらぬ佇まいを残す瀟洒な建物の間を縫って町の中心部に足を向けると、市庁舎と教会に面した2つの広場がある。その広場のそこここでも、町の人々が立ち話。人口4万人の小都市だからか、町の中心に事務所を構えて仕事をするような人々は、みんなお互い顔見知りという感じだ。ミラノのような大都市とは違って、ここでは生活のリズムがゆっくりと流れている。■
3. ナルディーニのグラッパ
バッサーノといえば、やはりグラッパ。ワインを醸造した後に残ったぶどうの搾りかすを原料とする、イタリアを代表する蒸留酒である。
グラッパという名前は、元々はドロミテ山中のワイン生産地で作られる蒸留酒(アクアヴィーテ)の愛称だった。その由来には2つの説がある。ひとつは「ぶどうの房」を意味する「グラッポロ」から来ているという説。もうひとつはバッサーノの背後にそびえるグラッパ山にちなんだという説。
しかし、グラッパ山という名前も、バッサーノ・デル・グラッパという名前も、その呼び方が広く普及したのは19世紀に入ってからとされることから、おそらく前者が正しいと思われる。グラッパという酒こそが、すべての名前の源、というわけである。
その生みの親とも元祖ともいわれるのが、1779年に木造橋のたもとでグラッパの蒸留・販売を始めて以来現在まで、230年近い歴史を誇る老舗中の老舗、ボルトロ・ナルディーニ社だ。創業以来、一貫して家族経営を守り、いたずらに規模を追求することなく、高品質のグラッパだけを市場に送り出してきた。
ワインを造った残余物を二次利用して作られるグラッパは、本来、ピュアでシンプルな地酒である。しかし、例えば日本の焼酎もそうであるように、近年はグラッパメーカーの間にも高級化と多様化の波が広がってきた。ぶどう品種の個性を前面に打ち出した単一品種によるグラッパを展開し、ボトルやパッケージにも趣向を凝らして、多品種少量型の品揃えを売り物にするメーカーも少なくない。今や、そちらのやり方の方が主流になったと言ってもいいくらいだ。
しかしナルディーニは、そんな流れの中にあっても、頑として昔ながらのやり方を変えず、地元で獲れるいくつかの品種をブレンドした、たった1種類のグラッパだけを造り続けている。昨年80歳を迎えたという当主ジュゼッペ氏は語る。
「ナルディーニのグラッパは、私の曽祖父から代々受け継がれてきたレシピを今も守って造られています。異なる味わいを持った品種をブレンドし、一番美味しいと信じる伝統的な、すなわちオリジナルなグラッパの味わいを自信を持って提供するのが最良のやり方だと信じているからです。毎年の作柄によって味は変わりますから、年によりブレンドの比率は変わります。私を含めて4人の利き酒師で、毎年の味を決めています。ひとつのぶどう品種から造ったグラッパが美味しいとは限りませんよ」
使うぶどうは、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロといった赤ぶどうが70%、ピノ・ビアンコ、トカイなどの白ぶどうが30%。そのブレンドのレシピはもちろん、容量1リットルのボルドー型ボトルも、バッサーノのシンボルである木造橋を描いた銅版画によるラベルも、そこに書かれた(グラッパではなく)アクアヴィーテという商品名も、50%という高いアルコール度数も、宣伝広告を一切行わない営業方針も、すべては創業時から200年以上にわたって変わることなく受け継がれてきたものだ。
ナルディーニのカタログには、フレーバーをつけた薬草酒などもラインアップされているが、そのベースとして使われるのはすべて同じグラッパである。年間400万リットルという生産・販売量のうち90%以上は、通称「ビアンカ」(白)と呼ばれる、この昔ながらの透明なグラッパが占めている。
「目先の市場に振り回されて、私たちの原点を失ってしまうことがあってはなりません。頑固と言われようが時代遅れと言われようが、伝統を守り抜いて行くことが大事なのです」
ジュゼッペ氏の言葉には、グラッパの元祖ならではの誇りと自信が込められている。
しかし、ナルディーニは決して伝統の殻の中に閉じこもっているわけではない。2004年、創業225周年の記念事業として、バッサーノ郊外にある現在の蒸留所(橋の蒸留所は今は博物館になっている)の敷地内に、イタリアが誇る現代建築の鬼才マッシミリアーノ・フクサス(アルマーニ銀座タワーも彼の設計)の手になるスーパーモダンなモニュメント「レ・ボッレ」を完成させた。
まるで宇宙船が降り立ったかのごときシュールな風景を現出させる、全面ガラス張りのふたつの楕円球は、グラッパ蒸留時に生まれる気泡をイメージしたものという。その内部には、グラッパの品質検査と製品開発のためのラボラトリーと会議室が、そして半地下になったその下のスペースには、企業紹介ビデオの上映から小さなコンサートまでに使えるオーディトリアム(小ホール)が組み込まれている。
「ここヴェネトには、歴史的な建造物はたくさんありますが、現代的な建物といえば工場や倉庫ばかり。伝統に根ざしながら未来に目を向ける地元企業として、未来にこの時代の遺産として受け継がれるような何かを残したかったのです」
あらゆる建築雑誌に紹介され、毎日世界中から見学者が引きも切らないというこのモニュメントは、木造橋やグラッパと並ぶ、バッサーノの新たなシンボルのひとつとなりつつある。
ディーゼルとナルディーニ。分野もスタイルも経営哲学もまったく異なるこのふたつの企業に共通しているのは、地元バッサーノへの愛情と誇りである。この小さいながら美しい町を心から愛し、そこから世界に向けてメッセージを発信して行く。伝統と革新。そして地域愛。イタリアという国の豊かさの一端がそこにはある。■
(2008年12月/初出:『翼の王国』2009年2月号)